三十四話 温室の謎
公爵邸に到着すると、ヴァルクとアメリアは、事前の話し合いどおりフィリップと対面した。
「モリス公爵に会わせてちょうだい!」
アメリアが鼻息荒く迫ると、フィリップは美しい顔をわずかに歪めた。
「こないだ言ったよね。父上は伏せっているって」
その瞬間、門の方から王旗を掲げた伝令人が馬を駆って入ってきた。
「フィリップ・モリス殿に国王陛下より伝令!
――“ヴァルク・ストーン伯爵に、セレシオ・モリス公爵との面会を許可せよ”。
拒む場合は王命により強制執行する!」
公爵邸の空気が震えるほどの声が響き、フィリップは深々とため息をついた。
「……まさか王まで使うとは。父に会いたいなら、好きにすればいい」
「申し訳ございません。国王陛下にとってもモリス公爵は大切な臣下です。安全の確認をとの仰せでして」
「はあ……ついてきて」
不満げではあるが、国王に逆らう気はないらしい。
アメリアとヴァルクはフィリップの後に続いた。
公爵邸の奥深く、公爵の私室があった。
「見ても驚かないでください。父は……今、人と会える状態じゃない」
扉が開いた瞬間、重い空気が押し寄せた。
散乱した紙片、裂けた布、乱れきった寝具。
白く濁ったお香の煙が部屋じゅうに漂っている。
ベッドの上には、頭を抱えたまま低く唸る老人がいた。
「父上。ストーン伯爵とアメリア王女がお見舞いに来てくださいました」
うう……ううう……
地の底から響くような呻き声だった。
「……臭うな」
ヴァルクは囁くように言い、部屋の端から端まで鋭い目で見回した。
そしてフィリップのそばへ歩み寄る。
「モリス公爵は、何の病だと診断された?」
「医者は“認知症の一種”だと言っていたよ」
「……いや。この部屋に長居はできない。
アメリア、出るぞ」
ヴァルクはアメリアの腕を取って強引に部屋から連れ出した。
慌ててフィリップも追いかけ、扉を閉める。
「失礼だろう。あなたが父に会いたいと言ったんじゃないのか?」
「――あの部屋で焚かれているもの、何だ?」
「え?ああ……叔母が“父を落ち着かせるために”って用意したものだよ。どこか異国でよく使われるお香だと言ってたけど」
「……お香ではない。あれは幻覚作用のある麻薬だ。
戦場で武器として使う国もあるほどだ。
長く吸えば、まともな精神ではいられない」
「え……」
アメリアは息を呑む。
だが、フィリップの反応は驚くほど薄かった。
「……そうか。侍女たちが次々と体調を崩すから、良くない物なんだろうなとは思ってたけど」
「な……っ! 何その言い方!?
自分の父親がこんな目に遭ってるのに……!」
フィリップは静かに息をついた。
「アメリアには分からないかもしれないけど、叔母――スーザンは“母も同然”なんだ。僕は彼女には逆らえないよ」
「だからと言って、違法薬物の栽培も使用もロキアでは禁じられています。
彼女の温室への立ち入りを許可してください」
フィリップはヴァルクをまっすぐに見返した。
拒否でも承諾でもない。その無表情が、むしろ異様だった。
そこへガルドが駆け込んでくる。
「団長!見つけました!」
「……早かったな」
「許可はまだ下りてないよ?」
フィリップが挑発するように言う。
ヴァルクは一瞥だけ返し、静かに告げた。
「残念ながら、すでに違法薬物の栽培を確認した。
よって――王家直轄騎士団の名において、これより差し押さえる」
フィリップは狼狽するでもなく、ふっと笑った。
「……なら、仕方ないね」
興味がないかのような口ぶり。
その奥にある本心を、アメリアはまったく読み取れなかった。
(彼は……一体どういうつもりなの?)
母代わりだという男爵夫人を庇う気配もなく、麻薬漬けの父を救おうともしない。
そこにいるのは、いつも兄ダリオンの友人として明るく振る舞っていた男とは別人だった。
***
温室に向かうと、すでに騎士たちが待機していた。
入口の前には、気配を消すようにマリアが立っていた。
「君が案内したんだ……」
フィリップは嘲るように彼女へ声をかける。
「ま、君にはスーザンはいらないよね」
「いらないだなんてっ!私は……」
反論しようとしたマリアは言葉を詰まらせた。
フィリップは深い溜息をつく。
「どっちだっていいさ。僕には関係ない」
感情が欠落したような言い方だった。
騎士団は麻薬成分を含む植物をすべて押収していく。
だが、温室の中にはまだ見たこともない植物が生い茂っていた。
「これをすべて調べるとなると……大変だな」
「専門家を呼ぶ必要があるな。どれくらいかかりそうだ?」
「王室の研究施設に植物学者がいるらしい。急がせても、到着は明日の朝になるだろう」
ガルドとヴァルクの会話を聞きながら、アメリアは温室を見渡した。
奇妙な葉、奇怪な花。どれも見たことがない。
この中に――アレクサンダーを殺した毒物もあるのだろうか。
もしそうだとしたら。
男爵夫人はいったい何を考えているのだろう。
娘が王宮に嫁いだというのに、なぜアメリアやヴァルクを危険に晒す必要があったのか。
美しく神秘的な花々。その奥に潜む禍々しさが、男爵夫人の姿と重なって見えた。




