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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

奴隷少女の脱走劇

作者: なおい
掲載日:2025/05/15

 ――アイリス・カルミアは奴隷である。


 物心ついた時には母は居なく、父は毎日ギャンブル三昧で、多額の借金を抱えていた。

 そして、父も数ヶ月前に病気で母の後を追った。残されたのは、12歳のアイリスと、多額の借金のみ。

 勿論、子供に借金なんぞ返せるわけもなく、奴隷に堕ちるしかなかったアイリスは、とある御貴族様に買われ、そこで生活することとなった。

 アイリスは驚いた。父の暴力のせいで身体中痣だらけだったというのに······その時は、とんだもの好きも居るものだな、とくらいしか考えてなかった。


 しかしその御貴族様は、アイリスが痣だらけだったから買ったのだ。

 暴力まみれの生活を送ってきた彼女なら、自分のストレス発散にも耐えられるだろうから――。



「うあっ!」


「クソっ!あの平民ども、貴族である俺様に対してなんて口を······っ!」


 男の平手打ちを頬に受け、少女が苦鳴をあげ、抵抗出来ずに床に倒れ込む。

 その一発で、少女の痩せた頬は赤く染まってしまった。しかし、怒り狂う男にそんなことは関係ない。


「クソっ、クソっ!俺様は貴族だぞ!?平民如きが貶してはならない存在だぞ······っ!」


「うぐっ!がっ!」


 倒れ込んだ少女に、男の容赦のない蹴りが2発、3発と襲いかかる。

 男の非道な行為に、しかし少女――アイリスは歯を食いしばり、耐えることしか出来ない。

 それは、自分を買った貴族であるクユリ・クバラの奴隷であるから。


 アイリスの全ての権利は主であるクユリの元にあり、少しでも彼に背けば、アイリスの首に装着されている『縛りの首輪』、それに組み込まれている雷魔法を流されてしまう。

 だからアイリスは、例え殴られたとしても、理不尽を押し付けられたとしても、夜這いを受けたとしても、クユリに逆らう事は絶対に許されないのだ。


「はぁ、はぁ······。おいガキ、いつまで寝転がってるんだ。早く起きて、風呂を沸かしてこい」


「······はい」


 散々アイリスをいたぶっただけでは飽き足らず、ボロボロのアイリスに家事を命令し、クユリが部屋を出ていく。

 まさに極悪非道。しかし、断れば罰を受ける。身体がズキズキと痛むが、風呂を沸かしに行かなくてはならない。


「·······くそ」


 奴隷にされたあの日、悲しさや怖さよりも、安堵が勝っていた。

 やっと、父に怒られ殴られの地獄の日々から抜け出せると、奴隷を買う人の中にも優しい人は居るだろうと、そんな淡い期待を胸に抱えながら、アイリスはクユリに買われた。


 でも、現実はそう甘くはなかった。

 クユリに買われた後の生活は、父と同等――いや、それ以上に地獄だった。

 暴力と労働の毎日。しかもそれがクユリからだけではなく、彼に仕えるメイドや侍女、私用兵団までもがアイリスをいたぶり、日頃のストレスを発散させているのだった。


「あぁそうだガキ、今夜も俺様の所に来いよ。さもないと、分かってるな?」


「······はい」


 もはやアイリスは、屋敷の住人全員から人間として見られていない。彼らにとってアイリスは、都合の良い道具でしかないのだ。


 痛い、苦しい、辛い、逃げたい、――耐えられない。


 だから今日で、この地獄の日々を終わりにしてやる。




☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓




「おぉ、来たか」


 夜10時、アイリスがクユリの部屋を訪れる。

 この下衆な顔のクズ野郎の夜の相手になってやることも、奴隷として命令された事だ。勿論、断ることは出来ない。


 ――コイツが生きていれば。



「死ね」


 アイリスの怒りの謀反が始まった。


 まずは『縛りの首輪』を攻略する為、クユリの命を狙う。

『縛りの首輪』は、奴隷を買い、契約を結んだ主が「罰しろ」と命じることによって効果を発揮する。

 だからこそアイリスは、夕食準備中に調理場から盗み、後ろで手を組んで隠し持っていた包丁を、渾身の力を込めてクユリの首を突き刺しにかかる。

 やせ細った身体の、ぎこちない体術。しかし、憎悪と生存本能が、この一撃を強力なものへと作り変える。


 しかし――、


「ぐっ!」


 間一髪の所でクユリに躱され、与えられたダメージはかすり傷のみ。勿論、致命傷どころか、動きを鈍らせることすら出来ない。

 そして、一撃が失敗に終わってしまえば、クユリの意思ですぐに雷魔法を発動されてしまう。クユリ自身もそれが分かっているからこそ、生意気な謀反者を罰しようと口を開き――、


