第1話-1:災厄の外典
【1】
灰色の朝だった。
崩れた建物の隙間から吹き込む風が、砂塵を細く巻き上げている。
人の気配などほとんどない廃墟の通りを、翠玉色の髪の青年・カズヤは一人で歩いていた。
外典――。
そう判定された者が住める場所は、都市の外縁にしかない。
ここはそのさらに外れ。追放者が流れ着く、瓦礫と風の土地だった。
「……今日は何もねぇといいけどな」
そんな独り言をこぼしながら歩いていると。
――ごとり。
小さな音がした。
反射的に振り向く。
朽ちたエーテル灯の根元。
そこに――少女が倒れていた。
白い外套は泥にまみれ、灰と白が混じった髪は埃で固まっている。
身体には無数の切り傷。
呼吸は浅く、今にも消えてしまいそうな様子。
「おい……! おい、大丈夫か!」
慌てて駆け寄り肩を支える。
少女の瞼がわずかに開いた。
焦点の合わない瞳が、こちらを捉える。
「……たす……け……」
かすれた声は途中で消え、身体が崩れ落ちた。
軽い。あまりにも軽い。
「くそ……っ。
寒いだろ。とりあえず俺らんとこまで連れてってやっから」
返事はない。
それでも、少女の目にはわずかな光が残っていた。
少女を背負い、カズヤはゆっくり歩き出す。
いつもと同じつもりだった。
昨日も老人を助けた。
一ヶ月前も子供を拾った。
だが――この朝だけは違った。
消え去りそうな、些細な出会いが、後に世界を揺るがすことになるなど、まだ誰も知らなかった。
⸻
【2】
都市外れの窪地。
そこに、追放者達が寄り添う場所がある。
焚き火の集落。
小さな炎を囲んで、人々は肩を寄せ合い生きていた。
「おいカズヤァ!!」
地鳴りのような声。
振り向くと、壮年の男が腕を組んで立っている。
ダン・ミロク。
片腕に古傷を刻んだ、集落の長だ。
「また妙なの拾ってきやがったな」
「倒れてたんだよ。死にそうだった」
ダンは少女の外套を一瞥し、眉をわずかに動かした。
「……綴士の服だな」
白い外套。
それは大書院の職員――綴士の制服だった。
外典の集落にとって、最も関わってはいけない存在。
カズヤは苦い顔をする。
「分かってる……。悪い、放っとけなかった」
短い沈黙の中、焚き火の弾ける音だけが間を埋めた。
ダンは煙を吐き、ぼそりと言った。
「ったく……責任はお前が取れ。
ここに連れてきた以上、そいつは“焚き火の一員”だ。
歩けるようになったら出てもらうが、それまでちゃんと面倒見ろよ」
「……ああ、約束する」
カズヤは素直に頷いた。
少女はすぐに天幕へ運ばれ、手当が始まった。
⸻
【3】
この世界では、人は皆――
自分のものではない“記憶”を宿して生まれる。
全ての記憶、生きた証はエーテルへと溶け、
エーテルを通して、体内で記憶が響き合い“残響”となる。
世界を管理する組織である大書院は、
“残響”の性質によって、人々を二つに分類した。
《正典》。世界の理に沿う記憶を宿した者。
《外典》。理に反し、災厄をもたらす記憶を宿した者。
外典と判定された者は、どれだけ善良でも恐怖の対象。
社会から排除され、記録の外へ落とされる。
カズヤもその一人だった。
幼い頃、外典と判定され――
行き場を失ったところをダンに拾われた。
だからこそ。
世界に捨てられた者を、彼は放っておけない。
⸻
【4】
少女が目を覚ましたのは、昼過ぎだった。
「ここは……?」
周囲には老人や子供が覗き込んでいる。
粗末だが温かい空間。
カズヤは足を組み、その様子を眺めていた。
缶詰のスープを少女に差し出す。
「食えるか?」
少女は震える手で受け取り、一口飲んだ。
目がわずかに見開かれる。
「……おいしい……」
じんわりと身体に沁み入る心地。
数日ぶりの食事だった。
味気ないはずの缶詰スープも格別なご馳走。
思わず夢中になっていたが、ふと我に返り、周囲を見渡す。
そして少女は、小さく頭を下げた。
「……あの……ありがとうございます」
「ちゃんと物食えるなら良かったよ。
朝、倒れてんのを見かけてな。勝手に助けた。
あんた、名前は?」
「アマネ……アマネ・チャペックです」
「アマネか。俺はカズヤ。
ここでみんなの世話になったり、世話したり。まあ、そんな感じだ」
⸻
【5】
カズヤは率直な疑問を投げかけた。
「……あんた、綴士なのか?」
少女・アマネはためらいながら頷いた。
「はい……大書院で記録を管理していました」
周囲の空気がわずかに固くなる。
カズヤはさらに尋ねた。
「そっか。
じゃ、なんで綴士様があんなとこでボロボロになってたんだ?」
アマネは視線を落とし、唇を震わせた。
「……私の残響が、消えたんです」
思わぬ返答に、カズヤは目を見開き息を呑む。
残響は、世界における“存在の証”。
それが失われることなど、本来ありえない。
この世界のルールに反した異物。
得体の知れないことが起きていると、誰もが不穏さを胸に抱いた。
少女は続ける。
「監査局が来て……捕まりそうになって……怖くて逃げて……」
ダンが静かに言った。
「……追われてるな」
沈黙。焚き火の音だけが響く。
やがてダンは決断した。
「事情は分かった。だが、お前は監査局に追われる身だ。
この集落には置けねえ。
……悪いが、明日の朝には出てもらう」
アマネは唇を噛んでうつむく。
カズヤも、悔しげに拳を握りしめる。
だが、ダンは続けた。
「ただし、一晩はちゃんと身体を休めろよ。
……カズヤ、お前が拾ったんだ。責任持って安全な場所へ連れてけ。
南のフォーンシティとかなら、身を隠せる場所も多いだろ」
「!……おう、任せろ!!」
カズヤは力強く頷いた。
助けになれることが、嬉しかった。
⸻
夜。集落は静かだった。
だが――遠くの闇の中。
白い探照灯が動いていた。
冷たい金属音。
軍靴の列。監査局は、すでに近くまで来ていた。
そしてカズヤの胸の奥で。
向き合いたくなかった“残響”が、微かに軋んでいた。
それは――災厄の記憶。
世界が壊された記憶。
もし解き放てば、自分すら壊れるかもしれない力。
まだ、彼は知らない。
その力が、少女の運命と深く結びついていることを。
そして明日、全てが変わることを。
――災厄の外典の物語が、始まる。




