9 夏の夜 女と酒に ご用心
「ガクちゃん、次の動画なんだけどデート企画とかどうかな?」
「デート企画?」
仕事から帰ってきた僕に、夜ご飯のカレーライスを差し出しながららぶが言う。あれ、昨日もカレーだったよな。
「ガクちゃん、まさかだけど、昨日もカレーだったよなって思った?」
「ひ」
なぜ分かった!?慄く僕を一瞥すると、らぶは皿に何かを盛り付けた。
「なんと今日は、ゆで卵付きです!」
「わっ、すごい! ゆで卵作ったんだ」
「へへん」
昨日と同じカレーライスの上に、スライスされたゆで卵がトッピングされた。それを得意げに披露するらぶが可愛らしくて、褒めながらも思わず笑ってしまう。
「も~ガクちゃんがカレーに文句言うから、話がずれちゃった」
「僕文句言ってないけど」
「それでね、夏祭りデートにしようと思う! 夏祭り! つまり花火大会!」
「全然聞いてない……って、夏祭り?! そんなの、絶対バレて危ないよ!」
「大丈夫っ。みぃと鼠王国に行ったときも、人多すぎて逆に全然バレなかったもん」
「ひええ」
アイドルって、大胆すぎやしないか。
◇
「そういうわけで、夏祭り! 花火! きたぞ~!」
らぶは眼前に広がる景色にそれはもうテンションがぶち上がっていた。
川沿いの道路が歩行者天国になっていて、両脇に無数の屋台が並んでいる。ザ・日本の祭りの夜だ。
念のため、職場や自宅から遠い東京郊外の花火大会を選んだ。知り合いに会うことはまずないだろう。
「夏祭りなんて、何年ぶりだろう?! 最高すぎるっ! パンダ氏、連れてきてくれてありがとうねっ」
「い、いえいえ」
りんご飴を片手に、浴衣姿のらぶがこちらを見上げて至極嬉しそうに笑う。
ドキリ。撮影中だからだと思うけど、まるで本当の彼氏に向けるかのような表情に胸が苦しい。か、勘違いしてしまいそうだ。
この、このぉ、アイドルってやつは~~~~!!!!!涙
「ちょっとらぶちゃん、はぐれないでね?!」
そしてとにかく人が多い!『人が多すぎると逆にバレない』説は今のところ正しく、僕たち、というからぶの正体に気付いた人はまだいないようだ。
らぶは、赤と白の椿があしらわれた浴衣を着ている。お団子結びをしている彼女に、とても似合っていた。その、なんというか、めっちゃ可愛いのだ!
そして「身バレ防止にっ」と言って屋台で買ったキャラクターのお面を、こめかみあたりにつけていた。まあ顔はほとんど見えているんだけど、それがお祭りっぽくてとても良かった。
「そっか! じゃあさ、手つなご!」
「うっ」
思わずうめき声をだしてしまった。音声が入っていないといいけど。
そう、僕は今撮影しているのだ。僕が着ぐるみやお面で顔を隠してしまうと逆に目立つ、との彼女の案で今日は素顔でカメラマンに徹している。
「え、えーと、そうだよね、でもカメラ落とすといけないから難しいかも」
「らぶがはぐれてもいいの~?」
「ぐっっ、そ、それもそうだよね。じゃあ」
僕たちは今撮影中。つまり、カメラが回っている間はカップルでいなくてはいけない時間なのだ。それとなぁく断っては見たものの2度は断れない。
僕はらぶの差し出した手を握って歩き出す。
な、なんだこれはっ!こんなのどう考えたって、どう考えたって、カップルしかやっちゃだめなやつやんけーーー!