「ば」


「さよなら、クソ野郎」


 次の瞬間、アイリスが投げつけた赤色の小さな石がクユリの額を直撃し、強烈な光を発して爆ぜた。

 それは、包丁での奇襲が失敗した時用の保険案、同じく調理場から盗み出してきた『赤の魔石』による自爆攻撃だ。


 赤の魔石は炎を司っている結晶で、大抵は火を起こす時に活用されている。

 中には魔法で火を起こせる者もいるが、魔法を使える者は500人に1人と言われるほど貴重な存在のため、魔法を使えない人間はこの赤の魔石で火を起こしているのだ。


 そして魔石は、強い衝撃を与えると、結晶内の『マナ』と呼ばれるエネルギーが溢れ出し、爆発してしまうという特徴がある。

 更に小さい魔石の場合、マナ量が少なすぎて、爆発直後に中心部だけ最高火力に達した後、すぐにマナが大気中に散り散りになってしまうという特徴もあるのだ。

 つまりアイリスは、この2つの特徴を利用し、クユリだけを高火力で殺し、自分は弱まった火力で負傷までで留める案を考えた。

 正直、賭けな部分もあったが――、


「はぁ、はぁ······死んだか」


 爆発を間近で浴びたクユリが忌々しい顔を黒焦げにされ、ピクリとも動かなくなってしまった。確認するまでもない、死んでいる。

 それに対し、同じく爆発を食らったアイリスはと言うと、なんとか中程度の火傷で抑える事ができた。

 まぁ、焼け爛れた肌がズキズキと痛むが、12年間の地獄の日々に比べたらましだ。

 それに、痛がっている時間はない。爆発の音を聞きつけた屋敷中の人間が、クユリの寝室に押しかけてくるだろうし、部屋に火が燃え移っている。

 屋敷の人間がこの部屋に着いてしまえば、捕らえられるか、最悪の場合殺されるだろうし、もしくは火炙りにされてお陀仏だ。


 しかし、逃走経路は考えてある。――窓だ。


「······っ」


 窓から身を乗り出し、改めて無謀な逃走経路を確認する。

 クユリの寝室は3階にある為、地上からの高さはおよそ10メートルと言ったところか。普通に落ちるだけではまず助からない。

 だが、入り口から出ていけば、必ず屋敷の人間と鉢合わせてしまう。ここしか、ないのだ。


「怖がってなんて、いられないよね」


 この計画は失敗すればそこで終わりだ。2度と逃げ出す機会は訪れないだろう。

 12年間生きてきて、結局幸せを見ることもなく、地獄から抜け出せないまま生涯を終えるなんて――反吐が出る。

 幸せを掴むためには、今を、乗り越えなきゃ······!


「······はっ!」


 恐怖を意識的に無視し、アイリスが飛び出した。

 一瞬の浮遊感を感じた直後、体が落下し、下から打ちつける風の重みを感じる。

 その重みはどんどん強くなり、その度に地面はどんどん近くなり――ここで、第2の赤の魔石を使用する。


「ぐあぁっ!」


 アイリスが真下に赤の魔石を投げ、爆発を発生させる。

 2度目の爆風を全身に浴び、身体中の火傷を更に深刻なものへと変えていく。

 ものすごく熱い。ものすごく痛い。でも、死ぬほどじゃない、大丈夫、大丈夫。


「あぐっ!」


 そして、()()()()()()()()()、致死量の落下ダメージを激痛止まりで抑える。


 これにて、寝室からの脱出、成功だ。


「ぁっ、ぁぁ······」


 しかしアイリスは、2つの作戦を成功した代償に、甚大な怪我を負ってしまった。

 身体中は痛いし、身体の前部分全域には深刻な火傷を負っていて、血も相当出ている。多分、足の骨1本くらいにはヒビが入っていそうだ。


 ――でも、まだ終わってない。今はただクユリの寝室から脱出し、庭に落ちただけだ。

 クユリ邸の敷地内から出て、追ってこれない様に遠くに逃げなくては。


「行くぞ、私」


 自分を鼓舞し、ボロボロの身体で立ち上がる。

 大丈夫、大丈夫だ。ボロボロでいることなんて慣れっこではないか。


「居たぞ!」「待てー!」


 しかし、アイリスが次の作戦に移行しようとした時、騒ぎを聞きつけたクユリの私用兵団2人に見つかってしまった。

 1人は10年以上クユリに仕えてるベテラン兵士のパーセ、もう1人は風魔法を使うことが出来る兵士のウィッドだ。

 彼らに見つかる前に逃げ出せればベストだったが、見つかってしまった以上仕方がない。幸い、屋敷の人間に見つかることの想定はしてある。


 この地獄から逃げ出す為だ。どんな手を使ってでも、必ず乗り切ってみせる――!


