#2 仕事をクビになった
おやつ時の陽射しが窓から差し込むカフェーの店内は、客の笑い声と食器の触れ合う音で満ちている。カウンターの奥には曲線的な装飾の施された棚があり、そこにオニロガルドから輸入された茶葉がならんでいる。異世界の様々な種類の紅茶が飲めると、この店は川崎でも評判の場所だ。
この世界の人間たちはもちろんのこと、窓際の席では、長い耳を持つエルフの女性たちが紅茶を楽しんでいるし、カウンター席では猫耳と尻尾を持った少女がケーキをつついている。
わたしが今暮らしている川崎の街は、こんな風に人間だけでなくエルフや獣人といった異世界の住人達も当たり前のように生活している。
そして、わたしはそんな街でそれなりに人気のあるカフェーで給仕の仕事をしていた。
「はいよ。お待ちどおさま」
老婦人のテーブルにカレーの皿を置く。湯気が立ち上り、スパイシーで芳醇な香りが広がった。オニロガルドから輸入された香辛料を使った、この店の人気メニューだ。
「ありがとう」
客の礼に、わたしは軽く頷いて、次の客に向かう。
「紅茶のお代わり、お待ち」
窓際のエルフの席に紅茶を運ぶ。ギムネマ・シルベスターという変わり種だ。わたしは飲んだことがないから詳しく知らないけれど、飲むと一時的に甘味を感じなくなるらしい。
「ありがとう。ダイエットの時はこれが一番いいのよ。お菓子を食べすぎずに済むからね」
エルフの女性がにこやかな表情でカップを手に取る。
「ありがとう、お嬢さん」
「ああ。ごゆっくり」
わたしは短く返事して、踵を返す。
――ダイエットしたいなら、単純に菓子を喰わなきゃいいのに。
そんなことを思いながら、わたしは次の仕事に取り掛かる。
何組かの客の空いた皿を回収して、一度カウンターに戻ろうとした時だった。
同僚がオークの男性客に絡まれているのが見えた。
オークは豚のような顔に、太い腕、筋肉質な体躯を持つオニロガルドの亜人だ。種の傾向として、普通の人間より力と性欲が強く、粗暴な者が多い。
「姉ちゃん、俺と遊びに行かねえか?」
オークはニヤニヤと笑いながら、同僚に迫っている。
「仕事中ですので……」
同僚は困った顔をしながら、どうにか注文を取ろうとしていた。
「あの、ご注文は……」
「あー? 注文? 何でもいいぜ、そんなの。それより、姉ちゃん、いつ仕事終わんだ?」
オークはしつこく食い下がっているのを見て、わたしは思わず眉をひそめた。さすがにだいぶウザい。同僚はどうしようもなくなって、給仕服のスカートのすそをぎゅっと掴みながら、俯くばかりになっている。
「……ったく、しょうがねえな」
舌打ちして、わたしはオークと同僚の間に割り込んだ。
「おい」
「あ? 何だお前?」
「そんなに女と遊びてえなら、わたしが遊んでやるよ。もちろん、全部あんたの奢りでな」
「はぁ? お前みたいな貧相な女に興味ねえよ。ガキみてえな身体してるくせに、何イキってんだ? 邪魔すんなら、痛い目見るぞ?」
オークが立ち上がり、わたしの肩に両手をかけようとしてきた。
わたしはその手をがしっと掴むと、声を低くする。
「おい……あんた……今、わたしのこと……何つった?」
「え、いや……」
「貧相な女? ガキみてえな身体?」
オークの両手を強く握りしめながら続ける。そして、オークの腕を引っ張って身体を引き寄せ、その勢いを利用して顔面に頭突きを浴びせる。
「うぐぅっ!?」
よろめいたオークが鼻血を吹き出しながら後ろに倒れこむ。テーブルに激突し、テーブルと椅子がオークの重みで真っ二つに割れた。
「てめぇ、わたしの胸が断崖絶壁みてぇだと!?」
怒りに身を任せて、わたしはオークに馬乗りになる。
「え!? そこまでは誰も……」
「確かに聞いたぞ、コラッ!」
「ちょっ、ちょっと待て! 落ち着け!」
「落ち着いているわ! このっ! ボケがっ!」
わたしはオークの顔面に何度も拳を叩き込む。
「ぐぺっ……」
やがて、オークは小さなうめき声を漏らして気を失った。
わたしは立ち上がると、荒い息をつきながらオークを見下ろした。
「ふん。一昨日きやがれ」
「いや、何やってんだ、お前!」
と、突然怒号と共に、わたしは背後から何者か――というか、間違いなく店長――に頭を掴まれ――。
勢いよく顔面をテーブルに叩きつけられた。
「痛ってぇな! 何すんだクソババア!」
わたしが顔をあげて店長を睨むと、店長もわたしを睨み返す。店長の顔には思わず気圧されるような迫力があった。店長はかつて女性でありながら陸軍に所属していたこともあると聞いたことがあったけれど、その話はあながち嘘ではなさそうだ。
「とうとうやりやがったな! お前が暴れるから店の中がめちゃくちゃじゃねぇか! もういい! お前はクビだ!」
わたしは店長に胸倉を掴まれ、カウンターの裏へ引きずられると、そのまま、裏口からゴミ捨て場に放り投げられた。
「その給仕服はくれてやる。二度とこの店に顔を出すな」
……また、やっちまった。
わたしはゴミに埋もれながら、ため息を吐くことしかできなかった。




