殿下が悪役令嬢だと仰るのなら、お望み通り精一杯演じてさしあげますわ。
「レミエラ! 貴様との婚約を今ここで破棄する!」
「……」
ええ。殿下。分かっておりました。
分かっておりましたとも。
このレミエラ・ビートディッヒ。腐っても侯爵令嬢であり貴方様の婚約者。
殿下の気持ちがとうに私にはないことなど、百も承知でしたわ。
「何故か。それは自分の胸に聴いてみるのだな!」
「……」
理由など、述べるべくもないでしょう。
貴方のその逞しい腕にしゅるりと絡み付いた細腕。
小さな体を懸命に震わせ、顔を蒼白させ、細く小さな体に似合わぬ豊満な胸を押し付け、とても不安そうにこちらを見る怯えた目。
殿方がそういう生き物を好きなことは存じておりました。
武に秀でた殿下のようなお方は特に、そのような庇護欲をそそられるモノに目がないことぐらい。
私はとっくに理解しておりましたわ。
だって、私はその生き物と同じ女ですもの。
女は自分の敵を察知する能力が非常に高いんですのよ。ご存知ありませんでしたか?
まあもっとも同じ女という生き物であっても、私はそこな小動物のようにか弱く震えることなど出来ない愚かな女ではありますが。
「ふん。そんなに理由が知りたいか!
ならば教えてやろう!」
「!」
あら。
つい今しがた自分の胸に問えと仰っていたのに、すぐに教えてくださるなんてお優しいこと。
きっと話したいのですわね。
いいですわ。殿方の鬼の首を取ったような武勇伝に耳を傾けるのも令嬢の仕事。
どうぞお話ください。
途中で声を挟むのは愚策だとお母様も言っていましたわ。
お気の向くままにお話くださいませ。
「貴様! ここにいるマリーに散々酷い嫌がらせをしていたな!
そんな悪女に俺の婚約者は! 王族に名を連ねることは、許されない!」
「怖いですわ! 殿下!」
「おお! 可哀想なマリー!
安心したまえ。君だけは俺が絶対に守ってみせる!」
「ああ! 殿下っ!!」
「……」
なるほどなるほど。
このミュージカルのような芝居掛かった演技。
ここは舞台ということですのね。
王家主宰の絢爛豪華な舞踏会に第二王子である殿下しかいらっしゃらないのは甚だ疑問でしたけれども、どうやらこのお遊戯会を参加貴族に披露するために催されたわけですわね。
陛下や王太子であらせられる第一王子殿下がいては、このようなお巫山戯はまかり通りませんものね。
「おい! レミエラ!
何か言ってみたらどうだ!」
「……」
周りの皆様はたいそう驚いたご様子。
きっと度々開催される殿下の人気集めにしぶしぶ参加してくださった方々なのでしょうけれど、まさかこのような戯れを見せられることになるだなんて。
殿下に代わり、心の中で最大限の謝罪を致しますわ。
……いえ、考えてみたら殿下に婚約を破棄されたのですから、私がそんなことをする必要はもうないのですわね。
「ふんっ! さすがの貴様も驚きに言葉もないかっ!
いつも仏頂面の鉄仮面女め!」
「……」
おっと。
早くも本音が出ましたわね。
確かに私はいつも殿下の御前では表情を変えることのない、まさに鉄仮面女でしたでしょう。
だって、殿下の武勇伝も甘い言葉も、あまりに薄っぺらすぎて私の心のどこにも響かなかったんですもの。
私、生来の笑い上戸で実家ではよく家族と楽しく笑いながら過ごしておりましてよ。
女を笑顔に出来ないのは自分のせいだと、どうしてお思いにならないのかしら。
……と、心の底では自分が私から見下されているのではないかと思い、それがきっと気にくわなかったのでしょうね。
だから自分を頼り、甘えてくる小動物を愛でたくなった。
当然の道理と言えましょう。
そこに関しては私の自業自得であると認めざるを得ませんわ。
「……それに貴様は俺に指一本触れさせなかった。じつにつまらん。つまらん女だ」
「……」
ふふ。笑いを堪えるのに必死ですわ。
王族に手を出された婚約者が、万が一それが破談になった時に誰が娶ろうと思うでしょうか。
それもあって、貴族は正式に婚姻を結ぶまでは婚約者であろうと男女の関係になってはならないという暗黙のルールがありますでしょう?
女は結婚するまでは清くなければならないという古くからの悪しき慣習でしょう?
