裏切るにたる理由
「勇者様!今日もたくさん魔物をやっつけましたね!」
魔物を大量に狩ったダンジョンからの帰り道、俺の横を歩く少女が嬉しそうに口を開く。
「あぁ、でもまだまだこんなもんじゃ足りない。魔王を倒すためにはもっと強くならないと。明日も同じダンジョンに行かないか?」
「明日もですか?勇者様、明日くらいはお休みしましょうよ。少し無理をしすぎです」
ニコニコ笑っていた少女が、俺の言葉に表情を曇らせる。
「でも、まだまだ頑張らないと、」
「勇者様は十分頑張ってます!今日だって、本来なら四人で行くべきダンジョンに私と勇者様の二人だけで挑んだんです。むしろ、少し頑張りすぎですよ。もっと自分の体を労って下さい。ね、明日は私と一緒にお家でゆっくりしましょ」
俺が反論しようとすると、少女は少し食い気味に言う。彼女がここまで強く意見を言うのが珍しく、俺は少し面食らってしまった。
「......確かにそうかもしれない。わかった。もう少し、自分の体を労わりながら頑張るよ」
俺が彼女の意見を認めると、彼女は嬉しそうにムフーと笑った。
「よし!それで勇者様、今日は何が食べたいですか?」
「うーん......シチューがいいな」
「わっかりました!勇者様は本当にシチューがお好きですね」
「いや、君のシチューが格別においしいんだよ」
実際、彼女のつくるシチューはコックも顔負けのほどうまい。俺がそう感じるのは、彼女が作ってくれるからかもしれないが。
「またまた!でも、そんな嬉しいことを言ってくれるならこれからもずっとつくってあげますよ!」
「ずっと......ね」
「......?何か言いました?」
「いや、何でもない。はやく行こう。飯の話をしてたら腹が減ってきちゃった」
俺は不思議そうな顔をしてる彼女と、ギルドへの帰り道を急いだ。
俺は元々、その辺にごろごろいるただの冒険者だった。
ギルドに登録していて、クエストとして野外のモンスターを狩ったり、素材を集めたり、たまに街道を移動する商人の護衛をしたりしていた。
魔王軍と戦うのはもっぱら王国軍だった。
雇われた上級冒険者が、王国軍について行って戦争に参加することはあった。
しかし、俺の実力は中の下だったので、そんなクエストを受けることはなかった。
下級のクエストを受けて、稼ぎをその日の飯の種として生きる。俺はそんな、ただの冒険者だった。
その日もギルドの掲示板で、適当なクエストが出てないか見ていた。ただ、その日はいつもと違う事が二つあった。
一つは、その日は俺が普段から受けている下級クエストが一つも残っていなかった事だ。残っていたのは、俺一人だけでは厳しい中級クエストのみだった。
俺は人付き合いが少し苦手で、基本的にソロでばかり行動していたため、どうしようかと困っていた。
そしてもう一つは、変な少女に話しかけられた事だ。
俺が掲示板を見て困っていると、後ろから「あの......」と声が聞こえてきた。
俺は、後ろに掲示板を見たい人がいるのだろうと思い、「あ、すみません」と言って少し横にずれたのだが、予想に反して「あ、いえ、用があるのは勇者様です」と返答がきた。
............勇者様?
会話の流れ的に、俺の事か?俺が勇者?
......んなわけないか。
とりあえず俺は振り向いて声の主を見た。
後ろには、とんがり帽子をかぶって黒のローブを身にまとい杖を持った、典型的な魔法使いの格好をした黒髪の少女がいた。
少女は俺を見ていた。振り向いた俺は少女とばっちりと目が合った。
そのまま少女は口を開いた。
「あの、えと、勇者様、あなたには素質があります。あなたは勇者となり世界を救うでしょう。私に、そのお手伝いをさせてください」
............少女は明らかに俺に向けて勇者と言っていた。
突然なんだ?この子。イタイ子なのか?それとも詐欺か?伝説の勇者の剣とか言って、その辺の剣を高値で買わせる気か?
