3.仏の御石(みいし)の鉢(はち)
5人の皇子、上達部達は、一度は立ち去ったものの、その後それぞれ使者や本人が改めて訪ねてきて、結局は5人ともそれぞれの難題に取り組むことを宣言した。翁は頭を抱えた。
***
それから3年ほどしたある日――
石造皇子が、久々に翁の家を訪ねてきた。御石の鉢をかぐや姫にお見せしたい、とのことだった。
翁はずっしりと重い包みを受け取ると、奥の部屋に居たかぐや姫と包を開けてみることにした。
かぐや姫が添えられた造花の枝を避け、錦の袋を開いてみると、はたしてその中には煤けて真っ黒になった鉢があり、鉢の中に手紙が入っていた。手紙にはこうあった。
海山の路に心を尽し果て
ないしの鉢の涙流れき(※10)
かぐや姫は鉢をしばらく観察していたが、返歌を添えて使用人に鉢を石造皇子に返すよう指示した。
翁の家の前で待っていた石造皇子が鉢と共に受け取ったかぐや姫の歌は、このようなものだった。
おく露の光をだにぞやどさまし
小倉山にてなにもとめけん(※11)
実際、鉢は皇子がたまたま小倉山のとある山寺から適当に拝借したものであった。かぐや姫は千里眼でも持っているのかと、皇子は目を疑った。
※10 表の意味は、「あなたのご注文の仏の御石の鉢をとりに、
天竺まで海山千里の道を心のありたけをつくして行ったので、
泣くほど大変だった」であるが、海に「憂み」、尽くしに
「筑紫」がかかっており、歌の前半には「筑紫を発って
大変な旅をしましたよ」という言葉が隠れている。
又、後半にも「泣いし、石の鉢、血の涙」という言葉が隠れており
これまた大変でしたよ、と言っている。
結果的に、複数の言葉を掛け合わすことで、俺ってこんなに
言葉が巧みなんだぜ、凄いだろ、と訴える歌になっている。
※11 仏の御石の鉢というならば、せめてほんの
草葉の上に置く露ほどの光でもあって欲しいものです。
ところがこのような真っ黒けの鉢をもってきて、あなたはたぶん
これを、小倉山(小暗、にかけている)辺りから持ってきたんじゃ
ないですか? という歌。
***
天竺まで旅団を使わすには、膨大な金と優秀な人材が必要である。しかも確実に生きて帰れる保証のない危険な長旅だ。更に加えて、二つとない貴重な鉢を、天下の天竺が、泡沫国家の日本に貸し出すとはとても思えない。
もしもそのような指示を出すとすれば、自身や自分の血縁者の政治生命にも係わる、重たい決断になってしまう。
そこで皇子は考えた。
どうせかぐや姫も本物を見たことは無い筈だ。だったら偽物でもバレる筈はないじゃないか――と。
***
悔しさのあまり鉢を門前に叩きつけた皇子は、その場で次の返歌を書き、かぐや姫に渡すよう使用人に命じた。
白山にあへば光のうするかと
鉢を捨てても頼まるるかな(※12)
しかしながらそれに対するかぐや姫からの返事は無かった。しかたがないので、皇子はすごすご帰っていった。
以上が「恥を捨てる」の語源である。(※13)
※12 あなたのような美しい人に会ったので、鉢も光を失ったのでしょう。
私は鉢を捨ててもあなたへの望みは捨てません
※13 「鉢を捨てる」≒「恥を捨てる」
おそらく平安期には時代の最先端を行くギャクであったのだろう。