自分たちがそうあれと決めたのだから、貴方様方もそれを守ってどうぞ我慢なさってくださいませ。
まあ、殿方は夜のお店でその悶々とした思いを発散しているようですからね。女にだけ我慢させているのだから、それぐらい自制なさって当然ですわね。
「まったく。それほどのものを持っていて、もったいない……」
「……」
殿下の私の胸を見る視線が凄まじく気持ち悪いですわね。
その目を見るたびに私は貴方様の目をえぐり出してしまいたくて仕方なかったのですわ。
たぶん、貴方様が私のことをそういう目で見るようになったから、私は殿下の前で笑うことがより一層なくなったのだと思います。
「殿下。そんなの、もういいではないですか」
「ふふ。そうだな、マリー。
俺にはもう、お前がいる」
「……」
私の体への未練を見せた殿下に、小動物が体を擦り付けて自分に振り向かせる。
なんて健気で淫靡で懸命なのでしょう。
おそらくもう殿下はその肢体を味わっておいでなのでしょう。
あの、女を自分の支配下に置いたかのような目。
あれは、そういうことなのでしょう。
貴族としてのタブーを犯してまで殿下のことを奪った小動物の、その決意と努力は素直に称賛に値しますわね。
「さあ。レミエラ。
糾弾と断罪の刻だ!」
「……ふふ」
「……!」
ビシッとこちらに指を向ける殿下。
その腕の中で静かにほくそ笑む小動物。
物語の行く末を見守る貴族たち。
なるほどなるほど。
どうやら私は婚約破棄される悪役令嬢という役向きのようですわね。
いいですわ。
殿下が私を悪役令嬢だと糾弾するのなら、演じてみせましょう。
このレミエラ・ビートディッヒ。稀代の悪役令嬢としてこの舞台を誠心誠意務めて差し上げますわ!
「……殿下」
「な、なんだっ!」
覚悟を決めた私が静かに口を開くと、殿下は少したじろいでみせました。
昔から、私がこうやって話す時は殿下にとって耳の痛い話をする時でしたものね。
体が拒否反応を示してしまうのも無理からぬ話。
傍らの小動物がさりげなく殿下を前に押しやって逃げられないようにしているのが滑稽ですわ。
「まずは、そうですわね。
私が彼女に酷い嫌がらせをしていたと言いますが、具体的にはどのような嫌がらせをしていたのでしょうか?」
なにぶん、私と小動物は直接お話したことはほとんどないものですから、ソレが殿下にどんな被害を報告したのか興味がありますわ。
「ふん! 白々しい!
いいだろう! ここで貴様の罪を明らかなものとし、貴様との婚約破棄、そしてマリーとの婚約の正当性を主張するとしよう!」
「で、殿下っ」
「……」
小動物が焦っておいでですよ?
どうやらソレと新たに婚約するということはもう少し話を進めてから発表する予定だったのかしら。私も貴族たちも初耳ですもの。
これでは私への印象を悪くする前にそこな小動物へのヘイトが集まってしまいますものね。
まずは魔女狩りよろしく、周囲の貴族たちの視線を私の糾弾に向けてからでないと、この茶番が小動物によって仕組まれたものではないかと勘ぐる頭の良い方が出てきてしまいそうですものね。
「……」
実際、既に使いをどこかに向かわせた貴族の方もいらっしゃいますわね。
これは事実確認と陛下たちへの報告のためでしょう。
前々から殿下と小動物がこそこそと動いていたことを察していらっしゃったようですし、それを確認するためにわざわざこんなお遊び舞踏会に参加してくださった有力貴族の方々もいらっしゃるようですからね。
ずる賢い小動物はそんな方々の目を曇らせるためにドラマチックなストーリーを用意しているようですが、早くも愚鈍な殿下によってシナリオが崩れつつありますわね。
まあ、お気遣いいただいて感涙ですが、そのようなお気遣いは不要であったと思っていただけるよう、このレミエラ・ビートディッヒ。せいぜい悪役令嬢を演じてみせますわ。
「どうした、マリー。
大丈夫だ。遅かれ早かれ俺たちの婚約は発表するつもりだった。
多少、順番が変わっても問題なかろう」
「そ、そう、ですわね……」
「……」
可愛い顔がひきつっておいでですわよ、小動物。
でも、いいですわね。
だんだん私も悪役令嬢として貴女を貶める役というのが楽しくなってきましたわ。
貴女もせいぜい最後まで悲劇のヒロインの成功劇を務め上げてくださいませ。
「さて、貴様の罪だったな。レミエラ」
あ、お忘れではなかったのですね。
「まずは、貴様はマリーが学院に入学した時から男爵令嬢である彼女を身分の低い存在だとして見下していたな!」
「初対面で私を無視して殿下の腕にまとわりつくような方に、どう敬意を払えと?」
「ぬぐっ!
他にも、貴様は俺がいない所でマリーを複数の令嬢で囲い、散々悪口を言っていたな!」
「……えーと、私が殿下とともにいない時間、しょ……彼女はほぼ殿下とともにいたので私にそんな時間はなかったように思えるのですが」
「ぐぬぅ!」
あぶないあぶない。
危うく小動物と呼んでしまう所でしたわ。
いくら悪役令嬢を演じているとはいえ、さすがにそれは周囲への印象が悪くなってしまいますわ。
舞台終演後のカーテンコールで惜しみない拍手を頂戴するには、いくら悪役とはいえ印象を悪くしすぎないのも大事ですものね。
「それだけではない!
貴様はあろうことか! マリーを階段から突き落としたではないか!!」
「……」
ふむ。
これにはさすがに周囲の貴族方もざわめいていらっしゃいますね。
まあ、一部の聡明な方は私が今度は何と返すのかと物見高く眺めていらっしゃるようですけれども。まったく、良い趣味をされている。
いいですわ。
こんな茶番劇をわざわざ観に来てくださった皆様に、真の悪役令嬢を魅せてさしあげますわ!