困惑していた俺は怪訝な顔で少女を見る。
「勇者?俺が?」
「は、はい!」
「......具体的に、どの辺を見て素質があると?」
「えっと、わかりません。なんとなくびびっと来ました」
なんとなくって......。詐欺師なら、もう少しうまい事を言ってくるだろう。どうやら、詐欺ではなさそうだな。うん、ただのイタイ子っぽい。
俺が少女を分析していると、少女はあたふたと掲示板から一枚のクエストを手に取った。
「と、とりあえず、今日は一緒にこのクエストを受けませんか?」
少女が手に持っていたのは、さっきまで俺が見ていた中級クエストだった。
ちょうど一人では厳しいと思っていた所だったので、正直その申し出はありがたかった。
ただのイタイ子なら、今日だけ一緒にクエストを受けるのもまぁ別に悪くはないか。
「いいよ。俺も丁度そのクエストを受けたかったところだったんだ。よろしく」
「ありがとうございます!よろしくおねがいします、勇者様!」
「その勇者っての、やめてもらえる?俺は勇者じゃないんだけど......」
「いえ、今は違くても、いずれ勇者になるので大丈夫です!」
そういう問題か?俺がそう呼ばれたくないんだけど......。この子と一緒にクエストを受けるのも、これで最後だろうな......。
俺はそう考えつつ少女と共にダンジョンへと向かったのだった。
「勇者様!脚力強化の魔法です!」
「ありがとう!」
少女が強化の魔法を俺に掛けると、体が軽くなり驚くほど素早く動けるようになった。
対峙していたゴブリンの攻撃も簡単によけることができ、そのままゴブリンの体を剣で切り裂く。
「勇者様後ろです!鈍化魔法!」
少女がそう言うと、俺の背後を取っていたゴブリンの動きが遅くなる。俺はその隙に背後のゴブリンへ致命的な一撃を入れることができた。
「ありがとう!助かった!」
「いえいえ、このくらい!」
しかし、意外にもその少女と俺は息があった。
少女は、俺の欲しい時に強化魔法を、また、足止めが欲しい時には敵の動きを妨害する魔法を使ってくれた。俺は普段の何倍も良く動け、いつもなら苦戦するモンスター達にも余裕をもって戦うことが出来た。
「ありがとう、君のおかげで今日はいい稼ぎになりそうだ」
あらかた周囲のモンスターを倒したので、素材を集めながら俺は少女と話していた。
「勇者様のお役に立てたのなら幸いです」
少女は屈託のない笑顔で答える。
「君ほどの実力なら、もっと上級のクエストを受けることもできるんじゃないか?」
素直な疑問だった。正直、この少女の実力ならもっと上位のパーティーでもやっていけるだろう。
「いえ......実は私、攻撃魔法が使えないんです。そのせいで、前までいたパーティーを追い出されまして。攻撃魔法が使えないので、ソロでもクエストを受けられなくて困っていたんです」
「そうだったのか......」
たしかに、攻撃魔法が使えないのは色々と不便そうだ。その欠点は、上位のクエストでは致命的なものになるのだろう。それでは他の人とはパーティーを組みずらいのも納得だった。
しかし、俺はソロでの行動が長かったからか、一緒に行動していてその欠点をあまり悪いとは感じなかった。
「だから、こうして勇者様に出会えてよかったです!」
そう言って少女は嬉しそうに笑う。
面と向かってそんなことを言われると照れるな。
「勇者じゃないんだけど......でもまぁ、俺も結構いいコンビだったと思う。君さえよければ、今後も一緒にクエストを受けてくれないか?」
「もちろんです!むしろ、私から勇者様にお願いしようと思ってました!」
その日は、報酬を少女と山分けにしても普段の三日分以上の収入だった。
気を良くした俺は、せっかくだったので少女と共に普段より一回り豪華な夕食を食べた。
少女はやさしくて朗らかだった。俺を勇者と呼ぶことが玉に瑕だが、それ以外は、明るくてよく笑ういい子だった。
人と食事を共にするのは久しぶりで、あたたかいものだった。
それ以来、当初の予想に反して俺と少女はよく一緒にクエストを受けた。
彼女と共に行動すると、俺は普段以上の実力が出せた。彼女も俺の事を勇者様と慕い、俺と一緒にクエストを受ける事を喜んでいるようだった。
また、彼女はよく独りぼっちでギルドにいた。それも俺が気兼ねなく彼女をクエストに誘える理由の一つだった。
彼女はなぜか俺の実力を理解した上で、俺を勇者様と呼び続けた。いつしか俺もそれを受け入れていた。
中の下の実力なのに、勇者と呼ばれている俺はギルドで笑いものだった。ギルドの人達も俺をバカにして「勇者サマ」と呼んだ。俺をバカにされると彼女は怒った。俺と彼女はギルドで孤立していった。
また、彼女は献身的だった。俺のために料理を作ってくれ、俺のための装備をプレゼントしてくれた。俺がダンジョンでの戦闘で重傷を負っても、絶対に見捨てることはなかった。
