十七話 祈り
「思い出したか?」
「ええ、その…」
ヴァルクに結婚すると宣言したあの日——。
言い残した言葉を、この場で伝えるべきかどうか。迷いが喉につっかえた。
あの日は、婚約の儀の前日に答えを求められ、勢いのまま言葉を紡いだだけ。
だけど途中で遮られ、本当に言わなくてはいけないことは、まだ伝えていない。
この話をしたら、きっと奇妙だと思われるだろう。
それでも——いつか訪れる“その日”のために、言っておきたかった。
「…変なことを申し上げますが、よろしいですか?」
「急にかしこまったな。いつも変なことを言ってるような気もするが…」
「ゴホッ……あの、婚約して……結婚して……その先。
もしいつか、私が“いまの私”ではなくなったとしても……どうか、信じていてほしいのです。
……アメリア・ド・ロキアは、決してあなたを裏切りません。」
ヴァルクの瞳を見ることができなかった。
きっと、何を言っているんだと思われている。
それでも、いつか——
本物のアメリアと再び邂逅する日は来るだろう。
この身体はアメリア様にお返すべきものだ。
だけど、もし、国を救えたことを讃えていただけるのなら、彼とともに生きて欲しいと願おう。
幼い日の恐れが消えるほど、彼の誠実さを語りつくして。
きっとアメリア様も彼を愛するようになるだろう。
——そして、その未来を信じながら、この二度目の人生を締められれば、どれほど幸せだろう。
「……それが、結婚する条件です」
「……わかった」
いつもの低い声で、まるで当たり前のことのように言われた。
「え?」
「そんなことでいいのか?」
「え、は……はい」
あまりにあっさりした返事に拍子抜けして、思わず隣を歩く足が乱れる。
「アメリアも……衰えることを気にするんだな」
「は?」
「歳をとって、見た目が変わることを気にしているんじゃないのか?」
「ち、違います! そういうことではなくて……見た目とかではなく、もっと……内面の、というか……私であって私でなくなると言いますか…」
どうにか伝えようと必死に話すと、ヴァルクは「ああ」と頷いた。
「そういえば……ガルドも言っていたな。
奥方が子どもを産んだ瞬間、不動の一位は子どもになったと。
夜中に戦場から戻っても、子を起こすなと怒られるらしい。
みんな頷いていたから、母親とはそういうものなのだろう」
(……だめだ……今度は完全に“妻は母になると変わる”話だと思っている……)
沈む胸とは対照的に、ヴァルクは珍しく饒舌で、どこか楽しげだ。
騎士団で聞いた夫婦の話を、まっすぐな声音で語りながら。
その姿を見ていると、ほんの少しだけ期待してしまう。
——アメリア様との未来が、そんな単純で、優しく、温かいものであることを。
たとえその未来にいるのが、自分ではなくても。
ロキア王国が滅びず、ノルディアが平和で。
ヴァルクも戦に追われることなく——
アメリア様と、いつか子どもも共に、穏やかに暮らす日が来ますように。
そんな日が来たら、自分もきっと、何の未練もなくなるだろう。
ヴァルクの横顔を眺めながら、いずれ訪れるかもしれない未来を想い描いた。
微かに軋む胸の痛みには——気づかないふりをするしかなかった。
「ヴァルクは……子どもは欲しいですか?」
「子どもか……どうだろうな。考えたこともなかった」
「どうしてです?」
「そもそも、誰とも結婚するつもりがなかったからな」
「では私は運が良かったですわね」
「……誰かの命を背負うのは、自分には荷が重いと思っていた」
遠くを見る横顔は、亡くした家族を思い出しているようだった。
「騎士団長で、ノルディアの領主なのに……ですか?」
あえて軽くふざけて言うと、ヴァルクはわずかに笑った。
「それもそうだな……権威は手に入れたかったのに。
本当に大事なものを守り切る自信は……なかったのかもしれない」
「まあ!私のことは守ってくださるんじゃありませんでした?」
楽しいはずの会話がふと途切れたことに気づき、ヴァルクを見る。
彼の眼差しは、どこか悲しげだった。
「守るよ、必ず。
——どんな困難からも」
その声音は、誓いというよりも祈りのようで。
アメリアは何も言えず、そのまま彼の隣を歩き続けた。
ーーどうか。
この国に滅びの日が訪れませんように。
決して彼の耳には届かない祈りを何度も繰り返した。




