1.かぐや姫の生立(おいたち)
今から1000年以上昔、大化の改新により天皇を頂点とするヒエラルギーが確立し、でも紫式部が源氏物語を執筆しはじめるよりはずっと昔の話――。
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ある日、いつものように翁が野山で竹を取っていると、中に一本、根本の光っている竹があることに気が付いた。
翁の名は讃岐造麻呂。取った竹で籠などを作り、生計にあてている者だ。(※1)
翁が不思議に思って近寄ってみると、切断された竹筒の中で10cmにも満たない小さな赤ん坊が可愛らしく微笑んでいた。
「君は私の子になるべき子のようだね。私が朝夕見ている竹の中に居たんだから」(※2)
翁はそう言うと、その子を妻の待つ自宅に連れて帰った。
※1 要するに、翁は副職をしないと食えないほどの貧乏農家であった
※2 竹が籠になることを、子になる、にかけた駄洒落である。
ここで、はぁ!? と驚いてはいけない。この物語、この後も
万事この調子である。
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その後、翁が竹取りに行くと、複数の節と節の間に黄金が入った竹に度々(たびたび)出くわようになった。翁は次第次第に裕福になっていった。
一方、女の子の方はといえば、すくすくと順調に(若竹が急速に背を伸ばすように?)育っていた。最初は小さいので籠の中で寝かせていたが(※3)、3か月もすると背丈も体つきもまもなく思春期を迎える普通の娘になっていた。
そこで翁達は女の子のお下げを上げて髪を結い裳を履かせた。(※4)
その容貌の清らかで美しいこと!
少しづつ大きくなりつつある翁の家が、彼女の放つ光に満たされ、家じゅう暗いところが無くなってしまったようであった。翁はどんなに苦しい時も、腹の立つ時でさえ、彼女の顔さえ見れば心が癒された。
彼女はその後も少しずつ神々(こうごう)しいまでの美しさを増して行った。翁夫妻は宝物のように娘を愛で、大事に大事に育てた。
※3 原作者は子と籠の駄洒落をよほど気に入ったらしい
※4 髪上、すなわち当時の女の子の成人式スタイルである。
ご損じの通り、当時の女子の成人は11~16歳。ちなみに裳とは
袴のようなもので、川端によれば、お雛様がよく履いているやつ、
とのこと。
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娘がいよいよ大きくなったので、翁は三室戸斎部秋田(※5)を呼んで、命名を依頼した。秋田は「なよ竹のかぐや姫」と名付けた。
翁は祝賀会を催した。宴会は親戚一同はもちろん、来るものは拒まず参加させ、酒を振舞い、ありとあらゆる歌舞音曲が演奏された。
宴会は3日3晩続いた。
※5 三室戸は神が降臨する場所で、具体的には宇治や三輪山
あたりを指すとのこと。斎部氏は宮中の祭祀に携わる氏族。
秋田は普通にファーストネーム。平安時代の慣習から推測するに、
秋田は翁の主家筋にあたる人物であろうとされているらしい。