「……殿下。私が彼女を階段から突き落としたとのことですが、その証拠はあるのでしょうか。
先ほどから何の証拠も証言もなく、それでは彼女がただ妄言を言っているようにも受け取られてしまいますわ」
「なっ!」
「ひ、酷いっ! 私が適当なことを言っていると仰るのね!
やっぱりレミエラ様は怖い方ですわ!」
「やめろレミエラ! マリーが怖がっている!」
小動物。せめて涙を流す演技ぐらいは出来るようになっておいた方がいいですわよ。
ほら。観客に欠伸をされている方がいらっしゃるわ。退屈な演技だと思われたらこの舞台は台無しよ。
せっかく貴女が自らの体をも使って頑張って用意した舞台なのですから、懸命に観客の目を自分に惹き付けてみせなさい。
貴女が悲劇のヒロインたる主演女優なのでしょう?
あんまり甘えた演技ばかりですと、脇役がヒロインを食ってしまいますわよ。
「……で? 証拠は?」
「うぐっ!」
「ひっ!」
お涙頂戴の棒演技を諌めるように冷たくセリフを吐くと、殿下と小動物は酷く怯えた顔をなさいました。
いいですわね。それですわよ。
悪役令嬢に脅かされる二人。
それでこそ主演ですわ。
さあ。ここからどう私を貶めていくのです?
悪役令嬢を正義の名の下に断罪する。
それがこの舞台の醍醐味なのでしょう?
「……ふっ。ふっふっふっ」
「!」
殿下は追い詰められていたかと思いきや、突然、不敵に笑い始めましたわ。
なんだかとっても悪役のような笑みですわよ。正義の王子様?
「これを見ろっ!」
「あ……っ!」
「?」
殿下が満を持して懐から取り出したのは一枚の羊皮紙でございました。
小動物が何やら『しまった』と言いたげな表情をしているのが気にかかりますわね。
きっとまた殿下が本来のシナリオとは異なる行動をなさったのでしょう。
小動物。殿下に台本通りに進めさせるなんて、そもそも無理な話ですのに。
「……それは?」
細かい文字がびっしりと書かれたその紙は最後に何者かのサインと印が押されておりました。
「これはマリーが貴様に階段から突き落とされた時の、医師の診断書だ!」
「……」
ほうほう。
「ここを見ろ! ちゃんとマリーの家のお抱えの医師によるサインと印もある!
つまりこれは正式に発行された診断書であり、貴様がマリーに暴行を働いた歴とした証拠だ!」
「で、殿下……」
「マリー。心配するな。全て俺に任せておけ」
「あ、えと……」
「……」
あらあら。
小動物もついに黙ってしまいましたわね。
造り上げた証拠というものは出すタイミングを誤ると、自らの悪事を白日のもとに晒すことになりかねない危険な賭け事でございますものね。
おそらく小動物はもっと私を責め立てて、なおかつ私たちの物理的な距離が離れている状態で駄目押しとして最後にそれを出すつもりだったのでしょう。距離的に私がその文章の細かい文字を読み取れないぐらいに。
その頃には私も正常な判断が出来ない状態まで追い詰められていると想定して。
でもまさか、こんな序盤に早くも詰めの一手を勝手に出されるとは思わず。きっと小動物の頭の中は今パニックでしょうね。
「……っ」
「!」
おや。
小動物が観衆に救いを求めるような視線を……ああ、なるほど。あれは自分の家の執事。
おおかた、指示役兼サポート要員といった所でしょうか。
助けを求められた相手方はずいぶん難しい顔をなさってますわね。
「……!」
あらあら。
執事がそっぽを向かれましたわ。
「……くっ」
小動物が驚いた顔のあと、悔しそうに顔を歪めましたわね。
どうやら自分で何とかしろと突き放されたようですわ。
いざとなれば自分の仕える家の令嬢さえ切り捨てる。
何と無情なことでしょう。いえ、それも含めて当主の指示なのでしょうか。
「さあどうだ!
もう言い逃れは出来ないぞ! レミエラ!!」
「!」
ああ、そうでしたわ。
殿下とのシーンを演じているのを忘れておりました。
私としたことが、主演女優による客席への私信に目を奪われるなんて、悪役令嬢の名が廃りますわね。
「えーと、まず、そうですわね」
面倒ですけれど、殿下の相手をしないことには話も進みませんわね。
それに事態を把握しきれていない観衆に説明も必要でしょうし。
「小ど……彼女が階段から突き落とされて怪我をしたのは学院ですわよね?」
「当然だ! 貴様が突き落としたのだからな!」
ふう。またもや小動物呼びする所でしたわね。
小動物は勘づいたようで顔を歪めておりますが、まあ無視して構わないでしょう。
「それならば、なぜ学院付きの医師ではなく、わざわざ自分の家の医師の診療を受けたのでしょうか。
それほどたいした怪我ではなかったのですか?」
「そ、っれは! か、かかりつけの方が信用できるからだ!」
「それはつまり、学院が誇るお抱えの医師の腕を信用していない、と?
