第11話:世界の異物
【1】
拠点の奥。
蒸気の匂いと機械油が混じる狭い一室に、
カムイとアマネは並んで座っていた。
金属製のテーブルの上には《観測くん3号》が鎮座している。
複数の配線がアマネの前腕へと伸び、端末の光が淡く脈動していた。
「んじゃ、始めるっすねー」
軽い調子でカムイがスイッチを押す。
モニターに走る無数の線が、エーテルの流れを可視化していく。
アマネは息を呑み、微かに手を握りしめた。
「緊張するっすか?」
「ちょっとだけ。自分の中を覗かれてるみたいで」
「実際覗いてるっすからね。気にしたら負けっす」
カムイが笑いながら、端末に目を走らせる。
しかし、その笑みはすぐに曇った。
「……反応が――ないっす」
画面には、ノイズ一つない真っ白な波形。
通常なら体内のエーテルが、
残響の位相や揺らぎにより幾層にも重なって見えるはずだった。
カムイは設定を変え、計測のレンジを広げたり狭めたりして再試行する。
しかし結果は同じ。
何度繰り返しても、アマネのエーテル自体が“存在しない”かのように、
何の揺らぎも示さなかった。
「……何か、分かりましたか?」
アマネの声がかすかに震える。
カムイは椅子の背にもたれ、ゴーグルを額へずらした。
腕を組みながら椅子をガクガクとさせ。
しばらく物思いに耽り、やがて口を開いた。
「分かったことは――“分からん”ってことっすね」
「え?」
「反応ゼロ。残響があった痕跡すらない。
生まれてこの方なんもなかったみたいに、まっさらっすね」
アマネの肩が小さく震えた。
「そんな……だって私、正典で…!」
カムイは机の上の紙束を指で弾きながら、淡々と続ける。
「……正直に言うっすよ」
アマネは息を呑み言葉を待った。
「治すの無理っすね」
「……!」
「前例がないっすもん。
残響が壊れたとかならまだ修復の余地あったんすけど、“無い”ってのはありえんっす。
首から上が吹っ飛んでるのに、“頭を生やせ”って言ってるようなもんっすよ」
アマネは唇を噛みしめた。
何かを言おうとしたが、言葉が思いつかなかった。
⸻
【2】
沈黙を破ったのは、カムイがパチリと指を叩く音。
「でも……ひとつ気づいたこともあるっす」
「……?」
カムイはスケッチボードを取り出し、勢いよく描き始めた。
波形、円、層。ぐるぐると絡まる図形。
描き終えると、それをアマネに向ける。
「“存在の綴り”ってのは、名簿っす。
その人が“どんな存在で、どこにいるか”って情報をエーテル層に書き込む装置」
「名簿……」
「例えばうちなら、
カムイ・ボルヘス、二十六歳、女、フォーンシティにいる、とか」
ペン先は、図の一部を黒く塗りつぶした。
「でもアマネさんの場合、名簿の“残響”の欄に何も書けない。
世界は空欄を想定していないんすよ。
それでも、名簿を見て動こうとするから……おかしくなる感じっす」
アマネは息を飲む。
黒く塗りつぶされたその一点は、まるで自身の断絶を示すようだった。
「……やっぱり私が……世界をおかしくしてる……」
「まーだ仮説っすよ。
でも、放っとくわけにもいかないっすね」
カムイは真剣な顔で続ける。
「次のステップは、“存在の綴り”そのものを把握すること。
どうやって存在を定義してるのか、
その仕組みを確定させないと何も始まらないっす」
アマネはゆっくり顔を上げた。
その瞳は、不安と決意の入り混じった光を帯びている。
「……お願いします。私も手伝います」
カムイは小さく笑い、手元の工具を回した。
「大丈夫!任せるっす!
うち、こういう無茶得意なんで!」
その一言に、アマネは救われる心地がした。
《観測くん3号》のモニターが淡く脈動した。
波形の隙間にある“空白”が、まるで呼吸するように光った。
⸻
【3】
夜。
カズヤとアインが戻ると、奥からカムイが飛び出してきた。
お疲れっしたー!とアインが手に持っていた《観測くん4号》をひったくると、
そのまま奥の部屋へと引っ込んでいった。
――ツッコもうとしたがやや疲れが勝り、見なかったことにした。
カムイの部屋に食事を持って行ったあと、
三人は拠点の中央にある古いテーブルを囲んで夕食をとっていた。
錆びたランプの明かりが、皿の上の料理を揺らめかせる。
今日の夕飯はパンと野菜のスープ、鶏のロースト。
アインがパンを頬張りながら呟いた。
「なるほどねえ。理屈としては納得できるな。
ルール外がいるせいで、どう扱えばいいか分からない。
だから、世界がおかしくなるってわけだ」
アマネはスプーンを握ったまま、静かに頷いた。
「……でも、直す方法はまだ……」
「ま、しばらくは好きにやらせとけ。
こういう時は自由にやらせるが吉だ」
カズヤも料理をつつきながら話を続ける。
「こっちも街の事情がだいぶ分かってきた。
監査局も動いてるし……“灰の祭典”ってのももうすぐらしい」
アマネがスープを飲む手を止め、首を傾げた。
「灰の祭典?」
「年に一度、上層の連中が“灰の塔”に向かって祈りを捧げるんだと。
一年の感謝と、来年の豊穣を祈る――そういう祭りらしいぜ」
アインが苦い笑みを浮かべ、パンを噛みちぎる。
「建前上はな。
実際は、“下層のエーテルを上層に流すための儀式”なんだよ。
下層は枯れて、土地も痩せていく。
代わりに上層はエーテルが満ちて、生活が潤う。
……毎年こうだ。クソみてえだろ」
言葉の端に滲む苛立ち。
アマネの顔からは、みるみる血の気が引いていった。
カズヤも不快そうに眉をひそめ、フォークを皿に置く。
「下層が干からびてる間、上層は感謝だ祈りだってよ。
――冗談じゃねぇ」
室内のランプが、淡く揺れた。
その小さな光が、決意の火のようにカズヤの瞳に映っていた。
⸻
【4】
その時だった。
ピピピ――。
奥の通信端末が、警告音を発した。
アインが険しい顔ですぐに立ち上がり、端末へ歩み寄る。
画面には「協力者C9」の識別信号。
彼は軽く息を吸い、応答ボタンを押した。
「アインだ。どうした?」
スピーカーから、ざらついた音声が響く。
『緊急報告。
リムランドの筆聖が――フォーンシティに向かっている』
部屋の空気が凍りついた。
「……なんだと?」
アインが低く呟く。
通信の向こうで、協力者の声が続く。
『監査局の部隊も同行してる。
何かの調査という名目だが……。
すまない、それ以上は秘匿事項でこちらも分からない』
カズヤの表情がこわばった。
アマネも不安な顔を隠せない。
「筆聖って…大書院で一番偉い連中なんだろ…!?」
「うん……。
筆聖が直々になんて……普通はありえない」
アインは端末を切り、静かに息を吐いた。
「……のんびりしてる時間はなさそうだな」
鉄扉の向こうでは、カムイの研究機器が唸りを上げている。
それはまるで、嵐の前の予兆のように響いていた。




