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9.天(あま)の羽衣(はごろも)

 かぐや姫がみかど寵愛ちょうあいを受けている、といううわさは、翁の近所はもちろん、都の方までもあっという間に広がった。


 翁はあわててうわさを打ち消そうとしたが……


「ね、お父さん。最近家の周りから男の人が消えたと思わない?」


 かぐや姫が翁に言った。


「まあ、それは……」


「誰もみかどの女に手を出せないもんね。やったぁ」


「君はいいのか? それで」


「だって外に出れるもん」


 かぐや姫がペロっと舌を出した。


 確かにあの命名の日辺りから数年間、かぐや姫は外に出れていなかった。


 仕方がないので、翁はうわさを放置することにした。


 ***


 村の行事にも顔を出せるようになったかぐや姫は、最初こそ特別視されていたが、村の女達と一緒に汗をかくようになると、あっという間に村の看板娘になった。


 読み書き教室を開けば子供達の人気をはくし、翁の家にはいつの間にか大勢のちびっこが出入りするようになっていた。


 ある日、翁が子供達に混じって遊んでいると、普段からかぐや姫を憧れと言ってはばからない女の子が翁に変なことを言った。


「ねえおじちゃん。お姉ちゃんって月読命つくよみのみこと、嫌いなの?」


「え? どうかな?」


「絶対そうだよ。お話が月読命つくよみのみことの所に来ると、お姉ちゃんいっつも悲しそうだもん」


 幼くても女の子は女の子なんだな、と、翁は変な感心をした。


 ***


 そのうちに、家の使用人からも、最近かぐや姫が月を見ながら泣いるのを見かける、との報告を頻繁ひんぱんに受けるようになった。


 ある日、翁は勇気を出してかぐや姫に直接聞いてみることにした。


「我が家の大切なお嬢様」


「お父さん、それ、もう止めようよ」


 翁はいきなり出鼻をくじかれた。


「最近、何か悩みは無いか? ……まあ君の場合、いろいろと悩みは尽きないとは思うけど」


「どうしたの? 急に」


 かぐや姫が小首をかしげた。


「いや、最近、月を見ながら泣いているらしいから」


「そうだっけ? あ、あれだ、ほら、月って見てると感傷的な気分にならない?」


 かぐや姫にしては珍しく不器用な返答であった。翁は、これ以上の追求はできないな、と思った。


「とにかく、月を愛でるのは昔から忌むべきこととされてるし、しばらく止めてみたらどうかな?」(※33)


 翁がそう言うと、かぐや姫は何も言わずに翁から急に顔をそむけた。


 翁は慌てて席を立ち、かぐや姫を一人にした。


   ※33 平安時代、月は不気味な、禍々(まがまが)しいものとされて

      いたようです。


 ***


 8月14日――雲は多少多いものの、空気の澄んだ、虫の良く鳴く夜であった。


 夕食後、その昔みかどにお出しするために入手したお茶がまだ少し残っているから飲んじゃおうかという話になり、おきなおうなもかぐや姫も、生まれて初めてお茶を口にした。(※34)


 その夜はいつになくかぐや姫がが饒舌じょうぜつで、最近みかどから頂いた歌の話からたまたま耳にした村人の噂話まで、いくら話しても話足りない様子であった。


 ――と。


 雲の切れ間から月明りが差し込み、部屋が明るくなった途端、かぐや姫が急に泣き出した。涙が涙を呼び、しまいには泣き止むのが難しいほどの大泣きになった。


 おうながかぐや姫にひざを貸そうと近づくと、かぐや姫はおうなに抱き着き、おうなの胸の中で


「嫌! 嫌っ!」


と言いながら一通り泣いた。


   ※34 平安時代、お茶は上流階級だけがたしなむ貴重品だった


 ***


「今まで隠しててごめんなさい。あたしは月の人間です」


 ようやく少し落ち着いたかぐや姫が、おうなの胸に顔をうずめたままぽつぽつと語り出した。


「月にはあたしの本当の両親が居て、あたしは明日、そこに帰らなければなりません。明日の夜、お迎えが来ますので、今日が3人で過ごせる最後の夜です。今まで本当に、本当にありがとうございました。この御恩ごおんは一生忘れません……と、言いたい所ですが、むこう羽衣はごろもを着ると、こちらでの記憶も無くなってしまうそうです」


