L G B / T
(1)はじめに
性的少数者に対する理解を深めるためのLGBT理解増進法案を巡り日本の政界が揺れている。
日本でも肉体的性別が男性のトランスジェンダーが女子大への入学を要求するなど性的少数者の権利主張の声が日に日に高まってきており、自民党の中ではリベラル寄りの岸田政権の内閣中に性的少数者に対する何らかの動きがあることはほとんど確実と言っていいだろう。
この法案の解説や評価は今回のエッセイにおいては何もしない。
私より何倍も優秀な専門家やコメンテーターたちがメディアで議論しているからだ。
こんなエッセイを見るより、インターネットで検索したほうがよっぽど有意義だろう。
今回のエッセイで伝えたいことはその前提。前提も前提のことである。
(2)「LGBT」の違和感
「LGBTの権利向上を目指す~」
「今日は渋谷でLGBTのデモが~」
LGBT LGBT LGBT LGBT
最近はこの4文字を見かけることもずいぶん増えた。(現在は他の性的少数者も含めてLGBTQ+という場合も多いが)
私はこの文字列を見るたびに非常に違和感がある。
L G B / T ではないかと。
LGBとTは全くの別ではないかと思うのだ。
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル。
この3つは性的指向、すなわち恋愛対象によって定義されている。
女性が好きな女性、男性が好きな男性、どちらも好きな人。
それに対してトランスジェンダーは性自認、すなわち自称の性が定義である。
自分を女性と考える男性、自分を男性と考える女性。
恋愛対象と性自認なのだからこの2つは全く違う。
そもそもLGBT=性的少数者と訳されていることからもわかるように、LGBとTには「少数派」という共通点によってまとめられている。
言い換えると、中身内容で一緒くたにされているのではなく、世間からの扱われ方によって同じグループにされているということだ。
こうなると一つの疑問が生じる。
はたしてLGBとTを今後もずっと一緒に扱うべきなのであろうか?
ご存知の通り現在は一緒に扱われている。
”LGBにある権利が認められた場合、それと同じ権利が当然Tにも認められるべき。”
LGBTの運動に参加している人たちは「性的少数者の権利」として一括りにして活動している。
私はこのような現状に反対である。
主張を繰り返すが、LGBとTを分けて考えるべきだ。
誤解を恐れずに申し上げると、
トランスジェンダーがLGBの権利獲得の足を引っ張っている。
私はこう思うのである。
(3)LGB
LG(B)の権利獲得の一つの大きな目標は同性婚であろう。
日本はいまだに同性婚を認めていないが、これは先進国の中ではかなり遅れている方だといっていい。しかし、国民の意識がまったく変わっていないというわけではない。
各メディアが行っているいくつかの意識調査を見てみたが、「同性婚を認めるべきだ」と考える人の割合は50%を越え、若者に至っては7割近くが賛成しているというデータもある。かくいう私も同性婚を認めるべきだと思う。
なぜみんなは同性婚に賛同するのか。
答えは簡単だ。自分にとっては「他人事」だからである。
決して悪い意味で「他人事」という言葉を使ったわけではない。
恋愛対象なんてその人の自由なのだ。
私も先ほどは上から目線で「認めるべき」などと言ったが、「認める」「認めない」云々以前に「他人様が誰を好きになろうが他人様の勝手」なのである。
逆に反対している人々は何の権限があって「その同性婚は認めない!」と言っているのだろうか。よく分からない。
このようにLGBに限ってみると、その権利が認められるハードルは決して高くないように感じる。
憲法の壁があるためいわゆる夫婦と「全くの同等」となるのは時間を要するかもしれないが、法的行政的に「同等とみなされる」日が来るのは決して遠くはない、と私は思う。
しかし、繰り返すがこれはLGBに限った場合の話である。
現在、LGBの権利擁護の運動をしようと思ったら、これにトランスジェンダーがくっついてくる。
(4)トランスジェンダー
トランスジェンダーはどうだろう。
トランスジェンダー単体に関する意識調査を行った事例を見つけることはできなかったが、おそらく同性婚と比べて賛同者はガクッと落ちるのではないだろうか。
なぜなら「他人事」にならないからだ。
トランスジェンダーが認められてしまうと自分の日常が変えられてしまうかもしれない。そんな恐怖がどこかにある。
男子トイレに自称男性の女性が入ってくるかもしれない。
女子風呂に自称女性の男性が入ってくるかもしれない。
女子スポーツに自称女性の男性が参入して大暴れ。
実際にトランスジェンダーに配慮しているアメリカやヨーロッパの一部では上記のようなトラブルが起こっている。
オスとメスには肉体的な違いが存在し、人類はこの違いを当然のものとして社会を形成してきた。
例えばトイレ、公衆浴場である。
少し前までは服装から社会的身分に至るまで男女の違いが存在していたが、”ジェンダーレス社会”と言われている現在、その違いは徐々に薄まっている。(だが、どんなにジェンダーレスになったとしてもトイレや風呂のような衛生関係までは無理だろう。)
トランスジェンダーはそんな社会とは相性が悪い。
外見の性別で用意された社会に違和感を持つ。
だから、彼らは自分たちにも優しい社会の変革を望むことになる。
その行動をとるのは(賛成反対は置いて)理解できる。
ただ、社会の変革まで望んでいる彼らを積極的に支援したいとなるのはなかなか難しい。
(3)(4)をまとめる。
LGB「私たちの権利を認めてください。」
→これは人々も賛同しやすい。彼らの同性婚を認めたところで、社会はほとんど変わらない。自分は今まで通り異性と結婚すればいいだけだからだ。
T「私たちの権利を認めてください。」
→これは人々にとって他人事ではない。彼らに優しい社会になるために社会システムが大きく変わる。今までの人生で積み重ねた常識と大きくかけ離れて「それは違うんじゃないか」と思うことも出てくるだろう。(EX 女子スポーツに自称女性の男性が参入して大暴れ)だから反発が生まれる。
(5)まとめ
多様な性的少数派が多様な主張を一緒になって行っている。
だからカオスな主張になってなかなか話が進まないのだ。
LGBとTはその性質も、求めるゴールも、社会への影響も大きく異なる。
したがって、LGBTとひとまとめに考えるのではなく、LGBとTで分けて考えるべきだ。
繰り返しになるが、その性質も求めるゴールも社会への影響も大きく異なるLGBTが一緒になってデモを行っても意味がない。
むしろLGBにとって、社会の理解が進んでいないトランスジェンダーと一緒にされたら逆効果であろう。
性的少数者の分断を図っているなんて言われそうだが、それでも主張する。
LGBTではなく、LGB/Tであると。
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