至極当然のように、俺は彼女に恋をした。
彼女に認められるため、彼女を喜ばせるため、俺はいつしか本気で勇者になろうとしていた。
俺が勇者になるために頑張って努力していると、彼女は喜んでくれた。
俺はそれが嬉しかった。
厳しいダンジョンに挑むことも苦ではなかった。彼女のためなら、死んでもいいとさえ思えた。
人並みより少し低いくらいの実力の俺だったが、人並み以上の努力を続け、いつしか俺はかなりの実力者となっていた。
上級冒険者四人で挑むようなダンジョンも、俺と彼女の二人だけで踏破できるようになっていた。
いつしか、ギルドのみんなも俺のことをバカにはしなくなっていた。
また、俺と彼女はよく王国軍と共に行動をするようになった。ギルドでは浮いていた俺達だったが、軍では実力を評価され、良い人間関係を築けていた。
そんなある日の休日、俺は彼女と散歩をしていた。
散歩をしていると広場に手頃なベンチがあったので、少し歩き疲れていた俺達は座って休んでいた。
「............実は、今だから言えるんだけど、俺、魔王がどうしようがあまり興味なかったんだ」
しばらく彼女とまったりした後、俺は広場で遊ぶ子供達を眺めながら心の内を語りだした。
「そうだったんですか?」
彼女が驚いて俺を見る。
「うん。俺は、自分の事にしか関心が無かった。王国が魔王軍と戦争をしていると言っても、実際に被害を受けた事もなかった。だから、戦争を自分には関係ない、どこか遠い世界の話だと思っていた。そんなわけで、俺はうまい飯を食べれて、あとはだらだら生きていけたらそれでよかったんだ」
俺は鬼ごっこをしてはしゃぐ子供達を目で追いながら語っていた。彼女もその鬼ごっこを見ながら、黙って俺の話を聞いてくれていた。
「でも、君に出会って俺は変わった。俺が頑張ると、君が喜んでくれて、それがうれしくて、努力した。俺が頑張る理由は、ただそれだけだった」
「勇者様......」
「でも、今俺が頑張ってる理由はそれともまた違うんだ。王国軍のみんなと話してみると、ほとんどみんな故郷が魔王軍との戦争で被害にあっててさ、家族を失くしたり、住む場所をなくしたりしているんだ。それで、みんな復讐のためだったり、これ以上被害を広げないためだったり、色々と戦う理由を持ってた。その話を聞いて、俺も、みんなを守りたいと、そう思ったんだ。俺も、こういった子供が無邪気に遊べる空間を守りたいって思った。俺が頑張ったら、悲しい思いをする人が減るのなら、頑張ろうって、そう思えた」
俺は彼女を見た。彼女も俺を見ていた。
彼女は少し涙ぐんでいるようだった。
「だから、今の俺はみんなのためにも魔王を倒そうと思ってる。自分だけだった俺が変われたのは君のおかげだ。改めて、ありがとう」
「そう言っていただけて、嬉しいです。私も......私も、今のお話を聞いて勇者様が世界を救うお手伝いをしたいと思いました。......今更ですが、強く、思いました」
「ありがとう。俺も君がそう言ってくれて嬉しい」
こうして俺と彼女は、昼下がりの街で改めて世界を救う事を決意した。
そしてついに、魔王の本拠地へと向かう作戦が計画され、俺と彼女は王国軍に同行することになった。
魔王軍との戦争は苛烈を極めたが、俺と彼女がいる戦場では王国軍の連戦連勝だった。
名実ともに、俺は勇者となっていた。
俺と彼女の活躍によって、王国軍は魔王軍の喉元まで攻め込んでいた。
「なぁ、ちょっといいか?」
「なんですか?勇者様」
道中のテントで、俺は食事の後片付けをする彼女に話しかけた。
翌日にはついに魔王の本拠地へ攻め込むため、今日が最後の告白の機会だった。
「君の事が好きです。魔王を倒しても、ずっと俺と一緒に居てください」
ずっと言いたかった。名実ともに勇者となれた今だから、やっと言う事が出来た告白だった。
「っ!う、嬉しい......です。勇者様......私も......私も、勇者様の事を、ずっとお慕いしていました。勇者様さえよろしければ、お傍に置いてください」
彼女は片づけの手を止めて、嬉し涙を浮かべながら手で口元を押さえていた。
俺はそんな彼女がたまらなく愛おしくなり抱きしめた。
「愛してる」
「私もです、勇者様」
「実は私、こうなる事がわかっていたんですよ」
寝床の中、隣の彼女がやさしく俺に語り掛けた。
「そうなのか?」
「そうですよ。だって、勇者様は本当に勇者様だったじゃないですか」
「それは確かにそうだけど......」
「実は私、他人の未来が見えるんです」
彼女はまたも不思議な事を言い出した。
「他人の未来が?」
「はい。それで間接的に自分の未来も見えているんです。実は私、小さい頃に勇者様に会ってるんですよ。覚えてます?」
