もしも船から乗客を海に飛び込ませるとしたら
「まずい、まずいぞ。誰がこんなに客を入れたんだ。」
困っているのは、ハイパー日本丸の船長、堂上だ。
ニューヨークからの航海を始めたばかりである。
「どうやら、日本でアニメの祭典があるようですな。コミケ、とか言いましたか。実はわたしも、上陸したら参加する予定で。ええ、コスプレの用意も……。」
と、答えるのは、アメリカ人の副船長、トーマスだ。
「そんなことはどうでもいい! 少なくとも500人はここで降ろさないと、船が持たん!!」
がなり立てる船長。どうやら、日本の旅行会社が人数を水増しして、外国人観光客をかなり詰め込んだらしい。
「オマイガー! ここはもう、外海ですよ? どうやって500人も降ろすというんです?」
「救命ボートは出すとしても……。時間がないから、救命胴衣を着たらどんどん飛び込んでもらわなきゃあならん。」
トーマス副船長が慌てながら考える。今、海は凪いでいるとはいえ、そんな飛び込みをする客がいるだろうか――?
「これは……。日本丸時代から伝えられている、禁断の書を開けてみるしかあるまい。」
カリカリ、カリ、ギリギリ。堂上船長が、ダイヤルを回して、船長室にある金庫室を開けた。
「君も、見るのは初めてだろう。」
トーマスが覗き込む。
「おお……。」
そこには、「海の航海、困ったときの何でお助けガイド」と書かれた、一冊の本が入っていた。
「これが……、伝説の書なんですか。」
「そうだ。わたしも、今日初めて見た。」
伝説の書という割に、タイトルが何だか軽い。こちらは、心底困っているというのに! と堂上船長は軽い怒りを覚えた。
「さあ、これを読んでみよう。船から人を海に飛び込ませるには……。あった、これだ!」
「えっ? そんな項目、あるんですか?」
トーマス副船長も見る。そして言った。
「船長~。これ、ぼくも聞いたことありますけど、本当に役に立つんですかねえ?」
「今となっては、これに頼るしかないのだ。やってみよう。」
甲板から大広間から、そこら中が人であふれている。そのお客たちを、なだめすかして、なんとか国ごとの集団に分けた。
「OH! これはどういうことだい? ドイツ人のマイハニーと離ればなれだなんて、1分でも耐えられないよ。」
とアメリカ人が言えば、
「家族がなんてバラバラにされなきゃいけないんだ! 妻はロシア人、娘は去年結婚して中国人だが、何か問題でも?」
と、イギリス人が怒り出す。
トーマス副船長は、だんだん不安になってきた。こんなに多様化した今の世界の人々に、あのジョークをもとにした言葉が通用するのだろうか……。
堂上船長は、まずアメリカ人の集団のところに行った。
「こうでああで、そういうわけでありまして、ここから飛び込み、救命ボートに乗っていただける方を募集しております。このあとから、スーパーハイパー日本丸が、皆さんをピックアップして、おもてなしをさせていただく予定です。ここから飛び込んで、しばらく海で待機してくださる方はいらっしゃらないでしょうか?」
ざわざわするアメリカ人集団。
「家族と別々は嫌だね。」
「彼女も一緒だったらいいけど。」
といろんな声が聞こえる。そこで、トーマス隊長の出番だ。
一人旅らしいアメリカ人男性を見つけては、
「ここで飛び込んだら、ヒーローになれますよ。」
と、ささやく。
すると、何人かのアメリカ人が、
「Yes,I can!」
と言って、飛び込み始めた。
すると、ヒーロー好きなアメリカ人たちだ。
「キャー!」
「オマイガー!」
「USA!USA!」
と大騒ぎになった。まるで、トランプ大統領の演説会だ。
十数人飛び込んだところで、「USA!USA!」の大合唱とともに、このヒーローショーは幕を閉じた。
堂上船長は、顔を真っ赤にして怒っている。
「なんだ! たったの十数人とは!これじゃあ全然足りない。他の国民たちに、大々的に飛び込んでもらわなくては!」
その後、イタリア人には、
「飛び込んだら、女性にモテますよ。」
イギリス人には、