「っ!」


 まずアイリスが取った行動は、あたかも走って脱出しているように見せかける為に、外壁目掛けて全力疾走することだ。

 勿論パーセ達は追ってくる。しかも相手は大人の男2人、かえってアイリスは火傷だらけ怪我だらけだ。足の速さではまず勝てないだろう。


 パーセ達にとってアイリスは、奴隷だと見下し、散々暴力を振るってきた女の子供。しかも今目の前にいるアイリスは、血だらけ火傷だらけでボロボロではないか。

 パーセ達からしたら、負けるはずのない追いかけっこだ。――その油断を、思う存分に利用させてもらおう。


「捕まえ――」


 足の速いパーセにものの数十秒で追いつかれ、首根っこを掴まれそうになった瞬間、パーセの足元が陥没し、真っ逆さまに落ちて行った。

 これは、対屋敷の人間用にアイリスが設置してあった落とし穴だ。今日の昼、クユリに庭の手入れを命じられた時に仕組んでいた。

 落とし穴の底には、クユリが趣味で植えている果実の木、その枝を尖らせたものを何本も刺している。殺すとまではいかないだろうが、落ちた時に大怪我をしてもらう仕組みになっている。

 その木の枝もまた、朝クユリに木の手入れを命じられた時に拝借したものだ。


 ――つまり、アイリスに労働を任せきっていた事が、アイリスが脱出の準備をする手助けをしてくれていたのだ。


「ッ、先輩ッ!」


 パーセは落とした。残るは、風魔法使いのウィッドのみ。

 落とし穴も赤の魔石ももうストックがない為、小手先の戦術は使えない。

 ならば、馬鹿正直に正面から戦うのか――否、そんなことしてしまえば、アイリスは確実に負ける。

 そもそも、別にウィッドに勝つ必要は無いのだ。目的はあくまで逃げることなのだから。


「食らえッ!初級風魔法『暴風』!」


 ウィッドが詠唱した瞬間、超速の風が巻き起こり、アイリス目掛けて一直線に迫ってきた。

 一度巻き込まれれば二度と出れない風の牢獄だ。これを食らえば、なす術なく風に揉まれ、外壁に激突してしまうだろう。

 しかし、躱すことも、耐えることもアイリスには出来ない。


 ――ならば、利用するまで。


「うあああっっ!!」


 超速の風がアイリスを飲み込む直前、アイリスが自分の服を高速で脱ぎ、痣だらけの上半身を月明かりの元に晒す。

 そして、目一杯広げられた服が超速の風に煽られ、アイリスごと宙に飛び上がらせた。


「何ッ!?」


 宙に浮かぶアイリスを見て、ウィッドは驚きを隠せない。

 それもそうだ。奴隷の少女が魔法を利用するなんて、誰が思いつくだろうか。


 そのままアイリスはぐんぐんと高度を伸ばし、遂に外壁以上の高さに達することが出来た。

 揺れる視界の中で、アイリスは服を離すまいと両手に必死に力を込める。ここでこれを離してしまえば、幸せを見れずに死んでしまうから。


「あああああ!!」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。不幸のまま死ぬなんて、散々人に利用されるだけされて死ぬなんて、絶対にごめんだ。

