二十四話 乱れ
抱きしめられた背中にじわりと汗がにじむのを感じ、アメリアはそっとヴァルクの腕から身を離した。
「そ、そろそろ……シンシアたちのところに行きますか?」
逃れようとするアメリアを、ヴァルクはもう一度強く抱き寄せた。首元に顔を埋め、低い声で囁く。
「我慢しなくていいと言っただろう」
「い、言いましたけど……」
息が触れるほどの距離。
心臓の音が聞こえてしまいそうで、不安になるほど近い。
横目でそっとヴァルクを見ると、わずか十センチもない距離で視線が絡む。
灰色の瞳に吸い込まれそうだと思った瞬間――狼のように素早く唇を奪われた。
ソファに倒れこむように横たえると、ゆっくりと唇が離れ、熱を帯びた視線が重なる。
二年ぶりのキスは、互いの空白を埋めるように切なさだけが募っていった。
誰も言葉を発さないまま、ヴァルクがさらに近づく。
アメリアは応えるように彼の首へそっと腕を回した。
――どれほど時間が過ぎただろう。
無我夢中でキスに応えていたのに、ふと冷静な思考が戻りはじめた時、ヴァルクが突然アメリアの腕から身を離した。
「そういえば、お前……なんでそんな格好をしてるんだ?」
瞬きをしてヴァルクを見つめ、それから自分の服を見下ろす。
白いドレスは胸元が大きく開き、細い肩紐が背中でクロスし、露出も多い。
「それは……暑いですので」
本当は――二年の空白が、どれほど自分を美しくしたか見せつけたかった。
だが口が裂けても言えず、もっともらしい嘘をつくと、ヴァルクは眉間に皺を寄せた。
「確かに暑いが、こんな姿は皆の目を奪うからやめてくれ。なんでもいいから着替えてくれ」
アメリアを組み敷いたままの真剣な声。
アメリアはヴァルクの頬を両手で掴み、身体を起こすと噛みつくようにキスを落とした。
***
アメリアとヴァルクがジオの部屋を訪れたのは、それから一時間以上あとだった。
アメリアは麻の緑のロングドレスに着替えていた。胸元は詰まっているが、肘までの袖が風に揺れ、火照った肌をひんやり冷ましてくれる。
「シンシア」
声をかけると、大きなテーブルで地図を広げていた三人が顔を上げた。
「仲直りしたのか?」
シンシアの問いに、アメリアはぎこちない笑みで返す。
隣ではヴァルクが黙ってガルドの側に立ち、いつも通りの表情で話し始めていた。
「あれ?着替えたのか?」
「え、ええ……その、ちょっと涼しくなってきたから」
曖昧な返答に、シンシアが不思議そうに首をかしげる。
「アメリア様」
「――あら、シーリーン。どうしてここに?」
「私が呼んだんだ!飲み物を用意してもらいたくてな。」
「そう、ありがとう」
シーリーンは会釈すると、アメリアの耳元でそっと囁いた。
「お髪とお化粧がかなり乱れております。奥でお直ししましょう」
「えっ……!」
アメリアの顔が一気に熱くなる。
しかしシーリーンは表情ひとつ変えず返事を待っている。
「わ、わかったわ。シンシア、少しお手洗いに行ってくるわ。またあとで話を聞かせてね」
部屋を出ると、アメリアは慌てて小声で尋ねた。
「そ、そんなにひどかったかしら? 鏡は見たつもりなのだけど……」
「……どうぞ」
手鏡を受け取り覗きこむと、アメリアは息を飲んだ。
口紅はほとんど落ち、丁寧に整えた髪もところどころ絡まっている。
(……こ、これは酷い……!)
姿見では服だけ確認し、顔まわりを完全に忘れていた自分を思い出す。
頬がさらに赤く染まった。
「……その、暑くて落ちちゃったのかしら……」
「承知しました。こちらでお直しいたします。どうぞお座りください」
淡々としながらも、事情を察したような気配。
別室で髪を整えてもらい、淡い桃色の口紅を引かれ、剥げていた白粉をキレイに補われる。
出来上がりを確認すると、シーリーンはやわらかく微笑んだ。
「アメリア様とヴァルク様は、とてもお似合いです」
シーリーンはこの二年、ずっと傍で仕えてきた。
前世での彼女の人柄を知っている分、アメリアにとっては数少ない“心配のいらない相手”だった。
誰が裏切るかわからない状況の中では、彼女を側に置く心配よりも安心の方が遥かに大きかった。
シーリーンと共にジオの部屋へ戻ると、ジオの苛立った声が響いた。
「なんで俺がそんなとこに行かないといけないんだよ!」
「だから、何度も説明しただろう?
モリス侯爵領のこの地域が、最近狼の被害で困っている。諸々理由があって、俺たちが駆除を担当することになったんだ。出来れば最小限にしたいから、お前らの力を借りたいって――」
「野生の狼と一緒にするな!」
「だけど狼を従わせることなら出来るだろ?山の狼も数が減ってるし、他の地域の狼を仲間に加えたっていいんじゃないか――」
ガルドとジオの押し問答に、シンシアが助け舟を出す。
次の任務でジオの力が必要らしい。
「協力できないなら仕方ない。
悪いがシンシアは連れて行く…またアメリアの警護を頼む」
黙って聞いていたヴァルクがそう言い、戻ってきたアメリアの前に立つと困ったように笑った。
「すまない。また任務で行かなくてはならない。ジオは置いていくから心配しないでくれ」
「ちょっ、ちょっと待て!!」
ジオが慌ててアメリアとヴァルクの間に割って入る。
「シンシアを連れて行く?その任務はガルドとシンシアで行くのか?!」
「シンシアの部隊から何名か合流する。だが中心になるのはガルドの第三部隊だ」
「そうじゃなくて――お前は?!行くつもりなのか?」
「……ああ、公爵領には気になることもあるからな」
沈むジオの横顔を見て、アメリアはふと思いついた。
「私も行きたいです!
モリス公爵領なら、ダリオンお兄様もよく訪れているので安全ですよね?」
「そ、それなら俺も行く!!」
アメリアに被せるように、ジオが勢いよく身を乗り出す。
ヴァルクは眉を寄せると大きく溜息を吐いた。




