林護町ダンジョン⑥水と風のダンジョン
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本日は七夕。
スーパーなどには笹と短冊が用意されており、願い事をかけることができる。浮き輪を購入するついでに、ダンジョン調査が上手くいくように短冊を飾ってきた。織姫と彦星に願ってきたのだ、今日のダンジョン調査は上手くいことが保証されたもの。
さあダンジョン調査に向かおう。
ピチャピチャ。
林護町ダンジョンWに足を踏み入れた二人は早速足元が水に浸かる。
ダンジョンの中はまるで神殿のような雰囲気。厳かさと足首まで水没している景色は神秘的であった。
水没に関しては事前に情報を得ていたので、水に濡れても問題ない靴を履いている。
蘇鳥は冒険者用の専用靴だが、氷織はビーチサンダル。これが余裕の違いだ。ダンジョンの中にある水とはいえ、水はただの水。特別なものではない。直接肌に触れてもまったく問題ない。
実力があるならビーチサンダルだろうが探索に支障はない。
他にも、水を弾く服を着ているので、耐水については問題ない。冷たい水で体力が奪われるなんて事態は起こらない。
「さて、浮き輪の出番ですか」
ダンジョンに入る前に浮き輪は膨らませている。昨日決めた作戦に従って、蘇鳥は浮き輪に体を預ける。
用意した浮き輪は一般的な丸いもの。氷織はイルカやハート型の浮き輪を所望したが、さすがに却下した。ダンジョンで浮き輪を使っているだけでも恥ずかしいのに、バランスの悪い浮き輪を使って余計な体力を使いたくない。丸型の普通の浮き輪一択だ。
「乗った?」
「おう、いい感じに乗れたぞ。引っ張ってくれ」
「行くよ」
氷織が浮き輪から伸びている紐を引っ張って、ダンジョンの移動を開始する。
「おっ、おお、進んでる、順調に進んで……る?」
当初の目論見通り、蘇鳥が乗った浮き輪はスイスイ進む。しかし、問題がないわけではなかった。
蘇鳥が浮き輪に均等に座っていると、いい感じに水に浮いてくれるのだが、少しでもバランスを崩すと、浮き輪の底がダンジョンの地面をこする。
ダンジョンに張っている水の高さは5センチ程度。少し傾くだけで浮き輪がこすれる。
抵抗が増えると氷織の引っ張る力も増える。ちょっとだけ氷織に負担を強いることになる。とはいえ、蘇鳥もバランスを保つのは難しい。地面をこすらずに進むのは困難だった。
しかも、このダンジョンの面倒な要素は水だけではない。
「風、くる」
ゴオオオオオオッ!
どこからともなくダンジョン内に強風が吹く。
蘇鳥は浮き輪を必死に掴んでバランスを崩さないようにするだけで精一杯。氷織を気に掛けることはできない。
しかし、当人はどこ吹く風。強風もなんのその。
「髪乱れた、サイアク」
氷織は浮き輪の紐を持っているし、モンスターにも警戒しないといけない。強風が吹いたからと言って、髪を抑えるわけにはいかない。
そうなると、強風で髪はボサボサになる。手櫛で簡単に髪を整えているが、完全には元通りにならない。せっかくセットしてきた髪型が台無しだ。
冒険者といえど、女性だ。ダンジョンの中でもルックスにはこだわりたい。そんな不機嫌さが上昇している氷織の前にモンスターが現れる。
「邪魔っ! アイスランス、アイスランス、アイスランス」
イライラしている氷織の前にモンスターが現れるが、腹いせに何度もアイスランスを叩き込まれる。何本もの氷の槍がモンスターに突き刺さる。執拗な攻撃によりモンスターの氷像が出来上がる。とっくの昔にモンスターは息絶えている。
「……やっべぇっ」
その様子を見て蘇鳥は絶対に氷織を怒らせないようにしようと誓うのだった。
ちなみに、出現したモンスターはアイアントータス。水海村ダンジョンに出現したハードトータスの上位互換のモンスター。
ハードトータスよりさらに硬い甲羅を持つカメのモンスター。とても硬い甲羅を持つが、移動速度は遅く、攻撃は噛みつきしかない。
氷織からすると雑魚モンスター。ストレス解消にちょうどいい相手だった。
「えっと、氷織さん、大丈夫ですか?」
「うん、問題ない」
「そっか、じゃあ、探索続けよっか」
モンスターの脅威は去った。しかし、新たな脅威が勃発したかもしれない。
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ビリッ。
「ん? 何?」
