8 塾講師 身バレ厳禁 クビ案件
『……堤さん、もうだめだ』
『んえ!?ぱ、パンダ氏どうしたのかな、お腹痛い?』
『僕は『っみんな! なんかパンダ氏腹痛のようなので今日はこのへんで終了したいと思います!
また見に来てね、バイバ~イ!』
そこで、動画が途切れる。
「……一体何を考えているの、ガクちゃん」
花橘かなめが、スマホのブルーライトに照らされながら呟いた。
◇
「ん~~なんかこの部屋暗いから、撮影用に照明買い足した方がいいかも
らぶの顔映り悪いし、きぐるみパンダに至ってはホラー!アッハハハハ」
らぶがソファに寝転がってスマホを見ながら爆笑している。ちなみに、僕はいつものとおり定位置の床に座っています。
「しかし、もうすっかり拡散されてるんだね」
僕たちは昨日の突発的ライブ配信を、アーカイブに残さないようにしていた。つまり、newtube上で誰にも見られないようにしたのだ。終わり方も突然だったし、あ、もちろん僕のせいなんだけど…、これを残す勇気はなかったのだ。
しかし、僕たちの生配信はSNSなどで拡散され、探せば誰でも見られる状態になってしまった。きっと画面録画をしていた視聴者がいたのだろう。
「おかげで次の動画が早く見たいっていう人がいっぱいいて、逆にラッキーだったかもねん」
燃えに燃え上がった動画が残されなかったことで『newtube公式に動画が削除された』なんてデマまで広まって、次にアップロードする動画に注目が集まっているのだ。まあ大半はアンチだろうけど、生配信で強烈な洗礼を浴びた僕たちは、いっそアンチでもなんでもござれくらいの気持ちにはなっていた。一過性鋼メンタル也。
「それじゃ、僕はもう仕事に行ってくるよ」
「は~い。ガクちゃん頑張ってね、らぶはダラダラしてるから」
「そんなこと言って、いつもせっせと働いてるの知ってるよ」
「え~? なんのこと~?」
仕事の用意を終えて玄関に向かう僕を見送るために、らぶがパタパタとスリッパの音を響かせながらついてくる。
「昨日はよく頑張ったんだから、今日くらいは料理とかしないで、ゆっくりしたら?」
「え~そうかなぁ。じゃあ今日はらぶ、ガクちゃんのペットになった気持ちでのんびりしようかなぁ」
らぶは、両手をグーの形にして、犬さながらワンっと鳴いた。くっ、これはなんのご褒美だ……?!
「あ、アハハハ。堤さんは犬より猫って感じだけどね。じゃあいってきまーす」
「いってらっしゃい、ガクちゃん!」
その日帰ったら、らぶの作ったカレー(すごい成長だぞ堤らぶ!)と、一体なぜそんなものを持っているのか猫耳カチューシャをつけたらぶに出迎えられたのは、別の話だ。くっっっ!!!!
◇
職場に向かいながら、僕は正直なところかなりドギマギしていた。 昨日の生配信で塾の同僚や生徒たちに僕がアイドルとカップルチャンネルをしているのがバレてしまったのではないか、という不安だった。
「我ながら、よくきぐるみ外したよなぁ。18歳の子に配信切って身バレ防いでもらうなんて……、情けないぜトホホ」
緊張しながら塾に入っていったが、なんのことはない。僕に昨日の配信について聞いてきたり、陰でコソコソと僕について話したりするような人は見当たらなかった。
よくよく考えたら、いくら元人気アイドルのnewtubeだと言っても国民全員が見るわけではない。それに、僕に至っては顔をきぐるみで隠しているのでバレる要素は声と体格しかない。つまりパンダ氏の正体が僕であると気付いた人はいない!!
「っし……! バレなくてよかった……!」
「先生」
「あひっ?!」
ふぅ、峯島さんか。
「どうしたのかな。さっきの授業分からないところあった?」
「先生……まさかとは思いますが……」
「ん?」
「……いえ、なんでもありません」
僕はnewtuberから塾講師の気持ちにすっかり戻っていたので、彼女に自然な態度で接していた。しかし、なんでもないと言いながらその整った顔を曇らせている彼女を見て、一つの仮説に辿り着いた。
――もしかして、峯島さんにバレた!?
「あ、あははは。なんでもない……ってことはないでしょ。な、なんでも聞いてくれていいよ……?」
酷く焦った僕は内心非常におろおろしながらも、なぜか口では彼女になんでも聞いていいとまで言ってしまった。
そんな挙動不審な僕を、峯島さんが厳しい目でじっと見据えている。
「じゃあ、お言葉に甘えて……っ。
先生……私、先生のこと信じていいんでしょうか……?」
――な、なに!?これは一体、どういう質問なんだ!?!??
僕が昨日らぶと動画に出演していたパンダ氏であるか聞きたいなら、もっとはっきり質問したらいいだろう?!
信じていいのかって、どっち?!気付いたの、気付いてないの?!
「そ、それはどういう……」
「……っ、もういいですっ」
綺麗な形をした眉をひそめ傷付いた顔をする彼女を見て、僕は焦ってしまう。
「あ、ちょっと待って!えーっと、質問の意味がよく分からないんだけど……。
でも僕は人に後ろ指を指されるような悪いことはしないタイプだから……、そう意味では信じていいと思う……よ……?」
ノーヒントの難問に対して、しどろもどろになりながらもひねり出した回答はまずまず悪くなかったようだ。証拠に、彼女はまるで顔にパッと花が咲いたようにほほ笑んだ。
「そうですよね、やっぱり! 私先生は信頼に値する人間だと、キャッ」
頬を紅潮させ言葉を連ねていた彼女に、後ろから男子生徒がぶつかった。スマホを見ながら教室に入ってきて人がいるのに気付かなかったようだ。
「峯島さん、大丈夫?! 柏原君、気を付けないと」
押されて、転びかけた彼女を抱きかかえるように支えると、柏原君に注意をする。しかし、なぜか彼は呆けた顔でこちらを見ていた。正確には峯島さんを、だ。
「あっ先生……、抱き……、じゃなくてっ。眼鏡、かけないと……」
転びかけた拍子に彼女の眼鏡が落ちてしまっていたようだ。眼鏡をつけていない彼女の姿に、彼は見とれてしまっているみたいだ。
僕を恥ずかしそうに見つめる彼女に気付いて、僕は慌てて彼女から離れた。どうやらずっと抱き締めてしまっていたらしい。柏原君も呆然と女子に見とれていた自分に気付いて、顔を赤くして去っていった。
「ご、ごめんね、近かったよね」
「いいんですっ! むしろ、嬉しかったというか……」
峯島さんは眼鏡をかけると、下を向いてごにょごにょと呟いた。
「ん? でも、眼鏡が壊れなくてよかった」
「ああ……はい……」
そう言うと、峯島さんは浮かない顔をした。
「この眼鏡、お母さんにつけさせられてるんです。学生は勉強が本分だ、浮かれて不純な異性交際をするんじゃない、って。
多分少しでも私を目立たないようにしたいんだと思います」
「ふ、不純な異性交際……。それはまた、最近聞かないワードだね」
「私のこと愛してくれてるのは分かるんですけど、ちょっと厳格すぎるときもあって。
……それに、どうせ眼鏡するならもっと可愛いのがいいのに」
「どうして? 峯島さん、その眼鏡似合っていてとっても可愛いけど」
「えっ」
見ると、峯島さんは耳まで真っ赤にしている。ん?僕今失言しちゃったかな。
「先生……! 不純です……!」
そう言うと、教室から走り去ってしまった。
おーい、人にぶつかるなよーー!