21 船の欄干に腕をたらして
それは、青い空のした、海賊船の白い帆がぱん!とはっている、昼間のことだったという。
フック船長は、冷たく澄んだ風を吸いこんだ。これは遠い赤道から地球の自転の力で高度を保って吹いてくる貿易風だ。潮の匂いや湿気を帯びない風は珍しい。
透明な風と光の中、フック船長は、船の甲板で昼ねをしていた。足乗せ椅子を出して、大きなソファアを置いて、パラソルを開いて寝転んでいた。
「こほこほ」
フック船長は、めずらしく風邪をひいている。これを知った海賊達は心配し、フックに熱心に薦めた。乾布摩擦や、青汁、熱湯風呂、サウナスーツを着てマラソン、まむし酒、ネギを頭に巻いて寝る等々。断りきれなかったフックは、これらの中から、自分にもできると思えた日光浴を選んだのだ。
フック船長は、指の隙間から太陽を見ながら呟く。
「最近疲れてたんだなー」
いろいろあったからなー、と思う。イジメや放火、仲裁、極度の緊張と弛緩、その後しばらく続いた皆のギクシャクした雰囲気・・・
「そうだ、船襲おう。」
いい思いつきだった。どんな船がいい?やりがいがありそうな船は?少女が乗っている奴隷船はどこにあるだろうか。
思いついたことに満足して、帽子を目深にかぶったら(船長は色白派)、眠気が襲ってきた。そして、船長はうとうと眠りはじめる。船の欄干に腕をたらして。
その腕を見て、船の下で鰐が狂喜乱舞しているのも知らずに。
ワニコは、昼寝中のフック船長の腕が垂れてきたのを見逃さなかった。
そのとき、ああ、ほしいなあ。と思ってしまったのだ。
船長の長い指、
血管の浮き出た手首、
かたちのいい爪、
過去も現在も未来を掴み続けてきた利き手、
見えないところに傷がいっぱいある、
今は無防備な、
左手。
あれを貸してくれないだろうか。あれがあったらこのお腹の中の金時計と一緒に。一人でも生きていける。
ワニコは、尻尾で水を跳ねあげたが、ばちゃばちゃと音がするだけで、すぐに大波にまぎれた。フック船長が一匹の、激しく片思いをしている鰐の存在に気づくようすはない。
ワニコの尻尾は懇親の力で海面を打つ。100回くらい打ちつけただろうか。
尻尾はついに、海面をねるみたいに360度回転しだした。
ワニコの周りだけ海が弾力を帯びてくる。
尻尾はエンジンがかかったように急速に海面をかき混ぜ、止まらない。
尻尾を振るたび、水面がゴムみたいな質感に変化していく。そして、体が、尻尾の反動で跳ね上がり始めた。トランポリンの上のアルマジロみたいに、ぽんぽんと。
滞空時間が延びてくる。
船長の手が大きく見えたり、小さく見えたり。
眩暈を求め、生死を賭けるみたいに、ずっとやり続ける鰐がそこにいた。