「駄目!」


 おうなはより強くかぐや姫を抱きしめ、泣き出した。


「ごめんなさい、お母さん」


 そう言って、かぐや姫も再び泣き出した。


「君は……帰りたくはないのか?」


 おきながかぐや姫に聞いた。


「もちろん。だって向こうの世界には何の思い入れも無いもん」


「じゃあ、そのお迎えとやらを追っ払ってもいいか?」


 かぐや姫がビクッと反応した。


「無理だよ。全然。力が違い過ぎて話にならない」


「やってみなきゃ判らない」


 翁は一生懸命感情を抑えていたが、自分でも言葉に怒りがこもっているのを自覚しない訳には行かなかった。


「お父さん、あの人……みかどにお願いして軍隊を出してもらおうと思ってるでしょ」


「やっぱり、私の考えてることぐらい、君にはお見通しか」


「そこはお互い様でしょ」


 翁には、かぐや姫が少し笑顔を取り戻したのが救いだった。


 ***


 8月15日の夜。


 六衛りくえつかさ(※35)合わせて2千の武士もののふが竹取の翁宅に集結した。勅使ちょくし(※36)として指揮を執るのは中将、高野たかのの大国おおくにみかどが自ら陣頭じんとう指揮を執ると言い張るのを宮中全員で抑え、無理矢理納得させた百戦錬磨の将だ。


 2千の軍はそれぞれ弓を手に、築地ついぢの上に千、屋根の上に千と隙なくスタンバイした。庭も母屋もくわや棒といった武器を手にした村人達や使用人達でいっぱいであった。


 おうなは鍵をかけた塗籠ぬりごめ(※37)の中でかぐや姫を抱きしめ、塗籠ぬりごめの戸の前では村人達と共におきなが立ちはだかっていた。


親父おやっさん、壮観っすね」


 翁の横ですきを構えていた村人が、屋根に並んだ正規軍を見てため息をついた。


「これでお嬢さんをさらえたら、神っすよ」


「油断するなよ。頼むぞ」


 翁が言うと、その村人は腕に力を込めた。


「もちろんっすよ」


   ※35 六衛りくえつかさとは、宮中の警護軍。左右の近衛府、兵衛府、衛門府の総称


   ※36 勅使とは天皇が派遣する使者


   ※37 くら


 ***


 その夜は元々雲一つない満月で明るい夜であったが、夜中の12時を過ぎた時、翁の家の周りだけが昼よりも明るくなった。十五夜の満月を10個も集めたような明るさで、傍に居る人の毛穴まで見えるようだった。


 雲に乗った人々が空から降りてきて、地上1.5mあたりに立ち並んだ。


 みかどの精鋭も村人も皆、何か不思議な力により戦う気力を失い、ただただ佇んでいた。武士もののふの中でも特に心が強いものだけがようやっと矢を射ることができたが、その矢は見当違いの方向にヨロヨロと飛んでいっただけであった。