握手会の握手とは違う、手を繋いで歩くという行為に僕はすっかり頭が真っ白になってしまった。
「……っ」
ああ、彼女の頬が赤いのも、屋台の明かりのせいに違いない。
「フライドポテト1つください」
「あいよっ!」
「はぁ、何も気にせず食べれるなんて幸せっ。現役時代は体重管理大変だったからさ。宇宙のあの方には感謝しないと」
らぶは屋台のおばさんに注文を伝えると、カメラに毒のあるアピールをしてくれた。
『スイセイのおかげでクビになって好きなもの食べれてます、ありがとう』ってか?!悪いが僕のメンタルはそこまで強くない、ここはあとでカットしよう。
「お姉ちゃん可愛いから、多めに入れといたよ」
らぶの愛らしさは老若男女に有効なのか。フライドポテトは溢れんばかりの量だ。
「わぁ~嬉しい、ありがとうっ! あ、ところで花火の見える穴場スポットとかってありますか?」
「それなら、バスに乗って港のところから見るといいよ。すぐ近くだから、今からでも間に合うよ」
僕たちはこの地域に詳しくないから、かなり助かる。人混みの中同じ場所に座って花火を見るのは、身バレのリスクが高い。人の少なそうなところを探していたのだ。
「そうなんだ! ありがとうございま~すっ」
その時だった。
背後から強い視線を感じる。僕はパッと振り返ったが、そこには人混みが流れているだけだった。
でも、誰かにバレたのかもしれない、屋台の店主に愛想よく振る舞う彼女を急かして、港に向かうことにした。
「あ、でも港はやんちゃな子たちも多いから気を付けて……って、あら?まあ、大丈夫よね」
◇
ひゅーーーーっ、どーーーーん!
「た~まや~!」
僕たちは、港の防波堤に座って、海を挟んだ市街地に浮かぶ花火を眺めていた。
なるほど確かに港は穴場のようで、僕たちの他には何組かのカップルと少し遠くに手持ち花火で騒ぐ若者集団がいるだけだった。
らぶはジュースを、僕は屋台で買ったビールを飲んでいる。夏の夜にビール――控えめに言って最高だ。
「らぶ、カップルで花火見るのずっと夢だったんだ!パンダ氏ありがとうっ」
花火が上がってらぶの横顔が照らされる。目を輝かせた笑顔に僕は罪悪感があった。
「……うん……」
カップルって言っても、僕たちは偽物じゃないか――。
もちろん撮影中だから、カップルのふりをしてのコメントだというのは分かっているけれど。
花火を見上げながら、僕は少しの切なさを感じていた。ちょっと飲みすぎたかな。
「今日の花火デート、最高でしたっ。また次の動画も見てね! らぶずっきゅん☆」
おいおいなんか最後の挨拶、某芸人のネタに酷似していないか?!大丈夫なやつか?!
少し動揺したが、録画停止する。ふぅ、無事にロケを終えられて安心した。
「ガクちゃんお疲れ様っ! あ~花火楽しかったな、次も花火動画にする?!」
「え」
「冗談だってぇ~。さ、お家に帰ろっ。らぶ帰りに綿あめ買いたいな」
らぶは楽しそうにケラケラ笑うと、僕の手をぎゅっと握って歩き出した。
ん?!撮影中じゃないのに、なんで握ったんだろう。
でも、僕も浮かれていたのかもしれない。その手を離しはしなかった。
その時、また強い視線を感じた。
「……やっぱり」
「どうしたの、ガクちゃん」
「いや、誰かに見られているような気がして」
「え?どこ?」
「ほら、あそこに人の影が」
「ねぇねぇ! お姉さんマっジでかわいいね、俺と付き合って!!」
「お前まじで飲みすぎだって」
げ、視線に気を取られて、厄介なのに絡まれてしまった。さっき遠くで花火を持って騒いでいた連中の一部らしい。
見た目は大学生くらいで、不良のようには見えないけど……とにかく一人がかなり酔っぱらってる。仲間も扱いに困っているようだ。
手に持った小型スピーカーから大音量で音楽を流していて、耳が痛い。
「いやほんっと可愛い。ねぇアイドルとかやってる?! 絶対そうだよね?」
「いやアイドルがこんなところにいるわけないだろ、ほら行くぞ」
げ!!!
一瞬バレたかと思って心臓がドキリとした。しかし、この場に長居するのは危険だ。
珍しくツンと冷たい顔をしているらぶを急かして、先を急ごうとする。
「いや絶対アイドルでしょ、こんな可愛いんだもん! ねぇそんな地味なおっさん置いて俺らと遊ぼうよ」
「……は?」
――ん?らぶから、聞いたことないような低い声がした気がする。
「いやだから、そんなしみったれたおっさんと遊んでもなんにも楽しくないから俺らと」
「あ?! お前何様だよ、こんのクソガキが。ガクちゃんに謝れやコラ!!!!」
うわっ……らぶの沸点、低すぎ?!?!?!