6.龍(たつ)の首の珠(たま)
ここは大納言大伴御行宅、大広間。大事な話がある、とだけ聞かされ、家臣全員が集められていた。
家のもの全員が召集されるなど、滅多にあることではない。ましてや大伴家は武芸、軍事力で朝廷の評価を上げてきた一族である。家来達はかなり深刻な話が出るものと覚悟して広間に並んでいた。
場の空気が緊張で張り詰める中、大納言大伴御行が口を開いた。
「龍の首に、5色に光る珠がある。これを取って来た者には望むものを何でも与えるぞ」
その瞬間、その場に居た全員の目が点になった。
家来たちはお互いに顔を見合わせ、当然主人に申し上げなければならない一言を、咄嗟に押し付けあった。武勇で名を馳せたリーダー格の一人が、諦めて口を開いた。
「我が君の御指示、誠に畏れ多い次第です。しかし、龍の首の珠というは、流石に無理が過ぎるのではないでしょうか」
それを聞いた大納言はキレた。
「そもそも家臣とは、命に換えてでも主人の命令を果たすのがその本分ではないか! ましてや俺は、天竺、唐土の物を入手せよなんて無理は言っていない。龍はこの国の海山を昇り降りしているものだぞ! それを難しいなどと、どういう了見だ!」
大納言の扱いに慣れたベテランが、慌てて土下座をした。
「申し訳けありません。如何に困難な代物であろうとも、仰せの通り、探しに参ります」
この一言で大納言は機嫌を直した。
「当然だ。お前たちはこの大伴御行の家臣として天下にその名を謳われておるのに、俺の命に背くなどそもそもありえんのだ」
***
大納言は龍狩り行の兵糧として、家中のありとあらゆる絹、綿を換金し、金子を集めた。
そして、
「珠を取ってくるまでは帰ってくるなよ。俺は精進潔斎して待ってるからな」
と、いう言葉と共に家臣団に資金分け与え、送り出した。
「そもそも龍なんて空想の生き物を、いい大人が本気で語るかね」
「で、お前はこれからどうする?」
「うちのバカ殿のことだから、どうせすぐまた言うことが変わるだろ」
「じゃ、今回は実質、ボーナス付き長期休暇だな」
「バカ殿の気が変わるまでの、な」
「そ、そんなことでいいのか?」
「いや、今回ばかりは訳の解らない指示を出した御行様が悪い。親だろうが(※23)君主だろうが、あんな命令に従えるかっての」
「いい機会だから、僕は旅行に行こうかな」
「俺は家でのんびりするよ」
「じゃあ俺は、久々に妻の実家に行ってみるわ」
……そんな感じで、家臣たちはそれぞれ好きな方向へと散っていった。
※23 親の言うことは、ゼッタイ! という儒教思想は、西暦500年台には
日本に既に伝来していた。
重ねて悪いことに、仏教思想による国作りを進めた蘇我氏に反発した
皇室が儒教を推し進めたことから、平安時代は儒教思想が猛威を
振るっていた。(儒教ファンの方、ごめんなさい)
***
一部の家臣がはっきりと口にしていた通り、大納言はバカであった。
「かぐや姫を迎えるのに、こんな普通の家では見苦しい」
そう言って現在の住まいを取り壊し、木の質感を生かしたシンプルで洗練されたデザインの家を作らせた。
それを更に絢爛豪華にすべく全面に漆を塗り、壁には更に蒔絵(※24)を施し、屋根には様々な色に染めた美しい糸を葺かせた。
更に内装として、上質で高級な織物に絵を描き、全ての部屋に貼らせた。
こうして元の家のデザイナーが見たら卒倒するような新築が仕上がった。
更に大納言は、かぐや姫を迎えるためと称し、現在の妻達とは全て離縁し、この家で一人暮らしを始めた。
「またぁ?」
「わたし達を何だと思ってるの?」
「どうせ直ぐにまた、ペコペコ復縁を懇願してくるくせに。でも、今回はちょっと許せないかも」
「懲らしめちゃう?」
「やっちゃおうか」
……そんなことを言いながら、妻たちも家を去っていった。
※24 蒔絵とは、漆で絵を描き、その漆が固まらないうちに金、銀などの
金属粉を蒔いて固めたもの。
***
さて、大納言としては準備万端整えて待っているのに、年を越しても家臣達は誰一人として龍の首の珠を持って帰ってこなかった。
痺れを切らした大納言は、舎人(秘書)2人だけを連れてお忍びで家を出た。
難波近くの港で、大納言は漁師に訊いてみた。
「大伴の大納言の家臣が船を出させ、龍を殺してその首の珠を取った、という話を聞かないか?」
すると漁師は大声で笑った。
「また、妖しい話を。そんな話に乗って船を出す奴なんて居ませんって」
