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その日、シャーロット・アースキン侯爵令嬢はすこぶる機嫌が悪かった。

なぜなら昨夜は月光がやけにまぶしくてちっとも寝付けなかったし、やっと短い睡眠に落ちたかと思えば朝早くからたたき起こされて朝食もそこそこに、湯あみに放り込まれ、メイドたちによる「パーティー前フルコース」の餌食となった。もちろん内臓が飛び出そうなほどきついコルセットに絶対に靴ズレ確定の華奢なハイヒールもセットだ。(なぜレディだけこんなに過酷な装備なの…。)極めつけは、今日のパートナーが兄から従弟のアルフレッドに変更になったと母から知らされたことだった。


「あーあ、ほんとに憂鬱」

「アルフレッド様も素敵じゃないですか」

「ジェナ、先月の伯母様主催の晩餐会でアルがソフィーの足を何度踏んだか覚えてないの?11回よ!あの後まともに歩けるようになるまで半月はかかったんだから」


アルフレッドは見かけはいいがダンスが破滅的で、妹のソフィアは今度パートナーを組むことになるなら代わりにジェシーと踊ると父に啖呵を切ったほどだ。(ジェシーというのは今年五歳になるセントバーナードの雄だ。)近頃は兄のレオがシャーロットのパートナーを務めることが多かったので、まさかアルフレッドが自分のパートナーになるとは思いもよらなかった。私も父にアルフレッドとは組みたくないと宣言しておくのだった、とエリザベスは後悔した。メイドのジェナは他人事がからといってクスクスと笑って髪をとかすのをやめた。ジェナはシャーロットの乳母の子供で、生まれたときからの親友だった。


「今日はオリヴィア様がいらしているとかで、レオ様はリジー様のお相手ができないとのことでしたわ」

「なるほどね」


兄の婚約者のオリヴィア・エッジワースは気まぐれで、出ないといった夜会に急に出ると言ったり突然明日遊びに出かけたいと兄を呼び出したりと人を振り回す性格をしている。エッジワース家は先代国王の姪っ子にあたる血筋のため、エリザベスの一家もなにかと気を使っているし、なにより兄はオリヴィアのわがままなところもかわいく思っているらしく、彼女の望みはできるだけかなえてやりたいという方針なのだ。冷めた性格のシャーロットにとって兄が未来の義姉にかいがいしく跪いて、あれやこれやと世話を焼く姿はあまり見たくないものだった。(馬車から降りるだけで横抱きしたり、ステーキを切ってやってあげく食べさせたり、まるで赤ちゃん扱いだわ。馬鹿馬鹿しい)


「シャーロット様こそ婚約者殿にエスコートいただきたいものですわねえ」


ジェナはおっとりと言った。婚約者。そうシャーロットにとって婚約者こそが頭痛の種だった。




ロベルト・ウッドウィル侯爵は現王妃の甥にあたり、「いま最も高貴で結婚したい男一位」(貴族の娘の間で流行っている雑誌のランキングに載っているらしいのをジェナにきいた。これも馬鹿馬鹿しい)らしく、街を歩けばどこからか黄色い声があがり、王族の儀式のために正装して剣を構えれば見物客が行列を成す。確かに王妃様に似て整った顔立ちだとは思う。黒々とした髪はいつも艶めいているし、鋭い瞳は光を受けると宝石のようにきらきら輝いて見るものをとらえて離さない。高い鼻梁はより彼の輪郭をシャープに見せる。すらりとした体躯で馬に乗って駆ける姿は絵画にして屋敷の玄関ホールに飾りたいほど神々しい__というのはロベルトの大ファンである母が漏らした世迷言だけど。

とにかく、ロベルト・ウッドウィル侯爵は世の令嬢・さらには奥様方を夢中にさせる魅力あふれる男性で、彼の視線を受けて5秒も耐えられる女性は(もしかしたら男性も)いないとさえ評判だ。身分も申し分なく、数少ない公爵位をもち、国王のよき相談役で、素晴らしい領地を統治していて、未婚の男性の中でこれほど完璧な人物もいないだろうといわれている。ただし、ほとんど生まれたときからの婚約者、シャーロット・アースキン侯爵令嬢の存在を抜きにして。

