4.蓬莱(ほうらい)の玉の枝(え)
最近、車持皇子が長旅から戻って来たらしい、とか。
今日、沢山の人々が出迎える中、くたびれた様子の皇子が難波の港に降り立った、とか。
車持皇子に関する噂が聞こえてきたのもこの頃であった。
それだけではない。
「車持皇子が優曇華の花をお持ち帰りになった」
との話も同時に伝わって来た。
そもそも公式には車持皇子は数年前、筑紫の国へ湯治の為に旅立ったことになっているが、それは嘘で、本当はかぐや姫へのプレゼントを探して旅立ったことは、最初から誰もが知る公然の秘密であった。
……少なくとも車持皇子が世論操作に関し、高い能力を有することは明らかであった。
「どうしよう。こいつには負けるかも……」
翁は、かぐや姫が弱気な声を漏らすのを初めて聞いた。
***
実は車持皇子、ステルスマーケティングにより長い探検の旅から帰って来たという伝説を創っただけではない。
同時並行で一般人が近寄れない特殊施設を建築、その内側に秘密の工房を開設し、当代一流、国宝級のマイスター6名を雇いこんだ。
更に、本人は筑紫の国へ出航するふりをして3日後に引き返し、工房に6名の工匠と共に籠り、数年かけてかぐや姫が注文したものと寸分たがわぬものを作らせた。
そして再びその完成品を持って出航、皇子が戻ってくるらしいという噂を流して人々を港に集め、再度港に帰港したという次第である。
***
噂の本人は、翁が噂を耳にして直ぐに、翁宅に現れた。
何でも、長旅で疲れている筈なのに、自宅にも寄らず真っ直ぐかぐや姫に会いに来たとのこと。
翁が出迎えると、早速皇子が例の玉の枝を手渡した。
「命がけで取って来た玉の枝です。かぐや姫にお見せください」
言葉だけでなく身振り手振りも大仰な、尊大な男であった。
翁はそれを、家の奥にいるかぐや姫の所へ持って行った。
玉の枝は、完璧であった。
形状そのものは、例えば白い実は、幾何学的な球からは大きく外れたむしろ歪と言える形状をしている。それも真っ白でなく所々萎れて茶色がかって。
またその枝も、全て金という訳ではなく、白樺の白い皮のように所々剥げ落ち、不安定に金色を纏っていた。
が、その形状こそ、植物として自然な、自然界に普通に生息している果実の枝の姿であった。完璧過ぎて、玉の枝そのものには全く文句のつけようが無かった。
玉の枝には歌が付いていた。
いたづらに身はなしつとも玉の枝を
手折らで更に帰らざらまし(※14)
かぐや姫はブルっと震えた。顔からは表情が消え、血の気が失せていた。
可哀そうだとは思ったが、女の幸せは結婚にありと信じる翁は、心を鬼にしてかぐや姫の背中を押すことにした。
「皇子は君が望んだ蓬莱の玉の枝を、この通り一つの不振もない形でお持ち帰りになった。今度は君が約束を守る番だよ」
翁がそう言うとかぐや姫はますます俯き、髪の毛に隠れて表情が見えなくなってしまった。
「お父さん、大っ嫌い」
そんな小さな声が聞こえたような気もしたが、翁は聞こえないふりをした。
※14 「むなしくわが身を滅ぼそうとも、玉の枝を取らずには帰れようか」
あなた(かぐや姫)を手に入れずには帰れません、という意味も
含んでいる
***
そのとき、
「ああっ、皇子様……」
というような、使用人達の戸惑う声がして、明らかに男性の乱暴な足音が、二人の居る部屋にずんずん近づいてきた。当然、文句無く室内に招かれるものと考えていた皇子が、痺れを切らして上がり込んできてしまったのであった。
天皇の子というとんでもなく高い身分のものに意見できる一般庶民の使用人などいる訳もなく、誰もそれを止めることはできなかった。
翁もまた例外ではなかった。