学院は陛下の肝いりの政策。そこに常駐する医師を信用しないということは陛下の判断をも信用していないことになり得ますが?」
「ぬぐっ!」
小動物はもはや呆れた表情をしてますわね。
口を開けば開くほど自らを窮地に追い込んでいく。
本当に、なんて愚かで滑稽なお人。
「まあ、転んですぐはたいした怪我だとは思わなかった、ということにしましょう」
「そ、そうだ! それだ!」
……なんと言いますか、もはや可愛らしくも思えてきましたわね。
「……で、家に帰ったら痛みが増してきたため、家のお抱えの医師に診てもらった、と」
「そういうことだ!
その結果がこれだけの重傷だぞ!」
これでもかと診断書を突き付ける殿下。
私に誘導させてもらっておいて、まだそれだけ誇らしく出来るのはもはや才能ですわね。
それに、きっと事前に診断書を読むことさえしなかったのでしょう。
それだけびっしり文字が書かれたものを貴方様が読むとは思えませんもの。
その証拠に診断書の内容は……。
「なるほどなるほど」
私は顔を近づけて診断書の内容を確認……
「やめてっ!!」
「おっと」
しようと思ったら、小動物が慌てて診断書を殿下から奪い去ったではありませんか。
「マ、マリー。どうしたというのだ」
その様子に動揺する殿下。
「こ、怖い記憶を、掘り起こすようなことはおやめください!」
ほほう。
なかなか面白い返答でございますわね。
瞬時にそれが出てくるのは素晴らしいですわ。
小動物なりに頭をひねって対応を考えたんですわね。
いいですわよ。舞台はやはり二転三転あった方が面白いですものね。
……まあ、始めからこの茶番は茶番でしかないのですけれど。
「そ、そうか。すまない、マリー」
慌てて小動物を抱き止める殿下。
うんうん。可哀想に震える小動物を守るのはカッコいいですわよね、殿下。
「……さて、」
でももう、この茶番には飽きましたわ。
そろそろ幕引きに致しましょう。
「その診断書によると、彼女が怪我をしたのは一週間前、とありましたわ」
「ど、どうして……」
小動物がたいそう驚いたような顔をしておりますわね。
なぜ、あんな短時間であの量の文字を読めるのか、ということでしょうね。
「ああ。私は速読が特技ですのよ。
あれぐらいの文量でしたら一目見れば内容を理解できますわ。ねえ、殿下?」
「……そ、そうだったな」
殿下に流し目を送れば、悔しそうに頷く。
なんだかその顔に少しぞくぞくしてしまいますわね。
悪役令嬢を演じている手前、私の中のそういう扉を開きつつあるのでしょうか。
まあ、それもまた一興、でしょうかね。
「そして全治一ヶ月、ともありましたわね」
怪我をさせた、という事実のみがあれば良いのに、わざわざそんな大怪我だったという尾ひれをつけようとするなんて、欲が出ましたわね。
小動物からしたら、なるべく大きな罪を私に着せて葬り去りたかったのかしらね。
「不思議なものですわ。
一週間前に負った全治一ヶ月の大怪我。
なぜ貴女は今ここにいられるのでしょう?
そんなに肌を見せた可憐なドレスを着て。いったいどこに全治一ヶ月の大怪我をしたと言うのでしょう?
無知で愚かな私に、どうか教えてくださいませんこと?」
「……っ」
「マ、マリー。そ、そんなこと、ないよな?
俺に、もっとちゃんと診断書を見せてくれ。
あんなの、奴のデマカセだ」
下唇を噛む小動物に情けない顔ですがる殿下。
さあ。舞台なら悪役令嬢にここまで責め立てられた所で逆転の一手を打ってくる所ですわよ?
主演の意地を見せてくださいませ。
「……ええ。ええ、そうよ。
デマカセよ……っ!」
「マリー! 何をっ!」
「!」
あらあら。
小動物は抱えた診断書をビリビリに破り捨ててしまいましたわ。
「口からデマカセばかり!
私の言うことが真実ですわ!
あの悪女は私を貶めて突き落とした、悪の令嬢なんですわ!」
「……」
苦しいですわね。
見苦しいですわね。
自ら用意した証拠を自ら破り捨て、最後は勢いに任せた力業。
これが小動物の演じるヒロインですの。
「そ、そうだ!
全部貴様が悪い!」
おっと。殿下もそれに乗っかってくるわけですわね。
その船は泥船ですわよ、殿下。
「そうだ! まだ証人がいる!
貴様がマリーに数々の嫌がらせをしていた所を見ていた令嬢が何人もいるのだ!」
「そ、そうよ!!」
「……」
まあ、用意はしているとは思っていましたが。
たぶん、もう……。
「さあ! 出てこい!
こいつの悪事を証言するのだ!」
「……」
しかし、やはり誰も出てくることはなく。
「おい! どうした!」
「ちょっと! なんで出てこないのよ!