「小さいころ?」
俺は記憶を辿ってみるが、彼女に会ったのはあの日のギルドが初めてのはずだ。
「ごめん、覚えてない」
「しょうがないです、町ですれ違っただけなので。その時、勇者様が世界を救う姿が見えたんです。そして、私がこうして勇者様と一緒に居る姿も。だから、こうして勇者様に会いに来たんです」
小さいころ俺が世界を救う未来、そして自分が俺と一緒にいる未来を見て、それで俺に会うためにギルドに来たのか。
「でも、俺は君に認められるために努力したから勇者になれたんだぞ?君が俺に会いに来てくれなかったら、俺はたぶん勇者になれていない。それだと、卵が先か鶏が先かみたいな話にならないか?」
「私がどんな行動をしたら、どのような結果になるのかまでばっちり見えます」
彼女は得意げにVサインをしながら答える。
なるほど、だから俺を勇者にするために、俺に会いに来る必要があったんだな。
本当に見えているなら、すごい能力だな。世界を自分の思い通りに出来うる能力だ。でも、そんなに凄い能力だと、起こる出来事すべてが事前にわかってしまって、世界が退屈になってしまうんじゃないのか?
「じゃあ、さっき俺が告白することもわかってたのか?」
「......実は、わかってました」
彼女は少しバツの悪そうな声色をしていた。
「それならなんで驚いた仕草をしてたんだ?」
「わかってても、それでも、実際に言われてすごく、すごくすごく嬉しかったんです」
「そ、そうなんだ」
て、照れるな。そんなに嬉しかったんだ。へへへ。
俺はだらしなく口元がほころんでしまう。
まぁ、今こうして俺も彼女も幸せならそれでいいか。
「じゃ、俺達の未来は明るいって信じていいのか?」
「......もちろんです」
俺が聞くと、彼女は少し間を置いてから、目線をそらして肯定した。
「おいおい、本当に大丈夫かよ」
「実は、あまり良くないかも?」
「まじで?」
「嘘です。いい未来です」
「結局どっちだよ」
「勇者様には教えてあげません。未来がどうなるのかなんて、わからないほうが良いんですよ」
「そんなもんなのか?」
「そんなものです。わかりましたか?」
「............わかった」
俺がいまいち納得できないながらも了承すると、彼女は嬉しそうにムフーと笑った。
「よし。勇者様はものわかりが良くて素敵です」
そう言って彼女は俺の頭を撫でる。
なんだかうまくはぐらかされているだけのような気もする。
そもそも、本当に未来が見えるのかどうかも怪しくなってきたな。
「でも、これだけは信じてください。あなたは勇者様で、私はあなたを愛しています」
「もちろん、信じるよ」
「本当ですよ。私は本当に勇者様を愛しています。それだけは絶対に変わりません」
「信じてる。俺も君を愛してる」
なんだか言えば言うほど嘘みたいに思えてくるのはなんでなんだろう。
「うれしいです。勇者様」
彼女はそう言うと、すーすーと寝息を立てて眠ってしまった。
翌日、俺達突入部隊は魔王軍の本拠地へ攻め込んだ。
本拠地には四天王率いる大群の魔物が待ち構えていて、俺達は必死の抵抗にあった。
四天王は強敵だった。正規の王国軍どころか、俺と彼女でも苦戦するほどだった。
「おい!勇者!お前達だけでも行け!」
魔王軍との戦いのさなか、王国軍突入部隊の隊長が俺に叫ぶ。
「でも......!」
「お前勇者なんだろ!勇者なら、魔王を倒せ!」
「俺達がここを離れたら、王国軍の皆さんはどうするんですか!?」
「軍隊なめんな!軍隊ってのは、不利な戦況でもある程度耐えられるもんなんだよ!だから勇者、頼む。道は俺達が切り開くから行け!」
「......わかりました!絶対に魔王を倒してきます!」
「おう!行ってこい!」
そうして、王国軍のみんなの頑張りで、夕闇の中、なんとか俺と彼女だけがついに魔王の間に辿り着いた。
「よく来たな勇者。待っていたぞ」
「魔王、人々の平和を脅かすお前を倒す!」
彼女が俺に強化魔法をかけ、俺は一気に魔王へと向かって行く。魔王が俺に対し攻撃を仕掛けるも、彼女が魔王に弱体化魔法をかけて、俺は魔王の攻撃を受け流して逆に攻撃した。
俺と彼女だけで、魔王と互角以上に渡り合えていた。
よし、このままなら、勝てる。そう思った時、急速に体に力が入らなくなった。
「あれ?な、なんで?」
渾身の一撃が、易々と魔王に防がれ、がら空きの俺の腹に魔王が手痛い反撃をした。
「ぐあっ!」
そのまま、俺は魔王の攻撃をまともに食らい、倒れこんでしまった。
「よくやったぞ。......では、約束通りお前をサキュバスにしてやろう」
魔王が俺の後ろの彼女に向かって話しかける。
「ありがとうございます、魔王様」
そして、彼女が魔王に返事をした。
そんな......嘘だろ?