 だから、例え火傷を負っても、血を流しても、何度も何度も死ぬ思いをしても――絶対に、生きて逃げてみせる。



「ぁ――」


 爆発に2度巻き込まれ、3階から飛び降り、魔法を食らって既に満身創痍だったアイリスの意識が、遂に薄れ始めた。

 もう力を込める事も出来ず、脱いだボロボロの服からは手が離れ、冷たい風に当てられながら自由落下していく。

 視界がぼやけていく。ずっと空中に居て、風に揉まれて視界がぐるんぐるんしていたから、あの忌々しい男の家の敷地内から抜け出せたかも分からない。

 直前まで全身を駆け巡っていたはずの激痛が、何故か全く感じられなくもなっている。


 あぁ、死んじゃうのかな。あんなに必死で生きてきて、こんなに必死で逃げてきたのに。

 でももう、眠くて眠くてしょうがないや。


 もし、神様がまだ私を見放していないのなら、来世では、幸せで――




☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓




「あ!おかーさん!おねーちゃんおきたよ!」


 甲高い女の子の声が、寝起きの重たい頭に響く。

 起きたばっかでモザイク処理の入った視界を頑張って元に戻すと、視界の8割が幼い女の子の顔で埋まってしまっていた。

 びっくりして視線を落とすと、次に飛び込んできたのは、ベッドの上に寝かされていて、腕を包帯でぐるぐる巻きにされていた自分の姿だった。


「きみ、は――」


 誰なのと言おうとした瞬間、遅れてやってきた痛みの感覚が、縦横無尽に全身を駆け巡った。

 そのあまりの激痛に、ベッドの上で包帯ぐるぐる巻きになっている少女が声すら出せずに悶える。


「あらあら大丈夫?」


 激痛に悶えている最中頭に響いてきたのは、おっとりとして温かい大人の女性の声だ。

 幼い女の子と大人の女性がいて、自分はふかふかなベッドの上で眠らされていた。この謎の状況に少女――アイリスは混乱する。


 自分はついさっき、クユリ邸から逃げ出そうとして、魔法を利用して空を飛んで、それで、意識を失って、落ちて······死んでしまったはず。

 でも生きている。生きてて、ここはクユリ邸じゃなくて、この人達も、クユリに仕えてた人達じゃなくて·······。


 ――ってことは私は、逃げられた······ってこと?


「ぅ」


「おねーちゃん!?」「ちょっと貴方!?」


 その事実に気づいた瞬間、アイリスの暗い目から大粒の涙が滝のように流れてきた。


 12年、12年だ。殴られ、蹴られ、怒られ、押し付けられ、見下され、差別され、夜のお供をさせられたとしても······言い返す事も出来ず、抵抗することも出来ず、やり返すことも出来ず――ただ、我慢するしか出来なかった。

 その苦しみから······終わりが来ることはないと思っていた地獄から、やっと、やっと解放されたの······?


「いや、まだ、だっ」


 そうだ、自分が一番良く知っているではないか。

 数ヶ月前、奴隷に落ちた時に感じてしまった希望は、あっという間に裏切られたではないか。

 だからまだ、この女の子と女性を信用してはいけない。いけない、はずなのに······、


「止まってよ、なみだぁ!」


 流すには早いのに、そもそも、枯れたはずだったのに、何故か涙が止まらない。

 駄目だよ、警戒しなくちゃ。この人達も、私を騙して、利用して、地獄の日々に戻そうとしているかもしれないのに······顔を覆いたくなるし、頭が上手く働かない。


「――今は落ち着かせてあげましょう、スイちゃん」


「······うん、おかーさん」


 声を上げて泣くアイリスに気を使い、スイと呼ばれた女の子と、その母親が部屋を出ていく。


 ――1人になった部屋に、アイリスの泣き声だけが響いている。


 早くに帰らぬ人となった母にも、ギャンブルしか愛せなかった父にも、奴隷として自分を買った主とその家臣達にも、出会ってきた全ての人間から愛されなかったアイリスが、12年かけてようやく『愛』を知った。

 初めて感じる愛は、心を閉ざしたアイリスを刃の用に切り裂き、毒の用に苦しめ······そして、優しい温もりでアイリスを包んだ。

 ボロボロの心を包む愛の感触――。それは、アイリスが求めてやまなかった『幸せ』だった。


 地獄の日々を送り、常に心を殺して生きてきた少女、アイリス・カルミアは、その地獄から見事に脱出してみせ、優しい家族に拾われて、その日、初めて幸せを手に入れた。



 このハッピーエンドは、アイリスが心の奥底で、確かな『希望』をずっと持ち続けていたからこそ、訪れたものなのだった。

こんばんはなおいです。


さてさて、まずはご愛読ありがとうございます。前回の『この世界を生き抜く為に』に続き、ダークな世界観でお届け致しましたが、楽しんで頂けましたでしょうか?


ちなみに、今回の主人公アイリス・カルミアですが、下の名前も上の名前も、「希望」という花言葉を持つ花から取ってきています。

12年間、地獄の日々を送ってきたアイリスは、心の何処かで幸せにくらせる希望を抱き続けていたんですね。


それではそれでは、早く投稿したいのでここらへんで。また次の作品でお会いしましょう!



貴方に生きる希望を届けられますように。

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