あれほど……っ」
あれほど金を積んだのに、でしょうかね。
たぶん、頼まれた令嬢は出ようとしているんだと思いますわ。
でも何人かの令嬢を、その家の使用人が動けないように押さえているのが見受けられますわ。
きっと事態を察知して、その旗色を見て動きを控えさせているのでしょうね。
泥船には乗らない。
なかなかに頭の働く貴族が多くて安心しましたわ。
その戦況の見極め方を、是非とも家の令嬢にも教えてあげてくださいませ。
「くそっ! 使えないクズ貴族どもめっ!」
「で、殿下っ」
おっと。
それはタブーですわよ、殿下。
殿下を見る貴族たちの目が一気に冷たいものに変わってしまいましたわね。
殿下。それは、その発言だけはしてはならないのですよ。他でもない、王族の貴方様は。
『王族が貴族を見下してはならない。
王族は貴族によって王族たりえる。
貴族は民によって貴族たりえる。
国は人によって国たりえる。
立場が上だからといって、下の者を見下してはならない。
上であるために支えてくれているのは下の者なのだから』
この国の王たる陛下のお言葉。
私の好きな言葉。
王だからと傲ることなく、臣下に、民に感謝し、国のために働く。
それが王だという陛下の考え方が私は大好きなのですわ。
そんな王だからこそ、貴族も民もついてきている。
そんな陛下の頼みだからこそ、こんな第二王子の婚約者も喜んで引き受けた。
それを、第二王子とはいえ王位継承権を持つ者が王の言葉を否定するような考えを露呈させた。
貴族たちを軽視する発言をした。
殿下は、一瞬でこの場にいる全ての貴族を敵に回したのですわ。
「な、なんだ、貴様ら。その目はっ!」
ここに来てようやく、殿下も貴族たちの蔑むような視線に気付いたようですわ。
まあ、時既に遅し、ですけれども。
さて、ここからどうやって終劇まで持っていくか、ですわね。
「……そ、そんなふうにお考えだったのですか、殿下っ!?」
「マ、マリー?」
「ん?」
小動物? これはまさか……。
「王族であるにも関わらず、貴族を軽視した発言! 到底、許されることではありません!」
「い、いや、あの……す、すまない、マリー。あの、え、と……」
「謝って済む問題ではないですわ!
見損ないました!」
「マ、マリー。そんな……」
……そう。
なるほどね。手に負えなすぎて切り捨てることにしましたのね。
悲劇のヒロインの座を降りると。
「殿下がどうしてもレミエラ様との婚約を破棄したいと仰るから、こんな偽物の診断書まで用意して協力しましたのにっ!」
「は? マ、マリー。君は、いったい何を……」
おやおや。
「……それに、そもそも殿下が、私を無理やり手籠めにして……う、うぅ……」
「そ、そんな……あれは、君の方から……」
小動物。目元を隠してみても涙が流れてないのはすぐに分かってしまいますわよ。
主演女優を気取りたいなら泣きの演技ぐらい練習なさいな。
まあ、殿下のことは騙せているようだから構わないのかしら。
それに自分も被害者だったのだと、お咎めを少しでも軽くしようとする頭の回転の速さは悪くはないですわ。
まあそれもまた、時既に遅し、なのですけれど。
「マ、マリー……」
「う、うぅ……」
「……」
絶望に満ちた表情の殿下。
もはや可哀想に思えてきてしまいますわね。
まあ、同情の余地などないのですけれど。
「……」
チラリと入り口の豪奢な扉を見やりますが、そこはいっこうに変化がありません。
私としてはもうこの茶番劇を終わらせたいのですが、まだ幕引きの合図は来ないのかしら。
「……いだ」
「……はい?」
泣き崩れた(フリ)をしてしまった小動物にどうしようもなくなり、だらりと項垂れていた殿下は突然、ポツリと何事かを呟きましたわ。
「お前の、お前の、せいだ……」
「わっ!」
「殿下っ! 何をっ!?」
そして、殿下は近くにいた騎士にふらりと近付くと、その腰に差さっていた鋼の剣をスラリと抜き去り、私に向けて剣を構え始めましたの。
「……はぁ」
思わず溜め息が漏れますが、物語としては悪くありませんわね。
乱心の王子が剣を持ち出して元婚約者を襲うだなんて、なんだかとってもドラマチックじゃありませんこと?
「で、殿下……」
泣き崩れていたはずの小動物は青い顔をしながらジリジリと殿下から離れていきましたわ。
どうやら腰が抜けてしまっているようですが、危機管理能力は健在のようですわね。
「お前がさっさと婚約破棄を受け入れていれば、こんなことにはならなかったんだー!」
「おっと」
殿下が剣をぶんぶんと振り回すので、バックステップで下がって距離を取っておくことにします。
キャー! という悲鳴がそこここから上がって、周りの騎士たちが貴族たちを守るように殿下を取り囲みましたわね。
出来ることなら私のことも守ってほしいのですけれど。まあ、悪役令嬢ですものね。仕方ないですわ。
「……」
再度、入り口の扉に視線を送るも、やはりいっこうに変化の兆しが見られません。
これは、自分で何とかするしかないのでしょうか。
騎士たちはわざとらしく殿下と私だけが舞台の真ん中で孤立するように囲ってますしね。
「そうだ……お前だ。レミエラ。貴様さえいなければ、俺はマリーと、幸せに生きていける……お前さえ。お前さえ、いなければ……」
殿下はぶつぶつと不穏なことを呟きながら、だらりと下ろした腕を引きずるようにしてこちらに向かってきました。
その手には冷たい剣がしっかりと握られております。
「……殿下。やめておいた方が宜しいですわよ?」
私はその場から動くことなく、泰然と殿下と向き合いました。
「……殿下。私に敵うとでもお思いですか?」
「……ぬぐっ」
冷たく見つめてあげれば殿下はようやく少したじろぐ様子を見せました。
武に秀でた殿下。
ですがそれは、所詮もてはやされた王子様としては、という程度。
幼い頃から、いざという時には殿下をお守りするためと剣の鍛練を怠らなかった私には、サボり癖のある殿下など敵ではないのです。
「……だ、だが、今の貴様は丸腰だ。
いくらなんでも、素手と剣では勝負になるまい」
「……はぁ」
誰が無手では戦えぬと?