俺は痛む体を無理やりよじって彼女を見る。彼女は俺に強化魔法ではなく、弱体化魔法を掛けていた。
「な、なんで強化魔法を消したの?なんで俺に弱体化魔法を?約束って何?」
「ごめんなさい、勇者様。もう勇者様に強化魔法を掛けてあげられないんです。約束っていうのは魔王様との約束です。重要な場面で勇者様に弱体化魔法を掛けたら、サキュバスにしてもらえると約束していたんです」
「う、裏切った......の?なんで?」
「サキュバスになれば、私は永遠に若い姿のままでいられるからです」
「モンスターにして不老不死にしてやると言ったら、この娘簡単に裏切ったわ」
魔王が心底面白そうに笑う。
「そんな......そんな、俺を愛してるって言ってたのも嘘だって言うのか!?」
「うるさいぞ!」
「うぐっ!」
魔王が倒れている俺の脇腹に容赦ない蹴りを食らわす。
とてつもなく痛い。涙が自然とあふれ、冷や汗が止まらなくなる。
俺は腹を押さえてヒューヒューと浅い呼吸をする。
「回復魔法をかけてよ......いつもみたいに......」
「まさかここまでうまく事が運ぶとは。さぁ、望み通りお前をサキュバスにしてやろう」
「ありがとうございます」
そう言うと、彼女は魔王に近づいて行く。
「や、やめ......」
そして魔王は、魔術で彼女の姿を変えていった。美しかった彼女の黒髪がピンク色へと変わり、頭からは角が生え、瞳の色は深紅へと染まり、腰からはいかにもサキュバスらしい尻尾が生えていた。
俺の眼前で、愛しい彼女がモンスターへと変わっていった。
彼女の肢体は窓から差し込む月光に照らされ、妖しくも美しく輝いていた。
「サキュバスよ、まずは勇者から力を吸い取り、その力を我に渡すのだ」
「わかりました。魔王様」
サキュバスになった彼女は動けない俺に手をかざす。
「レベルドレイン」
彼女の手が赤く光り、俺の力が吸い取られていく。
「やめてくれ......」
俺は自分の力が吸い取られているのを見ている事しか出来なかった。だんだんと、体が重く感じるようになり、剣が重くて握っていられなくなる。
彼女の手から赤い光が消えた時、俺は彼女と出会ったあの頃よりも弱くなってしまっていた。
「さぁ、サキュバスよ。勇者の力を我に」
「はい。魔王様」
そういって、彼女は魔王に向けて手のひらを向けた。
「やめろ......!」
俺は渾身の力を振り絞るも、声を張り上げるだけで、立ち上がる事すら出来なかった。
そして、彼女は魔王に向けて手のひらから電撃を放った。
「グ、グアアアアアアア!」
無防備なところに強烈な一撃を受けた魔王が絶叫を上げる。
「小娘風情が、我を裏切るだと!?」
「ごめんなさい、魔王様。勇者様から頂いた力があんまりにも強大だったから、もう私のほうが魔王様よりも強いみたいなんです。......レベルドレイン」
魔王が膝をついた隙に、彼女は手のひらを魔王に向けて両手を赤に光らせる。
魔王からも、力を吸い取っているのか?
