5.火鼠(ひねずみ)の裘(かわごろも)
今日は、右大臣阿部御主人が持参した箱を、かぐや姫と翁がいつもの部屋で開いてみていた。中身は火鼠の裘、すなわち、伝説の動物の毛皮である。 ……阿部大臣の言葉を信じれば、だが。
実際、中に入っていたものは、この世のものとは思えないほどなめらかな質感を持つ、紺青色の裘であった。加えて毛先は金色に光っている。
そもそも火鼠の裘とは、着ていてもし汚れた場合はそれを火で焼くと汚れだけが燃えて一層美しくなると言われている不思議な毛皮なのだが、それ以上にそれ自身の美しさが素晴らしいと言われている。
確かに今、二人の目の前にあるそれは、見ただけでも如何にも珍宝と思えるものだった。
「ふう」
かぐや姫がため息をついた。
「車持皇子様といい、何でみんなこんな……」
「噂では、大臣様は金に糸目を付けず、とんでもない金額でこれを入手されたらしいぞ」
翁が言った。
「皇子様もまだ行方不明のまま見つかってないんでしょ? これも否定したら、あたしはもう悪魔の申子じゃない」
「君はなんでそう毎回頭から疑ってかかるかな? こんな立派な品物、どう見ても本物だろう。私は君に偉そうな口をきける立場でもないけど、あんまり人に侘しい思いをさせるもんじゃないよ。大臣様をこの部屋に通すけど、いいよね?」
「どうぞ~」
かぐや姫は両手のひらを上に向け、肩をすくめた。
彼女の視線の先には箱に付いていた歌があり、そこにはこうあった。
限りなき思ひに焼けぬ裘
袂乾きて今日こそは着め(※19)
※19 「あなたへの限りない思いの火にも焼けない裘は、
悲嘆の涙にびしょ濡れでしたが、苦労が報われ袂も乾き、
今日こそはあなたに着て頂けるでしょう」
……なんか、汚い。
ちなみに「限りなき思ひに」の最後の2文字が「火に焼けぬ裘」
の”火”を兼ねている。
***
阿部大臣は、自分がいかにしてその裘を入手したか、という話をかぐや姫と翁、そして飲み物をもってきた嫗(翁の妻)にとうとうと語って聞かせた。
自分の部下の中でも一番の切れ者である小野房守を使いに出し、支那(中国)の実力派商社経営者、王卿に前金を手渡し、裘を入手するよう指示したこと。
王卿からは、彼の国際的な人脈ネットワークを駆使して探してみるが、おそらくこの世に存在しないものだから、見つからなかったら委託金は返金する旨返事があったこと。
それから数か月して、天竺(インド)の聖僧が所有していた裘が支那に伝わっているという情報を入手し、支那の朝廷トップを買収してやっとのことで火鼠の裘を入手した、との連絡があったこと。
ただし、入手に費用を要してしまったので、追加であと50両欲しい、ともその連絡には書いてあったこと。
この間、小野房守が王卿の動きは全て監視しており、王卿がズルをする筈はないので、自分は躊躇なくと追加の50両を支払ったこと。
、――そんな話を語る間、右大臣は終始自慢げであった。
「ま、わしにとっては、どれもはした金ですわ。はっ、はっ、はっ」
阿部大臣は上機嫌であった。
「……まだ、これが本物かどうか判りませんよね?」
「はっ、はっ、は?」
がくや姫の一言で、阿部大臣の動きが止まった。
「この裘を火にかけてみて、焼けなかったらあたしはあなたの妻になりましょう」
「何を……これは唐土にも無かったものを、ようやっと入手したものですぞ? どこに疑う余地が……」
阿部大臣はそこまで言って、翁もがくや姫の言葉に頷いていることに気が付いた。
「……いいでしょう。これを火にくべてみよ」
右大臣はお付きの者に指示をだした。
お付きの人が囲炉裏の火に裘をくべてみると、裘は忽ちまちめらめらと燃えてしまった。
阿部大臣の顔色は草の葉の色に変わっていた。その表情は、この品物の金額が阿部大臣にとっても決して“はした金”ではなかったことを示唆するものであった。
かぐや姫は翁を睨んだ。
「私? えっ?」
翁はただただ狼狽えるばかりであった。
この時の、阿部大臣に対するかぐや姫の返歌と言われている歌が下記。
名残なく燃ゆと知りせば裘
思ひの外に置きて見ましを(※20)
※20 「跡形もなく燃えると知っていたら、火の外に置いて鑑賞して
いましたのに」
右大臣の歌に合わせて「思ひ」の”ひ”に”火”を兼ねさせ、「こんな
裘などに思い悩みませんでしたのに」という意味を含ませている。
……まさに悪魔の一句である。
***
この話は、あっという間に世間に拡散した。
「阿部大臣は火鼠の裘を持ってきたって話だから、もう婿になってここにかぐや姫と一緒に住んでるんだよね?」
「いや、裘を火にかけたら燃えちゃって、かぐや姫に振られたらしいよ」
……とか、なんとか。
世間ではこの話を受け、利気なきもの(※21)を敢無し(※22)というようになった。
※21 利発さにかけるもの。愚鈍であるもの
※22 「敢無し」≒「阿部無し」
……すみません。もうちょっと頑張って耐えてください。