いざという時というのは、いつでも、という意味でもありましてよ?
たとえ武器を持ってなかろうが、入浴中で服を着てなかろうが、殿下をお守りするために戦う。
そのために私はひたすらに訓練は欠かさなかったのですわ。
……それがまさか、殿下に対して使うことになるとは……まあ、少しは思ってましたけど。
「……そうだ。
俺はレミエラを殺し、マリーと幸せになるんだ……そうだ。
ハハ、ハハハハッ」
「……」
これは、もう駄目ですわね。
本当に斬りかかってくるのでしたら、ここは正当防衛するしかないですわね。
……悪役令嬢ですもの。敵の命を奪うことに、些かの躊躇いなどあるはずもない、ですわ……。
「……くっ」
覚悟を決めて見据えると、殿下は怯えたような目をなさいました。
「それだ。その目が俺は怖かったんだ……」
あら、それは悪うございましたわね。
覚悟のない殿下には、覚悟を決めた者の目が怖いんですのね……人を殺す覚悟を決めた者の、目が……。
「殺す。
お前を殺して、俺は自由になる」
殿下が剣を上段に構えました。
なんと隙の多い、振りの遅れそうな構えでしょう。
「死ねぇー! レミエラーーっ!!」
殿下はそう大声を上げると、剣を掲げたままこちらに走ってきました。
そのまま走ってくるのですね。ずいぶんと不便そうに。
「……」
みすみす殺されるわけにはまいりません。
……仕方、ありませんわね……。
私がぐっと手に力をこめたその時です。
「そこまでだ!!」
会場中に大きな声が響き渡りました。
そのあまりに威厳のある大きな声に殿下も思わず足を止め、貴族たちも一斉に声がした入り口へと目を向けたのです。
「へ、陛下……」
「陛下だ……」
ざわざわと伝わっていくその声がこちらまで届いた頃。
割れた人の波がその姿を私たちに見せてくれました。
「……ち、父上っ」
殿下はたいそう驚いた様子で、持っていた剣をがらんと床に落としてしまいました。
「私もいるよ」
「あ、兄上までっ!」
陛下の後ろからひょこりと顔を出したのは王太子でもある第一王子。つまり殿下のお兄様です。
「な、なぜ、ここに……」
そう驚いたのは騎士の後ろに隠れていた小動物ですわ。
ずいぶん驚いてますわね。
陛下と王太子殿下は政務で今夜は来られないはずですものね。
二人がいないからこそ、貴方は今日のこの場を婚約破棄の舞台に選んだのですものね。
「……まったく。出てくるのが遅いですわよ、陛下」
「いや、すまないな。思ったよりも時間がかかってしまってな」
私が呆れたように声をかけると、陛下は眉を下げて頭をぽりぽりとかいてみせました。
相変わらず年齢に似合わず若々しく逞しいお姿。
にも関わらずこのような柔和な姿は胸に来るものがありますわね。
でも……。
「……お二人とも、もっと早くに着いてましたわよね。
殿下が私に襲いかかるギリギリまで待ってましたわよね?」
「ぬぅ」
「……私は止めたんだよ? レミエラ」
私がじとりと二人を見ると、陛下はバレたかとばかりに顔を驚かせ、王太子殿下はやれやれと肩を竦めました。
「私が殿下を返り討ちにして殺してしまっていたらどうなさるおつもりだったのです?」
そう言って、軽くスカートをまくってみせる。
そこには太ももにつけたナイフが冷たい輝きを放っていました。
「いやなに。そのお御足を拝謁賜るために待ったと言っても過言ではなかろう」
「……このエロジジイ」
はっはっはっと笑う陛下を睨み付ける。
本当に、年齢のわりにいつまでも元気なんですから。
「レミエラ。それはさすがに不敬だよ」
「これは失礼しましたわ」
王太子殿下にたしなめられ、たくしあげたスカートを戻しながらカテーシーでお辞儀をする。
完全に陛下が悪いから咎められはしないでしょうけどね。
「ど、どういうことだ。
なぜ、レミエラがそこまで父上たちと……」
「……」
私は困惑する殿下を放って、小動物の方に視線を向けました。
そのあとに陛下に視線を送ると、陛下はこくりと頷いて口を開きました。
「レミエラ。大丈夫だ。
マリー、といったか。彼女の家と、共謀していた貴族の家は全て私とこのヘンリーとで取り潰しにしたよ」
「なっ!!」
陛下の言葉に驚きを隠せない小動物。
ヘンリーというのは王太子殿下のお名前ですわね。
「ありがとうございます、殿下」
私の頼みを聞いてくださった陛下に深々と頭を下げる。
「ど、どういうことですのっ!?