「許さん......許さんぞ............」
魔王は、急激に力を吸い取れれている影響で動けないでいた。
「許してもらえるとは思ってないわ。さようなら」
彼女は手のひらの赤い光が小さくなると、魔王に向けて強烈な電撃を放った。
魔王は断末魔の叫びをあげることもなく、一瞬の内に真っ黒こげになり絶命した。
「あぁ、ずっと、ずっとこの時を待っていた。勇者様と魔王様の力が私の物になる時を......!」
「そ、それが、君の望みだったのか......?」
「そうですよ。勇者様」
サキュバスになり、強大な力を得た彼女は、しかし、いつもと同じ笑顔で俺と対面した。
「なぜこんなことを?君は未来が見えるんだろ?」
「未来が見えても、力がないとどうしようもないこともあるんです」
「そんなことがあるのか?」
「えぇ、現に私一人の力では魔王様を殺す事は出来ませんでした。でも、これでもう、私の邪魔が出来る人はいなくなりました」
「それで、その力を使ってどうするつもりなんだ......?」
「勇者様、未来の事は知らないほうがいいと言いましたよね?」
そう言うと彼女はにっこりと笑う。
「勇者!やったのか!?」
そのとき、魔王の間の扉が開き王国軍突入部隊のみんなが入って来た。
「優勢だった魔王軍が突然降伏した!お前が魔王を倒したのか!?」
「き、きちゃだめだ!」
「来ましたね」
彼女が指先一つで電撃を出す。その電撃を浴びた王国軍のみんなは倒れて動かなくなってしまった。
「こ、殺したのか?命懸けで一緒に戦った軍のみんなを......」
「殺していませんよ、勇者様。よく見てください」
彼女の言う通り、王国軍のみんなは気絶していたが、よく見ると呼吸していた。
良かった、彼女はみんなを殺してはいなかった。
「勇者様、あなたにお願いがあるんです」
「お願い?」
「はい、私はもう、強くなりすぎちゃいました。もうあまりレベルも上がらないんです。でも、私はもっと力が欲しい。他の強い人から力を吸い取ると、効率が良いんです。だから、勇者様、また強くなって私に力を吸わせてください」
「そ、そんなこと、」
「はい以外の返事はいりません」
そう言うと彼女は俺に電撃を浴びせる。
「うぎゃああああああ」
全身の神経が悲鳴を上げる。人間の体はこの痛みを耐えられるようにはできていない。理屈ではなくそれを理解する。
「で、どうします?」
「やる。やります」
「それは良かった。じゃあとりあえず、そいつらを殺してください」
「え?そいつらって?」
「王国軍の方々ですよ。殺して経験値に変えてください。レベル上げに使ってください」
「む、無理だ。出来ない」
「わかりました」
彼女はそう言うと俺に電撃を浴びせる。
「うがあああああああ」
二回目の電撃を受けて、俺は視界がぼやけていくのを感じた。
きっとこのまま死ぬんだろう。なんでこんなことになってしまったんだろう。
俺は朦朧とした意識のまま、走馬灯のように記憶を思い出した。思い出す内容は彼女の事ばかりだった。
.........まぁ、彼女に殺されるんなら、いいか............。
「ヒーリング」
彼女が俺に回復呪文を唱え、俺は死の淵から舞い戻る。
なぜ回復してくれたんだ?もしかして、正気に戻ったのか?