部屋から顔を出した翁は、縁側を歩いてくる皇子に、こちらです、と手を挙げて自ら歓迎の意を示した。
当然のように部屋にも上がりこんだ皇子は、そこにかぐや姫の姿を認め、固まった。
皇子がそこに見たものは、言うなれば人の姿を借りた芸術作品であった。
他の女達よりも明らか大きく色素の薄い瞳は、あどけなさと深い知性を湛えていた。その長いまつ毛は、未熟な可憐さの中に妖艶さの気配を漂わせていた。
なによりもその茶色かかった輝く長髪は、産毛と呼んでも良いほど幼く、弱々しく、下手に触れれば壊れてしまいそうなほど繊細でありながら、人を包み込む優しさを備えていた。
彼女に比べれば、皇子が知る全ての女は猿同然であった。
玉の枝作りを進めながら、実は皇子は何度も自問自答をしていた。他の候補者に負けたくない一心で、つい膨大な費用や貴重な人材、なにより自分の大切な時間をついやしてしまったが、かぐや姫とはそもそもそれほどの価値のある存在なのか、と。
……とんでもない具問であった。
この抜けるように白く瑞々(みずみず)しく、穢れを知らないその肌が、もうじき自分の手中に収まるのかと思うと、皇子は湧き上がる興奮を抑えることができなかった。たとえその少し血走った濡れた目が、皇子に対する好意を少しも孕んでいなかったとしても、だ。
「し、しかしいったいどのような所にこのような木があったのでしょうか? 全く不思議で、美しくて、素晴らしいものですね」
二人の無言の間に堪えられず、翁が口を開いた。
その言葉をきっかけに、皇子は一気に冒険譚をまくしたて始めた。
「いやいや、自分は一昨年の2月頃、難波の港を出港したのですが、その時点ではどちらの方向へ船を進めればよいのかも解らない状態でした。しかし、この一念思い遂げられずんば生きていても何になろう、と、腹をくくりましてからは、同じ風まかせでも、そのうち蓬莱の山に出会うこともあろうと信念を持って船を進めることができました。
とはいえ、ある時は波が荒れて船が海の底まで沈没しそうになり、ある時は見知らぬ国に吹き寄せられて鬼のようなものに襲われ殺されかけ、ある時は方向を失い海に飲まれかけ、またあるときは食料を失って草の根で食いつなぎ、あるときは海のバケモノに襲われ、あるときは海の貝を取って命をつなぎ……と、苦労はやはりいろいろありました。病になったときは流石に心が折れかけましたね。
航海500日目の朝8時か9時頃でしたでしょうか、海の向こうに山が見えてきました。
近づいてみると、その山はなかなかに大きい。標高も高く、恰好の良い山が、突然海の中から生えているような風情でした。その神秘さから、これこそ私が求めていた山だろうとはおもいましたが、おそろしくもあるのでまずは山の周囲を2、3日漕ぎまわっていました。
すると天人の身なりをした女性が銀のお椀で水を汲んでいる。
そこでその女性に、
『こちらは、何という名前の山ですか?』
とお尋ねしたところ、
『蓬莱山です』
とのこと。そのときの嬉しさといったら……あなたには判らないでしょうね。
続けて自分は女性に、
『あなたのお名前は?』
と、お尋ねしましたら、
『わたしの名は”ほうかんるり”』
とだけ答えて、そのまますっと山の中に入ってしまいました。
さて、その山といったら、まるで登りようもないほど険しいものでした。自分達は山の周囲の崖っぷちを歩いてみましたが、この世には見慣れない珍しい花や木が多く、金銀瑠璃色の水が山から流れ出しておりました。また、その川にはいろいろと美しい色の玉の橋が掛かっており、周囲の木は皆光輝いていました。
そのなかで、自分が取って来たものは、どちらかといえばあまりパッとしない方の奴でしたが、姫が御所望のものと違ってはいけないと思いまして、折り取ってきた次第です。