ウチはっ! パパとママはどうなったのですか!?」
陛下にすがりつこうとする小動物でしたが、近くの騎士に取り押さえられて冷たい床に押さえつけられてしまいました。
「……君が国家転覆を目論む両親の使いとして第二王子を取り込み、木偶の王を立てて実権を握ろうとしていたことは既に露見している」
「そ、そんなっ!!」
「マ、マリー……?」
小動物は否定もしないし、殿下はここまで来ても信じられないといった表情。
本当に、とんだ主演たちですわね。
「ま、全てはマリーとやらが弟に迫り始めた瞬間から君の家を調べ始めたレミエラのおかげなんだけどね」
「なっ!」
「……」
ヘンリー殿下の言う通り、私は小動物が殿下の周りをウロチョロし始めた時から、何か裏があると思って独自で調べ始めたのです。
そしてその結果。小動物の家が過激派・王廃派と繋がりがあることが判明し、急いで陛下に報告に上がったのですわ。
その後のお二人の行動の迅速さは凄まじかったですわね。
小動物の家にだけはバレないように一つずつ家を潰していき、気付いた頃には逃げられない状態を作り上げた。
そして最後に小動物の家を潰し、最後の仕上げにここに来てくださった。
まったく。こんな方々を敵に回そうだなんて、愚かなことを考える者もいるものですわね。
「な、なぜ、マリーが回し者だと、思ったのだ?」
「……」
殿下がぽかんと口を開けてこちらを見上げています。
まるでエサを待つ魚のよう。
なぜ?
そんなの簡単ですわ。
「私を相手取って殿下を奪おうとする勇敢な女など、企みなしに存在するわけがないですわ」
「……あ、ああ……」
項垂れる殿下と小動物。
決まりましたわね。
悪役令嬢、ここに極まれり。
「はっはっはっ! さすがは私のレミエラ!
見事な悪女っぷりだ!」
「……褒め言葉と取っておきますわ」
嫌みたっぷりな陛下の言葉も、今なら称賛ととって差し上げましょう。
「……私の、という言葉を受け取ってくれたということは、認めてくれたということでいいのかな?」
「……」
陛下がぐいと距離を縮めてきました。
年齢に似合わぬ逞しく若々しい体。
計算され尽くしたかのような整ったご尊顔。
どこまでも果てしない思慮深さと聡明さ。
「……そういうお約束でしたから、仕方ありませんわ」
これに惹かれるなという方が無理というものですわ。
「ど、どういうことだ?」
先ほどからぽかんと開けた口がふさがらない殿下。そろそろヨダレが垂れてしまいそうですわよ?
「父上はレミエラを助ける代わりに、彼女を妻に迎えることを提案したのさ」
「は、はぁっ!?」
ヘンリー殿下に説明され、開けた口をさらに大きく開ける殿下。顎が外れませんか?
「お前たちの母。つまり王妃が亡くなって十数年。私もそろそろ寂しくなってな。
レミエラを新たに王妃として迎え入れようと思ったのだ」
「レ、レミエラは俺の婚約者ですよっ!?」
「お前はもうレミエラと婚約破棄しただろうが」
「そ! それは! ……そう、ですが」
ごもっともですわ、殿下。
貴方様に婚約破棄されて自由の身になった私を、貴方程度が縛ることなど出来ませんことよ?
「あーあ。私も頑張ったんだけどな。
結局、良いところは全部父上が持ってくんだから」
「残念だったな、ヘンリー」
拗ねた様子のヘンリー殿下に陛下はイタズラな笑みを向けました。
その子供っぽい笑顔もまた、私の心をイタズラにつついてくるのです。
実際、ヘンリー殿下からも同様の申し出はありました。
しかし、私が陛下に惹かれているのを察して殿下は身を引いたのですわ。
その頃には、小動物に首ったけな殿下にはとっくに愛想を尽かしておりましたし。
まあ、私は悪役令嬢ですものね。
男を捨てるなど、よくあることですわ。
「それに、レミエラほどの切れ者を我が国に留めておけるのだ。それだけで良しとしなさい」
「はいはい。分かったよ」
陛下にそのような打算があることも理解しております。
私が殿下に、例えば国外追放でもされて他国から報復でもされたら敵わないという考えもあったのでしょう。
ですが、
「それに、お前は素敵な母を。私は最高に可愛くて綺麗な妻を手に入れたのだ」
「あら」
陛下は満面の笑みで私を抱き寄せました。
そうです。
確かに打算はありますが、陛下がこうして惜しみない寵愛を下さっていることも理解しているのです。
だから私は、喜んで陛下との結婚という交換条件を飲み、助けを求めたのです。
「……さて、レミエラ」
「……はい」
そして、陛下が声を落ち着かせると、私もその時が来たのだと態度を改めるのです。
「一番の被害者であり、新たな王妃となる君に、彼らの処分を任せよう」
「……はい」
「ち、父上っ!?」
「ま、待って!」
陛下の言葉に、殿下も小動物も困惑の表情を見せました。
私に裁きを下させるなんて、陛下は本当にいい性格をしてますわ。
「ああ。ちなみに今回の件に直接関わった者たちは全員処刑。情報を知っていて野放しにしていた者たちには相応の罰を与えることにしてある。