 空中に並んだ人々の装束は見たこともない美しさであった。


 彼らの後ろから空を駆ける車が現れ、そこに座る大将と思われる人物が翁に声をかけてきた。


造麻呂みやつこまろ、出てきなさい」


 翁は何かに酔ったようにふらふらと母屋から出ると、その大将の前にひれ伏した。


「つまらない抵抗は止めて、かぐや姫をお返しなさい。


 姫は罪をつぐなうため、いやしくけがれたこの世界に流されたのだが、刑期を終えたのでやっと月に帰れるのです。


 もともと貧しかったおまえは、姫の滞在費を横領おうりょうすることでこのように裕福になったのではないか。そのうえ姫の帰還を邪魔しようというのは筋違いもはなはだしい」


 その大将が言った。


「恐れながら申し上げます。かぐや姫がどこに住みたいかはかぐや姫が決めることであって、あなた様が決めることではないのではないですか?」


 翁は言うことを聞かない体を気力で動かし、声を振り絞った。が、大将は翁にはもう興味がないようであった。


「姫、こんなけがれた場所からとっとと帰りますよ」


 大将がそう言うと、塗籠ぬりごめの鍵が外れ、格子が人もいないのに開いた。


 体の自由が利かなくなってかぐや姫から手を離してしまい、ただただ泣き崩れるおうなに、


「お母さん、じゃあね。今までありがとう」


 とだけ告げて、かぐや姫が外に出てきた。


 呆然ぼうぜんと立ちすくむ翁にかぐや姫は近づくと、


「お父さん、娘の門出だよ。笑顔で見送ってよ」


 と、にっこり微笑んだ。


 翁は思わず、かぐや姫の頭を思いっきり殴ってしまった。


「痛っ!」


 かぐや姫は頭を抱えてかがみ込んだ。大将がビクッと反応した。


 顔を上げたかぐや姫は嬉しそうであった。


「お父さんに叱られるの、久しぶりだね」


 翁は号泣し、もう何が何やら解らなくなった。


 かぐや姫はその場で手紙をしたため、翁に手渡した。


 天人の一人がかぐや姫に不死の薬を手渡した。


きたない所のものを食べていたので気分がすぐれないでしょう。口直しでこちらをどうぞ」


 かぐや姫はそれをちょっと嘗めたが、思い直して置き土産とすることにした。


 元々着ていた服を脱ぎ、その薬を戻した坪と共につつみに包もうとしたが、別の天人がそれを止め、一刻も早くあま羽衣はごろもを着せようとした。


「待って。それを着ると地上での記憶が消えてしまうんですよね? その前にもう一通だけ手紙を書かせてください」


 かぐや姫が天人に言った。


「駄目です。早くしてください」


 天人がイライラして言った。


 かぐや姫はその天人に微笑んだ。


「月の方々も人情というものを学ばれた方が良いと思いますよ」


 天人は黙ってしまった。


 かぐや姫はゆったりと時間をかけて手紙を書くと、薬の入った坪を添えて中将、高野たかのの大国おおくににそれをみかどに手渡してくれるよう頼んだ。


 天人がかぐや姫に羽衣はごろもを着るよううながすと、かぐや姫は今度は素直にそれをまとい、地上での記憶を失って100人ほどの天人と共に昇天していった。


 ***


 かぐや姫が翁に手渡した手紙には、こう書いてあった。


「わたしがもしこの国に生まれた者であったなら良かったのに、と心から思います。両親をこのようになげかせるのは返す返すもわたしの本意ではありません。


脱ぎ置く服をわたしの形見だと思ってください。又、月の出る夜は月を御覧ください。


これからわたしは天に昇りますが、途中で落ちるのではないかという気すらします」


「結局、服は持っていっちゃいましたね。あの子らしい」


 おうなはそう言っておきなを笑わそうとしたが、結果的に自身の涙を誘ってしまった。


「たぶん最後の最後にこの家に集まってくれた方々に『お世話になりました』と言おうとしていたと思うんだけど、それも言い損なっちゃったな。落ち着いて手紙を書いているふりをしてたけど」


 おきなおうなにそう言うと、おうなは翁の肩に捕まり泣いた。


 ***


 かぐや姫がみかどに宛てた手紙には、こう書いてあった。


「このように多くの方を派遣頂いて私を引き留めて頂いたこをを嬉しく思います。又、先日宮仕えをお断りした事情も、このような身の上であったゆえとご理解い頂ければ幸いです。さぞかし、無礼千万ぶれいせんばんな者と思われていたであろうことが心残りです」

 

 又、手紙には歌が書き添えられていた。


   今はとて天の羽衣着るをりぞ

   君をあはれと思ひ出でたる(※38)


 みかどは手紙を読み終わった後しばらく考え事をしていたが、やがてご自身も歌を書いた。


   逢ふことも涙に浮かぶわが身には

   死なぬ薬も何にかはせむ(※39)


 そして、その場に居た人々に尋ねた。


「最も天に近い山は、どの山だ?」


駿河するがの国にある山が、最も天に近いそうです」


 その場に居並んだ一人が答えた。


 帝はその山の山頂で、かぐや姫の手紙と自分の歌、そして不死の薬を燃やすように命じた。


 2つの手紙と薬を燃やした煙は、今もその山の山頂から雲の上へ立ち上っている。


 又、このエピソードにちなみ、その山は現在では不死の山――富士の山と呼ばれている。(※40)


   ※38 「天の羽衣を着る今になって思い出すのはあなたのことです」

      ……「やっぱりあなたが好きでした」ってことですよね


   ※38 「逢ふことも無い」、の”な”が、「涙に浮かぶの」の”な“を

      兼ねている。「あのひとに逢うこともなく泣く私に不死の薬が

      何になろう」


   ※40 あなたがそう思ったように、かの川端康成も「このオチ、要る?」と

      自身のエッセイで書いています


<<< あとがき >>>


 竹取物語を何度も読み返して思ったのは、現代小説であれば当然書いてあってしかるべきシーンがあえて書いていない、ということでした。


 例えば中納言ちゅうなごん石上いそのかみの麻呂足まろたりの部下が、卵生みたての巣に手を突っ込むシーン。当然、そんなことをすれば部下は鳥たちに襲われ「痛い! 痛い!」と苦悶する滑稽こっけい場面が続く筈です。ところが原作ではこれが書いていない。


 おそらくそこは自分で想像して楽しんで、ということなのでしょうが、本「現代語訳」ではこのようなシーンをちょこーっとだけ書き足させて頂きました。


 その結果見えてきたのは「竹取物語は、かぐや姫と名付けられた普通の女の子の成長物語である」ということです。


 かぐや姫は宇宙人ではありますが、さしたる超能力もありません。ちょっときれいなだけで頭デッカチの、まあ1学年に一人ぐらいは居そうな子です。


 その彼女が、物語の最初の方では「仏の御石みいしはちを持ってきたら結婚してあげる」なんて小学生のようなことを言っていた訳ですが、物語の最後には月の使者をたしなめるまでに成長します。


 私はこの使者をたしなめるセリフ「物知らぬことなの給ひそ」(私は「「月の方々も人情というものを学ばれた方が良いと思いますよ」と翻訳)が竹取物語のクライマックスだと思っています。


 それってあなたの感想ですよね、と言われてしまえばそれまでですが。

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