「じゃあ、勇者様、あいつらを殺してください」
しかし、彼女の口から飛び出たのは絶望的な現実の続きだった。
「で、出来ないと言っているだろ!」
「そうですか」
それから、俺は電撃を受けては回復されてを繰り返した。
そしてついに、俺は痛みに耐えられなくなった。
「わかった、殺すから、お願いだからもうやめてください......」
俺が了承すると、彼女は嬉しそうにムフーと笑った。
「よし。じゃあさっさと殺してください」
俺は、電撃を受けて虫の息の王国軍のみんなの元へとにじり寄った。とりあえず、手前にいる隊員に剣を突き刺そうと構えた。
剣先の隊員の顔を見ると、その隊員は出発前に娘らしき女の子を肩車していた隊員だった。出発の際には、ずっと奥さんと娘に向けて手を振っていたのを覚えている。仲睦まじそうな家族だったので、よく記憶に残っていた。
「............や、やっぱり出来ない。殺せない」
「そうですか」
俺はまた電撃を食らい、そして回復される。
「どうですか?」
「でき......ない......」
「そうですか」
彼女は俺に電撃を浴びせる。
恐怖で頭がおかしくなりそうだった。彼女が少し動くたび、全身に寒気が走る。もう嫌だ。もう痛いのは嫌だ。止めてくれ。助けてくれ。いっそ殺してくれ。
電撃は本当に嫌だ。でも殺すのも嫌だった。俺はもうどうしようもなくなって、ただただ泣きだしてしまった。
「勇者様、泣いてないで早くしてください。早くしないとその人勝手に死んじゃいますよ」
「え?」
彼女の言う通り、隊員の呼吸は見る間にどんどんか細くなっていた。
「彼にも回復魔法をかけてくれ!頼む!」
「嫌です。早く殺してください、勇者様」
「じゃあこいつに俺の代わりをやらせてくれ!レベルが上がるなら誰でもいいだろ!」
「それも嫌です。早く殺してください、勇者様」
「なんでなんだよ!」
俺と彼女が問答をしているうちにも目の前の命は今にも消えてしまいそうだった。
そして、俺が見ている目の前で、ついに彼の呼吸は途絶えてしまった。
「......あーあ、死んじゃいましたね、彼。勿体ない。さ、他の人はまだ生きてます。勇者様、殺してください」
「............ふざけるな......ふざけるなよ!なんで......なんのためにこんなことを......」
「私のためです。殺してください」
「嫌だ!」
「そうですか」
そして彼女は俺に電撃を浴びせる。
「おい、勇者」
俺が電撃と回復を受けていると、倒れていた王国軍の隊長が俺に声をかけた。
「隊長!逃げてください!」
「いや、もう無理だ。俺達はこのまま放って置いても死ぬだけだ。お前もわかってるんだろ?」
「でも......!」
「勇者、お前は、俺達を殺したら、この場を切り抜けられるんだろ?なら、さっさとやってくれ」
「そんなこと、できません......!」
「せめて、お前だけでも生き残ってくれ......。俺達は、魔王を倒したんだぞ?ここで全滅なんて、寂しいじゃねぇか。お前だけでも生きて帰ってくれよ、頼む」
隊長は真っ直ぐに俺の目を見て言った。
俺は考えた。この場でみんなと一緒に彼女に殺されるか、俺がみんなを殺すか。どちらがより、彼らに対して誠実な行動なのだろう。俺は生き残ったとして、これからずっと負い目を感じて生きて行くことになるのだろうか。
「............わかりました......生きて帰って、必ず皆さんの雄姿を伝えます」
「ありがとよ、勇者。それを聞いて安心した。......殺してくれ」
「お話は終わりましたか?それで、勇者様、王国軍の皆さんを殺す気にはなりましたか?」
「なった」
「よし。じゃあお願いします」
俺は、共にこれまで戦ってきた王国軍のみんなを殺して回った。
王国軍突入部隊のみんなを殺し終わった時、東の空はもう明るくなっていた。
「よくできました。それじゃあ、勇者様が私に勝てるくらい強くなったら、また私に会いに来てください。お待ちしています」
彼女は外まで俺を見送ってくれていた。
「絶対にお前を殺しに帰って来る」
俺は心身ともに疲労困憊ながら、死ぬまで絶対に折れない意思を心に宿していた。
「えぇ、是非私を殺してください。勇者様、愛しています」
聞いたら誰もが嘘だと思うような軽薄な口調で愛の言葉を口にしながら、朝日に照らされた彼女は満面の笑みで俺を送りだした。
魔王軍本拠地前の野営地に戻った俺は、そこで待機していた部隊に魔王を殺したこと、そして突入部隊が全滅したこと、突入部隊は立派に魔王軍と戦ったことを報告した後、町に帰って一人でダンジョンに潜り続けた。
俺は彼女への復讐のためにダンジョンでひたすら魔物を狩って狩って狩り続けた。
俺は彼女が憎くて憎くて仕方がなかった。彼女を殺す事だけを考えて生きていた。
それでも、俺はどうしようもなく彼女を愛してもいた。俺は果てしない憎しみと愛情の狭間でひたすらに魔物を狩り続けた。
