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「まあシャーロット、少し見ない間にまたきれいになったわ」
「恐れ入ります陛下」
「また遊びに来て頂戴ね、アデラと遊んでやって」
今年御年3歳になられるアデラ姫は王妃様の膝に大人しく抱かれて指を吸いながら丸い目をくるくると動かしている。妹が同じくらいの時はもうぺらぺらと余計なことを話していたような気がする。慎み深く育っているようでなによりだ。
それでは、とお辞儀をして御前から去ろうとしたところ、ずっと黙っていた王が気まぐれのように口を開いた。
「ロベルト、今年でいくつになる」
「28の歳でございます」
「そうか、婚約して長いのだからそろそろお前たちの晴れ姿を見たいものだ」
シャーロットの顔が露骨に歪んだのを見たのはきっと王妃だけではない。
「今年の暮れには、とかんがえております」
さらにその一言で、シャーロットはロベルトと組んでいた手を振り払ってその澄ました顔に一発お見舞いしてやりたいという気持ちでいっぱいになった。
「ねえ」
相手は我関せずといったふうで返事もなく、取り分けたマッシュポテトを口に運びもぐもぐ。それがさらにシャーロットをイラつかせた。この男の隣に23年間い続けて楽しいとか、嬉しいとかといった感情を求めるのは間違いだととっくにわかっているシャーロットだったが、それでもこんな態度をとられるのは認められなかった。
「半年ぶりに急に現れたかと思えば、今年には結婚するですって?それともわたしの聞き間違えで、新しいロバを買うって話だったかしら」
「合ってる。今年の暮れに我々は結婚する」
そう言うとロベルトは手にしていた皿を侍従に押し付けて長い脚でさっさと会場を出て行った。
シャーロットが生まれてほとんど同時にロベルトとの婚約が結ばれた背景にはそう複雑なものはない。祖父同士が親友で、酒を酌み交わした折に酔った勢いで孫が異性であればぜひ結婚させようとその場で誓約書を書いてしまったのだ。
そんなバカげたこと…と思われるだろうが貴族間には結構ある話で、爵位も年齢もつり合いがとれているし大きく反対する理由もない。シャーロットとロベルトの両親は当然のように二人を婚約させ、晴れて二人は婚約者同士愛を育むのでした…。とはいかないのが現実。
ロベルトが13歳のときに、父親が事故で亡くなり病がちな母に代わって一人息子は公爵位を継いで領地を守らなくてはならなくなった。当時8歳のシャーロットはそれまでよく家に来ていた男の子の存在を忘れ、気づけば10年放置されその間家じゅうの本という本を読みつくし、立派なアンチ・結婚派となっていた。兄はエッジワース家へ婿に行くのだし、この国は女でも爵位を継ぐことのできるのだから私が継いでも問題はないでしょう!と理論武装しては両親を困らせた。
それにいくら忙しいかったとはいえ、たまの数行の手紙以外は10年間全く気配を見せない婚約者にだって思うところはあるはずだ。きっと彼もこの婚約に異議があるから現れないのだとシャーロットは理解していた。そんな期待をぶち壊すように、豪勢な贈り物とともに唐突に現れたのはもう記憶の片隅にもない男の子が立派に、いや立派すぎるほどに成長した姿だった。
(こんなの夢だ)
「あらロッティ、嬉しくって言葉もないのね。ほんとうに夢みたいだわ」
(悪夢よ)
「こんなに立派になって、お母上も鼻が高いだろうね」
「いえ、まだ勉強中の身です」
「こんなのってないわ!」
シャーロットは絶叫した。
王宮図書館には国内一の蔵書と、過去の記録が数百年に渡って保管されている。普段は王族と一部の貴族が申請した際にしか利用できないのだが、シャーロットが本好きだと知った王妃が特別にフリーパスを用意してくれていた。王妃はなにかと目をかけてくれるが
それもこれも甥のロベルトの婚約者だからだ。その事実自体は少し腹立たしい。
いつもであれば目当ての本を自分で探して吟味するところだが、図書館に入ってすぐに馴染みの司書のパトリシアを見つけると駆け寄ってすぐに声をかけた。
「この前お願いしていた記録、あった?」
「しっかり見つけていますとも。でも、急だね。何か進展あった?」
パトリシアは2つ年上で実家の子爵家を継いだうえで、王宮で司書としても働いている非常にタフな女性でシャーロットのロールモデルでもある。本人は管理している領地が小さいというけれど。
「ほんとうに我慢ができなくなってしまったの」
「分かるよ。世間ってほんとに勝手だからねえ」
「もうこれしかないって思ったの」
パトリシアにお願いしたので過去の貴族の婚姻にまつわる記録、とりあえず10年分。彼女に任せれば朝飯前で集まった。この薄くはない冊子がシャーロットを救うカギになるのだ。
持ち上げるには重いそれをできる限り高く掲げると、シャーロットは声高らかに宣言した。
「あの偏屈者と婚約破棄してやるのよ!」