シャーロットに言わせてもらうと、こんな評判は絵本のおとぎ話となんらかわらない。きれいなところだけを切り取ったスクラップブックみたいなものだ。


ロベルトは、とんでもなく寡黙で不愛想なのだ。それはシャーロットがもう我慢できないほどに。




王宮にここまで人が集まっているのは、おととし姫君が生まれたお祝い以来かもしれないとシャーロットは思った。久しぶりに王宮が主催するパーティーなのだから、と以前成人祝いに両陛下からいただいたアクセサリーをつけてきて正解だった。みながめいめい考えうる限りに着飾ってきらびやかさに酔ってしまいそうだ。馬車から降りてアルフレッドを探すが、まだ着いていないらしく侍従に手を借りて王宮に入る。アルフレッドが遅れてくるのはいつものことで、大体クロークのあたりで待っていれば気の利かない従者とともにあたふたと現れる。しかし、今日は10分経っても20分経っても現れない。心配だし、これではシャーロットは会場に入れない。両親と兄はとっくに入ってしまったし、妹は仮病を使って家で犬と遊んでいるだろう。しかたがなく手持無沙汰にロビーで待ちぼうけしていると、令嬢同士の茶会でたまに一緒になる数名が集団で現れた。みな当然婚約者や兄弟をパートナーに伴っている。その中の一人、特に仲のいいリリアン・エヴァレットに挨拶をすると彼女はシャーロットの状況に目を丸くして驚いていた。


「アルフレッドだったらさっきペチュニアをエスコートしていたわよ」

「えー…」


ペチュニアというのは友人の妹で今年社交界デビューした年だったはずだ。


「じゃあ私はパートナーなしで会場に入れっていうの?」

「うちの弟も先月婚約者が決まってエスコートしているし、今からだと…」


リリアンは真剣に親身になっていまから声をかけられる人を考えてくれているが、シャーロットの脳内はそれどころではなかった。人をたらいまわしにしておいて最後は放置なんて!ありえない!今日を采配したお母さまも間抜けのアルフレッドもついでに要領よく逃げ出した妹も許せない!そもそもパートナーがいなければ参加できないパーティーなんて決まりを作った人間も気に入らない。人間はペアにならなくたってその人一人が価値を持つのだって本に書いていたわ。全部がばかばかしい。普段は冷静なシャーロットだが、頭に血が上りやすいところもあり、ほとんど叫びだすところだった。それを見たリリアンは友人を落ち着かせようと彼女の肩をさすってやった。長い付き合いでシャーロットの癇癪の厄介さには慣れていた。


「落ち着いて、息を吸って」

「これが落ち着いてられる?ここにあの人たちがいなくてよかったわ、顔を見ただけでつかみかかりそう」

「嫌だわ。…あなたがそんなことするわけないじゃない…でしょ?」


実際やりかねないことを知っているリリアンはどうにかシャーロットを落ち着かせようときょろきょろとあたりを見回して誰かに水を頼もうかと思案した。しかし、持ってきてくれそうな侍従を探すよりも先に救いの手が差し伸べられた。思ってもみない人を見つけたのだ。


「シャーロット、あなたを救う天の使いよ!」

「馬鹿言わないで。今どうやって会場の中のあの人たちを引きずりだすか考えているんだから」

「シャーロット」


その声は世の女性をうっとりとさせるなめらかで低く、耳の奥に響く美しい声だった。しかし、シャーロットにとってはこの世で今もっとも聞きたくない声でもあった。


「遅れた。エヴァレット嬢もお手間をおかけした」


実に半年ぶりに見る婚約者はしっかりとシャーロットと揃いの衣装に身を包んで、にこりともせずたたずんでいた。


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