残るはその二人だけだ」
「くっ」
「そ、そんなっ……パパ、ママ……」
小動物の執事は先ほど騎士に捕まっていました。
おそらく彼も処刑でしょうね。小動物の両親もまた。
「さあ。レミエラ。
彼らの処分を決めなさい」
「はい」
「父上っ! 俺はあなたの息子だぞ!」
「いやー!!」
無駄ですわ、殿下。
陛下は優しく、そして厳格なお方。
ここで甘い裁定を下せば他の貴族に示しがつきません。
本来であれば国家転覆は未遂でも極刑。
その沙汰を私に任せるだけでも本来であれば危ういこと。
……私が、陛下の足を引っ張るわけにはいきませんわ。
「……」
でも、そうですわね。
「……小動物」
「……え!?」
私は小動物の前にゆっくりと腰を下ろしました。
「貴女はなかなかに頭が回るようですわね。
これからは私の下僕として、国と私のためにその狡い頭を誠心誠意活用すると言うのなら、貴女『は』生かしてあげても宜しくてよ?」
「なっ!」
「レ、レミエラ……」
驚く小動物と、自分はそうではないと理解して絶望する殿下。
うん。今の私は紛れもなく悪役令嬢ですわね。
「……嫌よ。これでも、私にもプライドがあるの。
そんな惨めな身になってまで生きるつもりはないわ」
「……あら」
これは驚きですわね。
てっきり生にしがみついて、虎視眈々と寝首をかこうとしてくるものと思っていたのに。
それはそれで今度も涌いてくるであろう不穏な輩を集めるのに利用できると思ったのですが。
「その潔い覚悟。しかと受け止めましたわ」
涙目でも真っ直ぐとした小動物の目を受け、私はすっと立ち上がりました。
マリー。
貴女の名前は覚えて差し上げますわ。
私、興味のある者の名しか覚えない主義ですので。
「陛下の命を受け、新たな王妃たるレミエラがここに二人の刑を宣告します!
第二王子とマリー。両名は処刑!
国家転覆を狙うという重大な罪によって斬首の刑に処すこととします!」
「そ、そんなっ……」
「……」
絶望の殿下と、涙を流しながら頷くマリー。
「ふむ。妥当な判断だ。
斬胴ではないのは優しさが出たかな」
陛下は本当に、どこまでも冷酷で優しいお方ですわね。
「実行犯ではあっても家の命令には逆らえなかったであろうマリーと、事情も知らずに愚行を犯した殿下。
長い苦しみを伴う斬胴よりは情状酌量の余地があるかと考えましたわ」
「……お心遣いに、感謝致します」
マリーはしずしずと頭を下げました。
極刑ではあっても、そこには私の配慮があるのだと陛下は二人に伝えて差し上げたのですわね。
「い、いやだいやだ!」
「……はぁ」
覚悟を決めたマリーに対して、コレは……。
「レミエラ! 君は俺の婚約者じゃないか!」
「……もう違います」
なんなら貴方より立場は上ですわ。
「俺は、俺は王子だぞ!」
「重罪人である貴方にもはや王位継承権はなく、当然のように王族でさえありません。
何より、周りの貴族たちがもうそれを望んでおりませんわ」
「……なっ」
周囲を見回す殿下。
そこには、彼を冷たく見下す無数の目があるだけでした……。
「……レ、レミエラぁ」
それでもまだ情けなくすがりつこうとする殿下。もう、いい加減諦めるべきですわ。
「……私、興味のある者の名前しか覚えない主義なんですの」
「……は?」
ここは悪役令嬢らしく締めるとしましょう。
「……貴方。なんて名前でしたっけ?」
「……そ、そんな……」
マリーと、真っ白な顔をした殿下はそのまま騎士たちに連行されて行きました。
「はっはっはっ。素晴らしい悪役令嬢っぷりだったぞ、レミエラ」
「……お褒めに与り光栄ですわ」
恐れおののく貴族たちとは裏腹に、陛下は私の肩を引き寄せました。
ヘンリー殿下でさえ少し怯えているというのに、この人は。
「これからは、その冷たさも家族にだけ見せる温かさも、全てを私にだけ向けるといい」
「……家族には、これからも温かさは向けますからね」
「はっはっ。それは当然だ。言葉のあやのようなものだ」
「きゃっ!」
陛下は再び楽しそうに笑うと私を強引に引き寄せて、抱き寄せるように顔を近付けました。
陛下の端正なお顔が間近にあって、思わず顔が赤くなってしまいました。
「ふっ。その女の顔だけは、これからは俺にだけ見せるんだな」
「……もう」
そうして、陛下と私の唇はゆっくりと重なったのです。
息子の婚約者を奪うだなんて、本当にとんでもない王様です。
陛下の名前だけは、絶対に覚えてなんて差し上げませんわ。
「そうだ!
二人の娘が産まれたら私の妻にしよう!
そうすれば王位の問題も解決だ!」
私たちの口づけが終わると、唐突にヘンリー殿下がそんな馬鹿なことを言い出しました。
「……なあ。レミエラ。
あいつにはどんな罪を着せて処刑しようか」
「……考えておきますわ」
「じょ、冗談じゃないか~!」
こちらも冗談ですわよ、殿下。
今は、ね。
どうか、今度は私に悪役王妃を演じさせることのないよう、せいぜい王太子として国のために働いてくださいませ。
これは、新たな母からの教育ですわよ?