二十三話 書けない手紙
「うーん、上手い! このパウンドケーキっていうのは最高だな」
料理長お手製のカカオのパウンドケーキを頬張りながら、シンシアは嬉しそうに笑った。
アメリア、シンシア、ヴァルク、そしてガルドのためだけに用意された数々の茶菓子と紅茶――その中で一番楽しんでいるのは、どう見ても彼女だった。
アメリアは、大きな体をぎこちなく丸めて座るガルドへそっと声をかける。
「エインハルト卿も召し上がってくださいませ。甘いものはお嫌いですか?」
「いえ、とんでもない! ただ……見慣れないものばかりで。それに、このティーカップなど、私が持ったら割ってしまいそうで」
指先でつまむようにカップを持ち、恐る恐る紅茶を啜る。その慎重すぎる姿が可笑しくて、シンシアは堪えきれずケタケタと笑った。
「ガルドにはジョッキを用意してあげてくれ」
「うるさい。お前だって最初は同じようなものだっただろう? しばらく王宮で暮らせたからって、偉そうにするなよ」
「ふふっ、確かに。シンシアなんて、ひととおり全部やらかした後だもの」
「そうか? 私よりジオの方が――」
「ジオは意外と常識人だったわよ」
シンシアは天井を仰ぎ、しばし考え込んでから「たしかに」と呟いた。
それまで黙っていたヴァルクが、ようやく口を開く。
「ジオは、今どこにいる?」
「ヴァルクに会いたくないって言って、部屋に戻ったぞ」
「……そうか」
「なんだよ、あいつ。まだシンシアが騎士団に入ったことを怒ってるのか? 何年経つと思ってるんだ」
ガルドの深いため息に、アメリアは首をかしげる。
ジオはシンシアが別任務で王宮を離れるときも、いつも淡々と留守を預かってくれていたからだ。
「ジオは、そんなことで怒ったりしませんわ」
アメリアがそう言うと、シンシアは静かに頷いた。
「あいつはああ見えて、ヴァルクには感謝してると思うぞ。
ノルディアで土地を得て普通の暮らしに馴染んでいる者も多い。騎士団に入ったり、ジオと一緒に残った連中のように“暗殺”を生業にできるほど腕の立つ者ばかりじゃないからな。
普通の人として、豊かに、安全に、子どもたちが大きくなれる場所で暮らせる――
それはあのまま山で生きていたら与えられなかったものだから」
「そうよね、ジオもシンシアから街で暮らしている方達の話を聞くときはとても嬉しそうだもの!」
「…ずいぶんジオのことが分かっているんだな」
ヴァルクはなぜかシンシアを無視し、アメリアだけを見てそう言った。
ほんのわずかに棘を含んだ声音。
けれど言ってしまってから、その棘に自分で気づいたのだろう。
彼はすぐに目を逸らし、カップの縁を指でなぞる仕草で誤魔化した。
無理もない――この二年間のほとんどを、アメリアはシンシアやジオと共に過ごしてきた。
時間にすれば、ヴァルクよりずっと長い。
(――嫉妬してるのかしら?)
俯くヴァルクを見た瞬間、胸がきゅっと掴まれるように痛んだ。
それと同時に、またしても怒りがぶり返してしまう。
(自分はまともに会いにも来なかったくせに、一丁前に嫉妬するなんて――どういうつもりなのかしら。)
「それは仕方ないわ! だって彼とは四六時中一緒にいたんですもの!!」
自分でも驚くほど棒読みになった声に、顔が熱くなる。
だが、その言葉は意外にもヴァルクの胸に深く刺さったようだった。
顔を上げた彼の瞳は、想像以上に悲しげで、まるで大きな捨て犬のようだった。
その表情に、今すぐ謝りたい衝動に駆られる。
「アメリア様、団長が今回王都まで来たのは、街道の完成が輿入れまでに間に合いそうだからなんです」
「えっ」
「もちろんノルディアの人力だけでは到底間に合わないので、他の領地からも多く力添えをいただいています。そのため各地で起きる問題も、団長が解決するために動かねばならず……なかなか殿下に会いに来ることが叶わなかったのです」
ガルドは、ヴァルクを庇うように、普段からは想像できないほど丁寧な口調で説明を加えた。
「そ…そうだったんですね…わかります。ヴァルクが忙しいのは。でも……手紙の返事くらい、書いてくださっても良かったじゃないですか?」
かすかに震えた声で訴えると、ガルドは目を見開いた。
「お、お前! 手紙の返事も書いてないのか?!」
「そ、そんなことは! その……俺は書いていないが、ハロルドに適時ノルディアの状況は知らせるように頼んである」
「いや、それはダメだろう! 俺でもわかるぞ!」
ガルドの容赦ない指摘に、ヴァルクは口を閉ざした。
睨むガルドと、涙目のアメリアを交互に見て、ひとつ深いため息をつく。
「とりあえず! ふたりで話してください!
シンシア、今後のことで相談がある。ジオのところへ行くぞ!」
呆れたように立ち上がったガルドは、そのまま部屋を後にした。
シンシアは慌てて焼き菓子をかき集め、アメリアに目配せしてから後を追う。
ふたりきりになったというのに、部屋の空気は重いままだ。
どちらが先に口を開くのか――沈黙を割ったのは、ヴァルクの深い呼吸だった。
「すまなかった……そこまで手紙を心待ちにしているとは思わなくて。
言い訳だが、手紙はすべて読んだ。ただ、返事を書けなくて……」
「なんでもよかったんです。元気か?とか……なんでも」
「すまない……字は、あまり得意じゃないんだ。
まったく書けないわけじゃないが、汚い上にちゃんと文章になっているか自信がない。
何度も返事を書こうとしたんだが、どうにも上手くいかなくて。
君のように、読んで楽しくなるような手紙を書きたかったんだが……」
申し訳なさそうに肩を落とすヴァルクを見て、アメリアは彼の告白を思い出す。
まともに教育を受けられなかったこと。捨てられた本を拾って文字を覚えたこと。
そんな彼が返事を書けず、惨めな思いをしなかっただろうか――
そこに思い至れなかった自分が、心底情けなくなる。
「ごめんなさい……自分のことばかりで、全然ヴァルクのこと考えられてなかったわ」
「いや、謝ることはない。文字すらまともに書けない俺が悪い」
アメリアにしか見せない彼の弱さは、いつも彼女の胸を締めつける。
どうして、彼はこんなにも自分を信じてくれるのだろう。
「それに……会いに来なかったのは、忙しかったせいだけじゃない。避けていたのもある」
「避けてた?」
「物理的に距離を置いた方が……我慢する必要もないから、楽だろう」
意味が掴めず首を傾げると、ヴァルクは穏やかに笑った。
「綺麗になったな」
その一言で、彼が“何を”我慢していたのか悟り、アメリアの顔は一瞬で熱を帯びた。
「……手紙の返事は要りません。
我慢なんてしなくていいから……会いに来てください」
小さく呟いた声が届いた瞬間、ヴァルクは立ち上がり、テーブル越しにアメリアを抱き寄せた。
逞しい腕が背中を包み込んだ瞬間、胸いっぱいに熱がこみ上げ、頬を涙が伝っていく。




