九話 救出
「さて――何故お前が、他国であるロキアへ無断で侵入し、王女を誘拐したのか。説明してもらおうか。」
「チッ、くそっ!」
後ずさろうとしたアレクサンダーだったが、いつの間にか灰色狼の群れに囲まれていた。
「はーい、もう逃げられないよ。そろそろ大人しく投降したら?」
シンシアの軽い声が響く。
その姿を見たアレクサンダーは、彼女なら勝てるとでも思ったのか、剣を構えた。
だが次の瞬間――狼たちが一斉に跳びかかり、手首と足首に牙を立てる。
「うわあああああああっ!!」
悲鳴は山の上にこだまし、崖下の鳥たちが一斉に飛び立っていった。
やがて静寂が戻り、その中をヴァルクが馬を進めてくる。
「……醜い奴だ。」
低く呟くと、ヴァルクは馬から降り、アメリアの傷ついた脚に手を伸ばした。
「酷い怪我だな。すぐに手当てしよう。」
「ねぇヴァルク、この男どうする?」
「連れて行け。殺すなよ――まだ聞くことがある。」
「了解。ジオ、うちの部隊がそろそろ着く頃だ。引き渡そう。」
「ああ。」
声をかけられたのは、先ほどシンシアとともにいた赤髪の男だった。
長い髪をひとつに束ね、獣の皮をまとっている。
彼は狼に噛まれのたうち回るアレキサンダーの髪を掴み、無造作に引きずっていった。
「少し沁みるかもしれないが、我慢してくれ。傷が腐れば命に関わる。」
ヴァルクは落ち着いた声でそう言い、傷口を確かめながら丁寧に手当てを始めた。
「さきほどの赤髪の方は、シンシアの部隊の方ですか?
ノルディアでは見かけなかったように思うのですが……」
「ああ。あいつは山の民の首領だ。
今はシンシアに協力してくれているが、いつまで味方でいてくれるかは分からない。」
「えっ……山の民って、あの――襲ってきたときの?」
「……ああ。その件についても、シンシアに調べてもらっていたところだ。
それより――」
ヴァルクは話しながらも、迷いのない手つきでアメリアの傷を手当てしていた。
包帯を巻き終えると、馬上の彼女を見上げる。
「大丈夫か? 他に痛むところはないか?」
「あ……はい。何度も放り投げられたので、あちこち痛いですが……でも、それだけです。」
ヴァルクは短く息を吐き、なぜか辛そうにアメリアの手を取った。
「すまなかった。もっと早く……いや、そもそも連れ去られるようなこと、起きてはならなかった。」
「ヴァルクは何も悪くありません!
私が油断していたんです。城の中なら安全だと、勝手に思い込んで……。」
「……顔色が悪いな。水を飲んだ方がいい。一旦山を降りて、今日は体を休めよう。」
ヴァルクは腰につけたボトルを取ると、蓋を開けて渡してくれた。
何時間ぶりだろう。ゴクゴクと飲むと、カラカラだった喉が潤っていく。
あまりにも急に飲みすぎたせいか、最後は咳き込むほどだった。
「大丈夫か?」
「はい……すみません。捕まってからずっと飲まず食わずだったので。
でも……本当に、こんなすぐに助けに来てくれるなんて思っていませんでした。」
「……向こうに街が見えるのが分かるか?」
「はい。」
「あの街と、もっと先にある港町――あそこの領主たちの間でいざこざがあって仲介に行っていた。
だから知らせを受けて、すぐに駆けつけられた。」
地平線の彼方で赤く光る太陽が沈んでいく。
攫われてから一日も経っていないのに、永遠のように長く感じられた。
その光を見つめながら、ようやく“助かった”という実感が彼女の中に広がっていく。
「アレクサンダーはあの港へ向かっていたんです。
まさかヴァルクが、その道のりにいるとは思わなかったのでしょうね。運が良かったです。」
「それは……どうだろうな。」
「え?」
「仲裁に向かったのは王宮の人間は皆知っていたはずだ。
それなのに、あいつはなぜあの港を目指したと思う?」
「それは知らなかったんじゃあ……あっ。」
