三十一話 毒味
予定どおり事が進んだヴァルクとは対照的に、アメリアの気持ちは沈んでいた。
男爵邸に戻ったあと、男爵夫妻とマリアと共に夕食の席についた。出された料理はこの数年で味わってきた最高級のものと比べても引けを取らない。
それなのに…
美しく霜の降りた牛肉も、彩り豊かな見たことのない野菜のサラダも、どれ一つとして口に運ぶことができなかった。
「お口に合わないですか?」
男爵夫人の問いかけにアメリアが答える間もなくヴァルクがもっともらしい回答をする。
「遠乗りで日差しを浴びすぎて、暑さにやられたのです。
せっかくの料理を味わえず申し訳ない。」
そう言うと、アメリアの前の肉をナイフで切り分け、自分でひと口食べて安全を示し、さらに小さく切った方をアメリアの口へと差し出した。
突然の行動に驚いたが、ヴァルクが口にしたのを見てようやくアメリアも食べることができた。
——男爵夫人がどんな植物を育てているか分からない。食事に毒が入っていたら……。
彼女に食事の様子をじっと見つめられると、まるで毒を喰らうのを待っているようで、喉が塞がれたように食べることが出来なかった。
そんな考えをヴァルクにはすべて見抜かれていたのだろう。
「じ、自分で食べられます」
そう言って肉を口に運ぶアメリアを見て、ヴァルクは優しく微笑む。
その微笑ましい様子を見ていた侍従たちは、思わずため息を漏らした。
「凄く美味しいですわ」
「気に入っていただけて良かったです。ですが体調が優れないようでしたら、無理なさらず。冷たいスープを用意させましょう。」
侍女が鍋から白く艶めく冷製スープをそっとすくい、器へと注ぐ。
「これは美味しそうだ。私にもお願いできますか?」
ヴァルクの器にも同じ鍋からスープが移され、彼はためらいなく口へ運んでみせた。
それが毒味だと分かるので、アメリアは胸が痛くなりながらもスープを飲んだ。
「美味しい……疲れた身体に染みますわ」
アメリアが食事を口にしたことで、男爵はほっとした様子だった。
その後、ヴァルクはこの地の美しさや環境の良さについて饒舌に語り、まるで用意された台詞を読み上げるように会話を進める。
それを満足げに聞き入る男爵夫人を見て、アメリアの胸にはいつまでも小さなモヤがかかったままだった。
***
食事が終わると、ヴァルクに部屋へと誘われた。沈んでいた気持ちが少し高鳴り、意気揚々と部屋へ入る。
しかし、ヴァルクは少し怒ったようにテーブルにサンドウィッチを置いた。
「パンは食堂からくすねた。肉は騎士団の保存食だから安心しろ」
「い、いえ……今日はもう、お腹いっぱい——」
「そんなわけないだろう。君がまともに口にしたのは、俺が小さく切った肉を数切れと、目の前で開けられたワイン、そして皆の前でよそわれたスープだけだ」
「し、しっかり見てるのね……」
「男爵も夫人も……マリア妃も、皆不審がっていたぞ」
「でも、あなたがうまく誤魔化してくれたじゃない。遠乗りで暑さにやられたって。
それに、あなたがあんなにお喋りだとは思わなかったわ」
「君が明らかにおかしかったから、そうせざるを得なかったんだ。……わかっているだろ?」
声の端に怒りがにじむ。
もちろん分かっている。もっと自然に振る舞うべきだった。
だが、攫われたとき嗅がされた薬のようなものも、アレクサンダーを殺した毒も、全てスーザンとつながっている可能性を思うと——何かを口にする勇気が出なかったのも事実だった。
「とにかく、ちゃんと食べてくれ。」
その懇願するような声に観念し、アメリアはサンドウィッチを手に取って頬張った。
噛むほどに麦の甘みが広がり、硬い干し肉の塩気が疲れた身体に染みる。次第に少し元気が湧いてきた。
「美味しいわ。噛みごたえがあって、すぐお腹いっぱいになりそう」
「ふっ、良かった」
安心したように優しく笑いながら、ヴァルクは食べているアメリアをじっと見つめ続け、何度も「見ないで」と言う羽目になった。
***
「今日も一緒に寝るか?」
「ごほっ、ごほっ……!
な、なに言い出すのよ?!」
満腹で朦朧とし、隣で並んで座るヴァルクにもたれかかっていたところへの突然の爆弾発言に、アメリアは跳ね上がった。
「冗談だ。寝そうだったからな」
「じょ……冗談」
「そろそろ部屋まで送ろう」
立ち上がるヴァルクに、アメリアはそっと近づく。
「いいわよ。……一緒に眠りましょう。
あなたと一緒だと安心して、よく眠れるもの」
挑むように正面に立つと、ヴァルクは一瞬目を見開き——そして小さく笑った。
「安心……なるほど。確かにそうだな」
そう呟いた次の瞬間、アメリアは抱き上げられていた。
「きゃっ——!」
「君は怖くて食事もできないほどだ。……一緒に寝た方がいいかもな」
そのまま足早に寝室へ運ばれ、ベッドへどさりと下ろされる。
心臓が激しく打ち、呼吸が落ち着かない。
「あ、あの……」
「だが、今日は手を握るだけでは済まないかもしれないぞ」
視線がぶつかる。
灰色の瞳はまるで狼のように鋭く、嘘の影がなく、引き込まれる。
——望むところよ。
声にならない声を飲み込み、アメリアはそっとヴァルクの唇に指を当てた。
「部屋に戻ります」
「ふっ……それがいい。部屋まで送ろう」
優しく細められた瞳に胸が熱くなる。
アメリアは首に腕を回した。
「明日も……一緒にいてくださいね」
「ああ、約束だ」
アメリアの甘えるような視線にヴァルクは自然と唇を重ねた。
首に回した腕に力を込めると、口付けも深くなっていく。
ようやく唇が離れると、お互いから熱い吐息が溢れた。
「…これ以上はやめよう」
ヴァルクは唸るように呟いた。
「クソッ…なんで俺はこんな場所に連れてきたんだ…」
苛立つ様子のヴァルクにアメリアは悪戯に成功した子どものように笑った。