「紳士はなら、こういうときは飛び込むものです。」
フランス人には、
「絶対に飛び込まないでください!」
などと言って回ったが、やはり、十数人が飛び込んだだけだった。
「これはもう、古いジョークなんじゃないんですかねえ。」
と、トーマス副船長も言いだす始末だ。
「そのまんま言うからいけないのかもしれませんよ。もっと今風にアレンジしてみましょうよ。」
というトーマス副船長の意見を採用して、全面的に任せてみることにした。
中国人の集団の前に来た。
「海のダイヤ、マグロが今、海にいっぱい泳いでいますよ。儲かりますよ。おいしいですよ。」
とトーマス副船長が言ったかと思うと、救命胴衣をひったくり、あっという間に100人ほどの中国人が海に飛び込んだ。
「ほら、こうですよ、こう。えへん。」
と、鼻を高くする、トーマス副船長。
堂上船長は、この調子で100人単位で飛び込んでくれるなら、まあいいかという気分になっていた。
そして、日本人の集団がいる場所に来た。
「皆さん、もう飛び込んでいますよ。」
セオリー通りのセリフで、
「ああ、そういうことなら。」
と、80代の老人までもが、つぎつぎに海に飛び込んでいった。
トーマス副船長は、驚愕しながら日本人たちの行動を見ている。
飛び込んだ総勢、200人強。しかし、あと200人足りない。
堂上船長は、
「同国人をだますのは大変申し訳ないのだが。」
と思いつつ、さらに付け加えた。
「スーパーハイパー日本丸は3割引きで超お得ですよ。ポイントも10倍もらえます。先着、あと100名様ですよ。」
すると、日本人たちの目の色が変わった。子どもを背負い、荷物を抱え、老人を引きずりながら、ものすごい勢いで飛び降り始めた。
気づくと、すでに日本人は400人以上、飛び込んでいる。
「お客様、無理に飛び込まなくても、大丈夫ですから。」
ノルマの500人をクリアしたのに、レミングスのように飛び込む日本人たちを見て、堂上船長は申し訳なさそうに声をかけた。
しかし、
「何よあんた! そういってあんたが飛び込んで、得しようと思ってるんじゃないでしょうね!」
みな、口々にそう言いながら、争うように飛び込んでいった。
「ああ……。スーパーハイパー日本丸が来るなんて、ウソなのに……。」
堂上船長は、つぶやく。
甲板や室内からは、多くの外国人が驚きの顔で眺めている。
「That's crazy!」
「OH! It's like a kamikaze attack!」
そんな声が漏れ聞こえてくる。
また、多くの人が、スマホで映像を撮っているようだ。
結局、日本人は乗船していた750人、全員が飛び込んだ。
「ほかの人がやっているなら、自分もやらないと。」
という、日本人の同町圧力が、悪い方に働いてしまった。
いや、自分だけは得をしたいという本音が、日本人を動かしたのかもしれない。
おかげで、他の国の人たちに声をかけずに済んだともいえる。
海上を見ると、ギャーギャー言いながら、救命ボートの取り合いが始まっていた。すでに乗っている人を引きずり下ろし、そうはさせまいと殴り合い――。30分もすれば、すべての救命ボートが転覆し、飛び込んだ人々は海の藻屑となって消えるだろう。
「醜い――。日本の戦後教育は間違っていたのか……。」
苦悩の顔をしてうめく、堂上船長。
すると、トーマス副船長が言った。
「何言ってんですか! 船長は。船を守るものとして、必要な任務を無事遂行しただけですよ。それより、楽しいことを考えましょうよ! あーコミケ、楽しみだなあ!」
すると、堂上船長の顔がぱあーっと明るくなった。
「そうだな。我々は頼んだだけであって、彼らは自主的に飛び込んだわけだしな!」
堂上船長の顔から、ようやく笑顔が見られた。
そして、もじもじしながら、こんなことを言いだした。
「実はわたしも、コミケに参加するのだよ。NARUTOのコスプレは。もう、古いと言われないかのう。」
「まだまだ、いけますって!船長!」
そしてふたりは、コミケ談義をしながら、操舵室のほうへと向かって行ったのだった。