そうだ。アレクサンダーには王宮の――少なくともマリアの宮に侵入を許せるだけの協力者がいたはずだ。
「おそらく、あいつも嵌められたんだろう。
“王女と逃げ仰られる”という悪魔の囁きにな。」
ヴァルクはアメリアを乗せたまま、愛馬の手綱を引いた。
負担がないよう、ゆっくりと歩いてくれるヴァルクに感謝しながら、アメリアは自分を攫った男たちのことを思い返していた。
彼らはマリアの宮殿に忍び込み、王宮の地下道を通じて抜け出した。
そんな道を知っているのは、王族だけなのではないだろうか。
このことを果たしてヴァルクに伝えるべきなのか――。
もし万が一、アレクサンダーと通じていたのがマリアやダリオン王子だったら……。
アメリアは背筋が震えた。
自分が知っている前世は歴史の断片でしかない。
もしかしたら、いま大変なことに踏み込んでしまっているのではないだろうか。
思い悩んでいるうちに、いつのまにかシンシアと彼女の部隊のもとに着いていた。
「アレクサンダーは、先に王都へ送ることになったから、もう出発させたけど、殿下はどうする?」
「アメリアは、近くの村で休ませてから明日王都まで連れていく。」
「領地問題は解決したのか?」
「それならひと段落した。あとはライオネルがうまくやってくれるだろう。」
「ははぁーん、ライオネルに押し付けたね! それでヴァルクはひとりで来たのか。」
「……あの馬鹿どもより優先事項ができたから、それは仕方ない。」
「それはそうか。じゃあ、アメリア! 王都でまた会おう!」
「あっ、待って! シンシア!!」
アメリアは慌てて馬の上でわたわたと手を伸ばす。
ヴァルクがそっと彼女を降ろした。
「そ、その……行く前に、ちょっと……」
「ん? どうした?」
アメリアはシンシアを引き寄せ、こそこそと耳打ちする。
「……トイレに行きたいの。村まで我慢できないかも……」
シンシアは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑ってヴァルクに耳打ちすると、アメリアを森の茂みまで案内してくれた。
「ごめんなさい……ご迷惑をかけて。
助けに来てくれたことも、本当に感謝しています。」
どうにか事なきを得て戻ってくると、シンシアはにこりと笑った。
「そんなこと気にしなくていい。王女殿下を守るのは騎士団の務めだ。
それに……最初に助けてあげられれば、そんな怪我をすることもなかったのに、悪かったな。
あのまま捕まえられなくもなかったんだが、ヴァルクが向かっているのは分かっていたから、危険を犯さない方が良いと思って。」
「そうでしたか……。あの、実は侍女が一緒に攫われたんですが……」
「ああ、ノルディアに来ていた子だろ? 無事だよ。
彼女は王都のすぐ近くで見つかったから、もう王都に戻ってる頃じゃないか。」
「そうですか……良かったです!」
ホッとしたと同時に、なぜテティが倒れていたのか疑問が膨れ上がる。
そもそも呼び出したのは彼女だ。
なにか繋がりがあるのか――生きているということは、彼女は駒として使われたのではなく、騙した側である可能性もある。
真剣な面持ちでシンシアとヴァルクのもとへ戻ろうとしたその時、突然シンシアが振り向いた。
「そうだ、言い忘れてた! もう本当にヴァルクのことは諦めたから安心して!」
「えっ?」
「私が“ヴァルクの子が欲しい”って言ってたの、気にしてただろ?
子どもはジオと作ることにしたんだ。」
「は? ジ……ジオ?」
「さっき一緒にいただろ?
あいつ、私のことが昔から大好きなんだよなぁ。」
「えっと……それは、彼も騎士団に?」
「いや~それはないと思う。あいつヴァルクが嫌いだから。
でも私のことは好きだから、もう騎士団にもアメリアにも手出しはさせないよ。」
得意げに笑うシンシアを見て、アメリアは思った。
――この人のことは、一生理解できないかもしれない。




