5 女の子 素足寒いよ 隠しとき
「むにゃ、いいにおい」
眠たい目を擦りながら、スマホを見ると朝8時。
ねむ、もっかい寝るか。ああでもパンの良い匂い。ん……パンのいいにおい!?
「ガクちゃん、助けて~」
「!?」
ドアの向こうから聞こえてくる可愛らしい声に、両目が、もう目ん玉の奥から、バチッ!!!と開いた。昨日の大事件が脳内を駆け巡っていく――!
そうだ、確か僕の家に堤らぶが
自室を出て、慌てて廊下を抜ける。両親の部屋のドアが開いていて、そこから乱れたベッドが見えた。
そこには誰もいない。リビングのドアを抜けると、キッチンからカチャカチャと物音が聞こえる。
――ほんとにおるやんけ!
キッチンに、元アイドル・堤らぶご本人様がいらっしゃった。
白いTシャツにピンクのもこもこショートパンツを着たパジャマ姿だ。
その上に、一体全体どこから探してきたのか、母の花柄エプロンを身に着けている。
すらりと伸びる素足が、眩しい……!長い髪を可愛いシュシュでポニーテールにしている。
「ま、眩しい」
「もう朝だからね」
さながらドラマのワンシーンだ。――キッチンの惨状以外は。
「らぶ、料理の才能ない」
「ほんとだ」
黒焦げの卵のようなものとトーストのようなものが並んでいる。らぶは触り心地の良さそうな唇をとがらせた。
「だって同棲初日だし……、朝ごはん作ったらガクちゃん喜ぶかなって」
「同棲じゃないけどね。でも、ありがとう」
僕がキッチンを片付けている傍ら、らぶは少しへこんだ様子で突っ立っている。
「よし原状回復はこれでよし、と。堤さん、じゃあパンの焼き方からやろっか」
「が、ガクちゃん……一緒にやってくれるの?」
「あ、そうだ。その前に、ちょっと待って」
落ち込んでいる様子のらぶだったが、僕の言葉に少し元気を取り戻したようだ。またあのきゅるんとした目で見つめてくる。
どうやら僕はあの目に弱いらしい……。
しかし、それ以上にあの足だ!いつ言おういつ言おうと思っていたが、あの素足がほんとに目のやり場に困る。
急いで自室からとある物を持ってきて、らぶに渡す。
「これ、僕ので悪いけど。ちゃんと洗ってあるから、汚くはないと思うよ」
「これ、ガクちゃんのジャージ……?」
「足寒くない? あ~というか、正直目のやり場に困っちゃって。
堤さんはアイドルだから、足出すの慣れてるのは分かってるんだけど」
らぶは、ジャージの長ズボンを受け取ると、ニヤリと笑んだ。僕はなんだか危険を察知して、びくりとする。
「ふ~ん、ガクちゃんってば、らぶの足そんな目で見てたの」
「え、いや、その」
「これ履くのも、彼ズボンみたいでいいかも」
らぶはいたずらっぽく笑うと、目の前でズボンを履き出す。
ショートパンツの上からだが、そのゆっくりとした動作に、なんだか見せつけられているような気分になる。僕は見ていられなくて目を逸らした。
「どうだ!」
らぶはニッコリと笑った。白いTシャツに長ズボンのジャージ。
色気がなくてとってもよろしい。アイドルはこんな格好でも可愛いなあと思って笑ってしまった。
◇
「ごちそうさまでした」
一緒に作り直した朝ごはんを食べ終わると、昨日から気になっていたことについて尋ねることにした。
「堤さん」
「ん」
「昨日クビになったって言ってたけど、事務所で契約書にサインとかしたのかな。
契約解除後の活動制限とかの記載がないか、念のため確認したいんだけど」
「サインしてない」
「ん?」
「らぶ納得しなかったから、サインしてないよ」
「うん? それで大丈夫なのかな」
「しらな~い。なんかうまいことやってるんじゃない。今朝ホームページでクビってでてたし」
「え」
スマホを開いて、公式サイトを検索した。確かに、堤らぶ解雇と記載されている。
そのまま短文SNSを開くと、ヲタク仲間たちが大騒ぎだった。らぶを推しているヲタクたちの悲しみがすごい。悲壮だ。
もうらぶは見てしまっているかもしれないけど、いたずらに彼女を悲しませたくなくて、スマホをそっと閉じた。
「堤さん、作戦会議しよう!」
「うんっ」
僕たちのカップルnewtuber作戦は、こうして始まった。
計画内容はこうだ。
「まず、カップルnewtuberとしてバンバン投稿して有名になりまぁす!」
「登録者100万人を達成したら年末のnewtubeファンフェス……とかいうのに出演できるんだね」
「うん。それで、毎年恒例で出てるスイセイの舞台裏に突撃して、らぶをはめたクソやろーが誰なのか吐かせるっ!」
「犯人が分かったら直撃して、newtubeで暴露するんだよね」
「はい、そうでぇす!我ながら完璧な作戦なりっ」
「完璧っていうか、こんなの作戦と呼べるかも怪しいけど……
それに、これがうまくいかなかったら、堤さんの失うものが多すぎてかなり心配なんだけど……」
改めて考えると破綻しているとしか思えない案だ。
そんな気持ちなんてお見通しというように、らぶがこちらを見てほほ笑む。
「ガクちゃん大丈夫。らぶアイドルで辛いこともたくさんあった。
辞めたいって思ったこともいっぱいあったよ。それでもやっぱり、ステージに立つのが楽しかった。
それを、ありもしないスキャンダルで奪われたのが許せないの。
一言言ってやらないと気が済まないっていうか……。
とにかく! もう失うものもないし!
そ、それに、ね、ガクちゃんと一緒にやれるのが嬉しいっていうか……」
初めこそ、想いを大切に語ってくれたらぶだったが、最後のほうは、恥ずかしそうにごにょごにょ言ってしまって……正直ほとんど聞き取れなかった。スマン!
それに、やっぱり彼女は犯人に心当たりがあるのだろうか。そんな口ぶりだ。
だけど、彼女の意思が固いというのはよく分かった。だとしたら僕は彼女の今後がうまくいくようにサポートするしかないだろう。
「分かったよ。もう僕も覚悟を決めたし、一緒に頑張ろう」
「……! うん! ガクちゃん、ありがとうっ!」
そう言うと、らぶは僕にギュッと抱き着いてきた。それを慌てて引っぺがす。
とほほ、やっぱり彼女には一般常識を教えなければならない。
彼女の甘い匂いが、僕の心をくすぐっていた。