2.妻どい
あの家の娘は、とにかく可愛いらしい。
そんな噂が広まるにつれ、かぐや姫と仲良くなりたい、せめてその姿を一目でも見たいものだと、高貴な者から卑賎な者まで、世の男という男が昼夜を問わず翁の家の周りをうろつき回るようになっていた。中には闇夜にまぎれて垣根の下より這つくばって家を覗く輩も……。「夜這い」の語源である。(※6)
※6 もちろん嘘である。
***
多少なりとも自分に自信がある者たちは、手紙を書く、歌を詠む、翁の家の者に言葉をかける(この頃には翁は人を雇うまでになっていた)、など様々なアプローチを試みたが、取り合ってもらえた者は誰一人いなかった。
こうして一人、また一人とかぐや姫へのアプローチをあきらめるなか、最後に残ったのはいずれも劣らぬ高貴な身分の、粋で通った者達ばかりであった。
石造皇子
車持皇子
右大臣阿部御主人
大納言大伴御行
中納言石上麻呂足
以上の5名である。
この日本トップクラスの公達が、炎天の日も雷鳴の日も代わる代わる訪ねてきては、一般庶民の翁に頭を下げるのだ。
「お嬢さんをください」
――と。
それに対して、翁はただただ、
「私の産んだ子ではないので、どうにも……」
と、狼狽えるばかりであった。
***
そんなある日、翁は勇気を出してかぐや姫に言ってみた。
「我が家の大切なお嬢様」
「何?」
かぐや姫は翁を睨み返した。その目は、どうせまた男が言いよって来た話でしょ、いちいちあたしに訊かないで、黙って断ってくれればいいのに、と言っていた。
「君は神様からお預かりした子供で私の本当の子ではないが、これまで大切に育ててきたつもりだ。その心持をくみ取って、私の話を一つ、聞いてみてくれないか?」
翁がそう言うと、かぐや姫は突然背筋を伸ばし、目を丸くした。
「え?」
「ん?」
「あたしって……お父さんの本当の子じゃないの?」
「そうだけど……話してなかったっけ?」
翁はかぐや姫に、彼女が翁の子供になった経緯を話して聞かせた。かぐや姫は合掌した手を口に当て、黙って翁の話を聞いていた。
「……何か?」
かぐや姫の口が何か言いたげに動いているのに気が付き、翁は途中で言葉を止めた。
「ううん、情報量が多すぎて……なんというか……お父さん、本当の自分の子じゃないのに、よくこんな我儘娘を育ててるね」
「いや、逆に我儘な方が可愛いというか……まあ、なんだ……そこは、いいじゃないか……」
急に黙ってしまった翁を見て、かぐや姫はクスっと笑った。
「で?」
「へ?」
「『私の話を一つ、聞いてみてくれないか?』でしょ?」
「あ、それ……」
咳払い。
「男女は結ばれ、夫婦となるのが世の習い、それあってこそ一族も栄えるというものだ」(※7)
「う~ん」
かぐや姫は再び困った顔になった。
「それに、曲がりなりにも君は女の子だ。この世の中は女子が一人で生きていけるようにはできていない。(※8) 私ももうじき50、もういつ死んでも不思議のない歳だ。(※9) だが今のままでは私は安心してあの世へいけない」
かぐや姫はため息をついた。
「幸い、今なら5人もの身分の高い方々が熱心にも足蹴く通ってくださっている。あの方々の中のお一人に嫁ぐのはどうかな」
「ありがとう、お父さん。でもあたしは、嫁ぐ方のお心の深さ、志も確認せずに結婚して、後で後悔するのはやだな」
かぐや姫は静かに答えた。
「それは私もそう思う。で、君は、どんな志を持った方が良いのかな?」
「どんなって……それはいろいろ……」
ふと、かぐや姫の動きが止まった。
「はい!」
かぐや姫が突然右手を挙げた。その表情はついさっきまでのそれとは打って変わり、憑き物が落ちたような晴れやかなものに変わっていた。
「かぐや姫は、一番自分が見たいものを見せてくれた方を旦那様に選びたいと思います!」
「……」
翁が戸惑ってかぐや姫を見返すと、かぐや姫は子供のように純粋で残酷な笑みを浮かべた。
「ね、いい考えでしょ?」
「そうだな」
嫌な予感しかしなかったが、それでも昨日まで男の誘いという誘いを断り続けていた娘がここまで妥協したのだ。おそらく、信じがたい己の出生話を受け入れ、翁の気持ちも汲んだ上で、だ。翁としては同意せざるを得なかった。
※7 平安時代の価値観です
※8 平安時代なので…
※9 平安時代の男性の平均寿命は33歳
***
その日の夕方、いつものように例の5人が翁の家に集まり、かぐや姫へのアピールのため笛を吹いたり詩を歌ったりしていた。
「皆様におかれましては、勿体なくも長の年月、こんな汚いところにお通いくださいまして、恐縮に存じております」
その場に翁が現れ話を始めると、5人は静かになり、皆、翁の言葉に耳を傾けた。
「実は本日、娘と相談しまして……」
翁は5人に、かぐや姫を説得した結果、かぐや姫が望むものを見せてくれた方に嫁ぐことに決めた話をした。
「……これならば結果についてお互いに恨みっこなし、それなりに良い方法だとおもうのですが、いかがでしょうか?」
「ほう、おもしろい」
「了解した」
「また、異なことを……」
5人の反応は様々であったが、一応了解を得られた形にはなったので、翁はかぐや姫にその旨を伝えた。
「じゃあ、石造皇子には、天竺にある御石の鉢を取ってきてって云って。車持皇子は、東海にあると言われている蓬莱山の、根が銀で茎が金、白い玉の実がなる木の一枝を」
翁は自分の表情がひきつるのを止めることができなかった。
かぐや姫は翁の反応を楽しむ様に続けた。
「もう一人の方には、唐土にある火鼠の裘を、大伴大納言には、龍の首にある五色に光る玉を、石上中納言には燕の子安貝をお持ちくださいって云ってもらえる?」
「……出た」
翁は口をへの字に曲げた。
「また無茶苦茶な難題を……少しはそれを伝える私の身にもなってくれないか?」
「難題? そうかなぁ?」
かぐや姫は笑いを必死にこらえていた。
翁がため息をつきながら立ち上がると、かぐや姫は両手を合わせて翁に謝意を示した。ちらっと舌を見せながら……。
はたして、翁が5人の公達にかぐや姫の言葉を伝えると、5人は怒り狂った。
「そんな難題を言うぐらいなら、なぜいっそのこと『もうこの近所をウロつくこともまかりならん』と、はっきり言わないのだ」
そんな捨台詞を残して5人は去っていった。