まったく、山はこの世のものとは思えないほど壮観でしたが、この枝を取ってからは気がせいて、一目散に戻ってきました。幸い、大願力のおかげか追い風が吹いて、400日余りで戻ってくることができました。
昨日、難波の港に着いたのですが、そこから潮に濡れた着物を取り換えもせず、まっすぐこちらへ伺った次第です」
翁は皇子の話に関心し、一首詠んだ。
呉竹のよよの竹取野山にも
さやはわびしき節をのみ見し(※15)
皇子もこれを受け、返歌をした。
我が袂今日乾けばわびしさの
千草の数も忘れぬべし(※16)
かぐや姫は唇の端を噛みしめ、ただただ二人のやり取りを見ていた。
※15 「私も長年竹取りをして、野山でつらい思いもしましたが、
それほど困難は経験がありません」
節、は竹の節と、折々のふしにかけている。よよ、も代代と
節節にかけている。呉竹はよよの枕詞
※16 「姫を思う涙で濡れた私の袂は念願かなって今日乾きました。
同様にこれまでの辛い思いの数々も忘れてしまうでしょう」
千草の数、はたくさんの数
***
――と、玄関に別の訪問者が来ていると使用人が伝えてきた。
「問題ない。通せ」
上機嫌の皇子が、あたかも自分がこの家の主であるかのごとく気軽に指示すると、6名の男達が庭に入ってきた。
その姿を見た皇子は、急に周章狼狽いた。
6人のうちの一人が、棒の先に文を挟んで翁に差し出した。
「内匠寮の匠、漢部内麻呂でございます。この度は禄を給りたく参上致しました」
そう言うと、6人は深く頭を下げた。
呆然とする翁の横から、慌てた皇子が手を伸ばし、手紙を取り上げようとした。皇子の手が手紙に触れる直前にかぐや姫は素早く手紙を抜き取り、読み始めた。
「皇子様には、我ら賤しき匠と共に同じ場所にお隠れになること1000日余り、その間立派な玉の枝を作らせ、それが出来上がった暁には禄はもちろん官職もお授けくださるお約束でした。しかし、品物完成後何日も経ちますが、いまだ禄もなく妻子に合わせる顔もありません。
改めて考えてみますに、この品物はやがてご側室になられるかぐや姫様御入用のもの。で、あれば、かぐや姫様のご実家より禄を頂くのが筋かと存じまして、お願いにあがりました」
かぐや姫が手紙の音読を終えると、翁は恥ずかしさのあまり下を向き、皇子はもうどうしようもなく、無表情でその場に座り込んだ。かぐや姫は次の歌を詠んだ。
まことかと聞きて見つれば言の葉を
飾れる玉の枝にぞありける(※17)
かぐや姫はにっこり笑って玉の枝を皇子に返すと、感謝もこめて匠たちに多めの禄を手渡した。匠たちはかぐや姫に感謝し、喜々として帰っていった。
かぐや姫は皇子と翁を縁側に残して一人部屋に入った。が、しばらくしてうっすらと襖を開けると、
「お父さん」
と、どうしたらよいか判らない様子の翁に、手招きして部屋に入るよう指示した。
※17 「本当の玉の枝かと思ってみれば、偽りの言葉を飾り立てた作り物
だったのですね」
***
縁側に一人残された皇子は、逃げるようにこっそりと翁の家を後にした。
そして、急いで匠達に追いつくと、彼らを血が出るほど引っぱたき、かぐや姫が渡した禄を全て取り上げた。
そして、
「これ以上の恥はない。これでは天下の笑いものではないか」
との言葉を残して、一人で深い山の中に入っていった。その後、宮家の家扶達が必死に捜索したが、ついぞ皇子の姿は見つからなかった。
これが「たまさかる」の語源である。(※18)
※18 謎のオチ。
そもそも「たまさかる」という言葉はないし、この言葉が何に
掛かっているのかも不明。後世の多くの注釈書が、このギャクの
意味が解らなくて苦しい言い訳をしている。