錯乱した俺は、次第に彼女は最後に言った殺してくれという言葉が本心なのではと思いこむようになっていた。なぜだかよくわからないが、きっと彼女は愛する俺に殺されたがっている。
何度も心が折れそうになったが、そのたびに俺が殺して回ったみんなの事、そして、彼女の最後の言葉を思い出していた。
彼女を殺すため、強化魔法も自力で覚えた。電撃を目で追うため動体視力、そして電撃を避けるため脚力を特に鍛え上げていった。
王国軍のみんなの復讐のため、そして愛する彼女の望みを叶えるため、俺が彼女をこの手で葬り去る。そのためなら、どんな事でも苦ではなかった。俺は人生の全てを強くなるために捧げ続けた。
そして、十数年後。
俺はついに、再び魔王の間の扉を開き、彼女の元へと帰って来た。
「勇者様!お待ちしておりました!」
彼女は年を取っておらず、あの頃と全く変わらない笑顔で俺を迎えてくれた。
「本当に、サキュバスになったんだな」
「サキュバスはお嫌いですか?」
「例え、君がゾンビになろうがオークになろうが愛している」
「勇者様......嬉しいです......」
「俺は勇者で、俺は君を愛していて、君もまた、俺を愛している。それだけで十分だ」
「それを聞いて安心しました。それじゃあ、約束通り私を殺してください。勇者様」
そう言うと、彼女は俺に殺されようと無防備にも両手を広げた。
俺は、せめてもう少しだけでも彼女と会話していたかった。あんなに殺したかった彼女だが、彼女にもう二度と会えなくなるなんて嫌だった。
結局俺は、あの頃とずっと変わっていなかった。彼女に認めてもらうために、ただ彼女に喜んでもらうためだけに強くなっていただけだった。
「勇者様......」
俺が剣を構えたまま動けないでいると、彼女はとても悲しそうな顔をして、手のひらを俺に向けた。電撃が来る。
彼女の手から放たれる電撃を見てあの痛みを、そして彼女への憎しみ思い出す。
そうだ、あの頃と一つだけ変わった事があった。俺は取捨選択が出来るようになっていた。
俺はここで彼女に殺される訳にはいかない。俺がここで死んだら、何のために王国軍のみんなは俺に殺されたんだ。みんなの死を無駄にすることなんて、絶対に出来ない。
彼女が俺を殺そうとするのなら、俺は彼女を殺さないと。
みんなの復讐を遂げて、彼女の願いを叶えなければならない。
彼女にあんな悲しそうな顔をさせたくない。
天秤が、彼女を殺したくないという感情よりも、彼女を殺さなければいけないという意思に傾いた。
覚悟を決めた俺は電撃を避けて、足に力を込めて一気に距離を詰める。それを見て彼女も電撃を連続で放出し応戦する。俺は全ての電撃を剣で弾きながら接近し、その勢いのまま彼女の体に剣を突き刺した。
俺は泣いていた。
「泣かないで、勇者様」
「なんで俺に殺して欲しかったんだよ。ずっと一緒にいるって約束したじゃないか」
「ごめんなさい。しょうがなかったんです」
「一緒にいる事よりも大事なことがあったのかよ」
「あるんです」
「そんなこと......あるわけない............」
「勇者様、私の最後のお願い、聞いてくれますか?」
「聞きたくない」
「勇者様には、すこし難しいお願いかもしれないんですが......」
「君を殺すことよりも難しいことなんて、......ないはずだったのに......」
「私がいない世界でも、生きてください」
「............そんなの、耐えられないよ......」
「お願い、生きて」
「........................わかった」
「よし。愛してます、勇者様」
彼女は嬉しそうにムフーと笑って、事切れた。
それ以来、俺はただ死んだように生きていた。
もはや生きる意味もなかったが、彼女の最後の願いだから死ぬわけにもいかなかった。
そんなある日、王国の宮廷魔導士たちがかなり焦った様子で俺の所にやって来た。
曰く、空から巨大な燃える岩が降って来るらしい。
もし燃える岩が地上に落下したら、この辺一帯は衝撃によって吹き飛び、そして世界は暗黒に包まれ、冬が来ると。
それを止められるのは、勇者である俺しかいないと。
彼女を殺せるほど強くなり、その上、彼女を殺して更に大幅に力を得た今の俺ならば、何とかその岩を上空で破壊できると。
あぁ、これか。これのことか。
読んで頂き、ありがとうございました。
最後の燃える岩は、巨大隕石の事です。
このお話は、ファンタジー世界は巨大隕石にどうやって対処するか。
世界の滅亡を知る少女がそれを阻止できるのならば、どんなことでもするのか。
そして、運命が決まっていたその少女の人生は悲惨なものなのか。
それとも、そんな人生でも本人は幸せだったのかという発想から生まれました。
他人の未来を見ることのできる少女。
彼女は誰の未来を見ても、寒くて暗く、誰もいない暗黒の未来しか知りませんでした。
そんな彼女にとって、違う未来を見せてくれた存在は、きっととても光り輝いて見えた事でしょう。