浅はかな奴め。何も知らないからそんなことを言う。大伴の弓は龍を射殺すぐらい容易なのだぞ。 ――大納言は心の中で舌打ちをした。
「ええい、家臣団の帰りなど、待ってられるか!」
大納言はそうつぶやくと、船頭を雇い、船を出させた。
瀬戸内海を彷徨ったあげく、筑紫(九州)近辺まで来た時に、海が荒れ始めた。
空は真っ暗になり、雨風が吹き荒れた。
船はあちらこちらに吹き流され、方向を失った。その上、何度も大浪を被り、いつ船が沈んでも不思議ない状態であった。
更に追い打ちをかけるように雷鳴が轟き、あちらこちらに雷が落ちた。
「なんじゃこりゃ! 怖い! 怖いぞ船頭、なんとかせい!」
大納言が叫んだ。
「こんなん自分も初めてですわ。こりゃ、運よく沈没せんでも、雷に打たれてお陀仏でっせ。せやなぁ遠い南の海に流されるのがオチや……こりゃとんでもな方をお乗せしてもた。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
「こら、船頭!」
大納言は船の欄干から青反吐をゲロゲロ嘔吐しながら言った。
「船の上では船頭の言葉こそ高き山、唯一の頼りだぞ。情けないこと言うな!」
「んなこと言うたって、自分、神ちゃいまっせ。浪が荒いくらい、なんぼでもしまんが、雷はあきまへん。旦那が龍狩りなんつう物騒言うからでっせ。こりゃ龍さんのお怒りですわ。龍はんに謝りなはれ!」
そう言うと、船頭はついに泣き出してしまった。
大納言は仕方がないので指を組み合わせて合掌し、必死に祈り始めた。
「南無船玉大明神様。愚かにも龍殺しを画策しましたことを心から謝罪致します。今後は毛一筋たりともご神体に触れようとは考えも致しません。どうかお許しを!」
その瞬間、強い雷が船のごく近くに落ち、押し寄せる電荷により船中の者が弾き飛ばされた。
大納言は立ったり座ったりひたすらオロオロしながら泣きじゃくり、言葉にならない声で祈り続けた。
祈りが千回を過ぎた頃、雷が止み、空が少し明るくなってきた。風は相変わらず強かったが、方向が変わったようだった
「ほれ、みなはれ。やっぱ、龍さんの仕業やったんや。旦那、安心し。この風で自分ら国に帰れるで」
船頭は落ち着きを取り戻し、状況を冷静に分析しはじめた。しかし大納言はあらぬ方向を見つめたまま、ひたすら祈り続けていた。
***
船が明石の海岸に着いたときは、大納言はもう廃人に成りはて、自分で歩くことも出来ずに手輿(※25)に担がれて自宅に帰ってきた。おまけに腹はぶくぶく膨れ、両目は李を二つ乗せたように腫れあがり、ひどい有様であった。
数日して容態が回復した大納言が起き上がると、龍狩りを命じた筈の家臣達が心配そうに大納言を取り囲んでいた。
「我々は龍の首の珠を取ることができず、こちらへ戻れませんでした。しかし御行様も珠取りの難しさを経験されたと伺いまして、勘当まではされまいと手ぶらでノコノコ戻ってきた次第です。我らに何なりと罰をお与えください」
家臣の中の一番の長老が言った。
「いや、罰どころか、お前たちには感謝しなければ。龍の首の珠を取らなかったことを褒めてつかわすぞ」
大納言が弱弱しい声でそう語り始めると、長老家臣は大納言からは見えないよう背中に右手を回し、後輩達にVサインを示した。
「龍などというものは、雷様の同類だ。うっかり俺はお前たちを殺す所であった。ましてや龍を捕らえるなどした日には、この大伴の家は龍に殲滅されていたであろう。よく、龍の首の珠を取らないでいてくれた」
大納言はこの後、まだ家に少し残っていた財産を、龍の首の珠を取ってこなかった家臣たちに褒美として分け与えることを指示した。
「しかし――」
大納言は一言付け加えた。
「それもこれも、あのかぐや姫という大盗人の企み。可愛い顔をした陰険悪魔め。俺はもう二度とあんな奴の傍には近づかんぞ。お前たちも竹取の翁の家の近くは通るなよ」
この話を伝え聞いた元奥方達は、馬鹿馬鹿しくなって吹き出した。
その後、世間ではこんな会話が交わされたという。
「大伴の大納言は結局、珠を全然取れんかったんか」
「いやそうでもない。目の上に李のような玉を乗せてご帰還されたぞ」
「食べがたい李じゃ」
これが「耐え難い」の語源である。(※26)
※25 人足2名が前後を担ぐ、人力移動座布団。
神輿の社殿部分に人が座ると思ってください。
※26 これがどういう駄洒落かというと……
はい、わかりました。引っ込んでます。