異変にいち早く気づいたのは浮き輪に乗ってプカプカ浮かんでいた蘇鳥ではなく、浮き輪を引っ張っていた氷織だった。
急に浮き輪を引っ張れなくなった。抵抗が一気に増したことで気づいたのだ。
「マジか。浮き輪、破れたっぽい」
蘇鳥は浮き輪から立ち上がるまでもなく異変を察知する。体を預けていた浮き輪に異変があれば、すぐに察知できる。体が傾いたことで大体の内容を理解した。
「うーん、地面と擦れたのが原因みたいだな。普通の浮き輪じゃ耐久力が低いから仕方ないか」
「イルカさん」
「イルカの浮き輪は買ってません。というか、予備の浮き輪も買ってません。イルカさんとは会えません」
「がーん」
浮き輪という移動手段がなくなった以上、蘇鳥は歩くしかない。
ダンジョンを一度出て、もう一度浮き輪を買い直しても同じように浮き輪はすぐに破れるだろう。根本的に市販の浮き輪では耐久力が足りない。
浮き輪で移動作戦、悪くはなかったが、課題は多かった。蘇鳥が神がかったバランスを取り、浮き輪が地面を擦らないようにすればいいのだが、そんな超人的な技術は持っていない。
ならば、地面と擦れても問題ない耐久力が高い素材で浮き輪を作成すればいい。だが、そんな時間はない。今日中にダンジョンを調べなければならないので、悠長に道具を作成したり、用意する時間はない。
「仕方ない。歩きますか。すまんが、頼む」
「うん、わかった。ここは任せて、先に行って。絶対に後から追いかけるから」
「フラグを立てるな、フラグを。しかもそれ、絶対後から来ないパターンじゃねえか!」
言葉とは裏腹に氷織は先陣を切る。言葉はおちゃらけていても、行動は伴っている。
護衛としての任務に支障はない。
さて、ダンジョンの探索を再開しよう。
「はぁはぁはぁ……」
ダンジョン探索を再開したはいいが、調査は想像以上に難航していた。
というのも、水の抵抗が蘇鳥の想定以上だった。一歩足を踏み出すたびに、水をかき分けないといけない。これが体力を必要以上に奪うのだ。
ただでさえ、ダンジョン探索はモンスターに気を付けなければならない。しかも、蘇鳥は探索だけでなく、調査も必要。その上、時おり吹く強風。
ダンジョンという環境に水と風、蘇鳥の体力はいとも容易く奪われるのだった。
「大丈夫?」
「……もう、無理、体力が……尽きた……」
現在二人がいるのは林護町ダンジョンWの二階層に入ってすぐの場所。探索はまったく進んでない。
探索が進んでいないので、もちろんダンジョンの新しい価値も見つかっていない。というか、調べる余裕がない。
そして、蘇鳥の体力が尽きた以上、これ以上の探索と調査は不可能。ギブアップである。
一方で、氷織には一切の疲れが見えない。体力ゲージは1ドットも減っていないかもしれない。
だが、氷織の体力があっても、ダンジョンを調べることはできない。蘇鳥が力尽きた以上、もう引き返す以外の選択肢はない。
「もう帰ろう。ここを調べるのは無理だ」
「分かった。でも、歩けるの?」
「無理。休ませて」
蘇鳥とて、まだまだ若い。いくらか休憩したら、帰る体力も戻ってくる。それまで氷織に迷惑をかけるが仕方ない。
「おんぶとお姫様抱っこ、どっちがいい?」
「は?」
「だから、おんぶとお姫様抱っこ、どっちにする?」
「えっと、意味が分からないんだが?」
唐突な氷織の言葉が理解できない蘇鳥。
おんぶもお姫様抱っこも、その意味は知っている。だが、その発言の意味するところが捉えられない。
「じゃあ、肩車でもいいよ」
「もう少し説明してほしいんだが?」
「ん、だから、私が運ぶ。休憩する必要ない」
「……あ、あー、そういうこと、やっと理解したわ」
現在地からなら、蘇鳥の体力の回復を待たなくても、氷織が蘇鳥を抱えて運べる。距離が短いので、そっちのほうが早い。
氷織は魔力も潤沢なので、【身体強化】でも使えば、蘇鳥を軽々しくキャリーできる。この提案は理に叶っている。
蘇鳥が恥ずかしい、という感情を除けば。
まあ、もう手遅れか。既に浮気に乗って運ばれたのだ。恥の上塗りをしても大きな違いはないだろう。
蘇鳥は大人しく、氷織に運ばれるのだった。
どの方法で運ばれたのかは、ご想像に任せします。
TIPS
アイアントータス
ハードトータスよりも硬い甲羅を持つカメのモンスター。ハードトータスの上位互換。
移動速度は非常に遅く、攻撃手段は噛みつきしかない。硬い甲羅さえどうにかすれば倒せるモンスター。