1 センテンス スプリングには ご注意を
「きらハル、スキャンダルだって」
「見せて見せて! え、熱愛ってやば!!」
え、だ、だだだだだれの?!!きらハルの誰の熱愛ですか?!??!
思わず女子高生の会話に割り込みそうになった己を、すんでのところで止めることができた。危ない危ない。
廊下をすれ違っていく少女たちを横目で見ながら、ほっと一息なでおろす。
――いや、全然なで下ろされないんだけども!?
「先生、とんでもないことになってます」
「み、峯島さん! って、うわ」
呆れたような声に振り返ると、そこには峯島里佳子がいた。さっきの授業、最前列で見たばかりの顔だ。
その整った顔立ちによく似合うクールな目で僕の足元を示す。
あちゃー。廊下には、授業に使う資料や筆記具が散乱していた。
「あ、あはは。さっきの会話を聞いて、あまりの動揺に全部落としちゃったみたいだよ」
慌てて拾い出すと、彼女もしゃがんで手伝ってくれる。クールな態度に反して、彼女はいつも優しい。
「その様子だと、まだニュース見てなかったんですね」
「ぶっ続けで授業してたからね。ってきみはもう見たの!?」
峯島さんは立ち上がると、制服のスカートを軽く払う。さすが、お嬢様学校として有名な私立高校のブレザーをビシッと着こなしている。
選ばれし者しか着ることのできないその制服に相応しく、彼女は学業優秀・人柄も清廉潔白を地で行くタイプだ。本人はそこに息苦しさを感じているらしいが――。
……う。動揺で、関係ないことを考えてしまった。
「ふふん、見ました。誰のスキャンダルなのか、聞きたいですか」
黒髪をサラリと耳にかけ、僕に少し顔を寄せてくる。丸眼鏡の奥から、綺麗な二重をした瞳がこちらをじっと見ている。
僕たちが共有する、とある秘密を守るためだろう、廊下の喧騒に紛れるように小声だ。
「……くっ!」
思わずドキリとしてしまったが、断じて、断じて!彼女に対してではありません、ご両親様!この場にいない彼女の両親に弁解してしまいそうになる。
……彼女の両親は、超ド級の厳格と有名なのだ。僕が峯島さんに鼻の下を伸ばしていると思われたら、社会的に抹殺される……いや物理的に?!
とにかく僕はッ!スキャンダルの主人公が誰なのか。最悪の事態の可能性に向き合うことが怖いのです!それだけです本当です!
「先生。私のこと、名前で呼んでくれたら教えます」
「ん?なんで」
なんだかよくわからない提案と一緒に、プリントを手渡される。僕はそれを受け取ろうとする……が、ぐぬぬ、離してくれない!
「じゃあ、きらハルの現場で会ったときだけでもいいです!」
「だーめ。生徒はみんな苗字で呼ぶって決めてるから」
大体、僕に名前で呼ばれたとして何が嬉しいんだか。
「……っ! ふん。じゃあ、教えません! せいぜい思い悩むがいいわ」
僕が引かないところを見ると峯島さんは悔しそうに頬を赤らめ、捨て台詞を吐いてさっさと立ち去ってしまった。
「お、おいおい、勘弁してよ……!」
まじで誰のスキャンダルなんだよ!!まさか、まさか、そんなことはないよな!?
峯島さんの後ろ姿を呆然と眺めていたが、チャイムが僕を呼び戻した。
次の授業が始まる――。
ああもうっ、すっかり心がヲタクに戻ってたよ!慌てて塾講師モードに切り替え、切り替え、られるのか!?
「つら」
僕にスマホを見る時間は、まだない。
◇
「やっと帰れる!!」
本日最後の授業を終えた。飲みに行こうと言う先輩の誘いもはっきりきっぱり断ってやった。だって今日の僕は早く帰路につかなければならない!
塾のトイレでニュースを確認する案もあったが、すぐに却下した。最悪の事態だった場合――そう、僕の推しのスキャンダルだった場合――、泣き崩れてそこで倒れる危険性を考慮してみた。
30歳塾講師、黒髪中肉中背、冴えない眼鏡の男がトイレで泣き崩れたら。さすがにヤバイ。
「いや実際呆然として涙すらでないかも
というかショックすぎてもう生きていけない」
とにかく、念には念を入れて、家に帰ってからニュースを見ることにする。
それには、もう1つ理由があった。
僕はアイドルヲタクであることを、ここまでひた隠しにしてきた。
「1億総ヲタ活時代とはいってもさ、がちがちの古参ヲタというのは職業柄まずかろう……」
にわかファンならまだしも、グループがデビューして観客がまだたったの6人だったときからの古参ヲタクなのだ。もちろん握手会もライブも可能な限り行っている。塾講師という職業柄、あまり知られたくない。
だから、万万が一僕がスキャンダルのニュースを見て錯乱している姿を生徒や同僚に見られたらまずいわけである。
「newtuberがアイドルと熱愛とか、夢あるよなぁ」
電車がやっと自宅の最寄り駅についたとき。
なんとかスマホを見ずに耐えていた僕の耳に、どこぞの男子大学生からの情報が飛び込んだ。
「……くっっ。マジでもう無理、気になりすぎて吐きそう!」
僕は大勢の乗客たちと電車から吐き出されると、急いで改札を駆け抜ける。
改札前の柱にはめ込まれたデジタルサイネージ広告の表示が、ちょうど「きらり、青春」に変わった。
そう、僕が推しているアイドルグループこそが、「きらり、青春」。通称「きらハル」。
「……かなめ……」
何度も何度も見たって、決して見飽きることのない僕の推し。花橘かなめがセンターに立って、こちらに笑顔を向けている。
「ほんとに女神。いや天使か? とにかく、尊い、神聖だ……」
ああ、胸が熱い。これもなにかの運命なのかもしれない。僕はその前に立って遂にスマホを開いた。
ニュースサイトを開く。トップページには載っていない。
ドッドッドッ。心臓の音が聞こえて辛い。芸能カテゴリを開く。
「――あった」
『 ≪路上抱擁&堂々デート≫
きらハル堤らぶが人気newtuberスイセイと熱愛
新宿デートを激写! 』
「ら、らぶ!?」
ひゅっと息を吸う。どうやらあまりの緊張で呼吸を忘れていたらしい。
「ああよかった、全然よくないけどよかった、かなめじゃない!!」
『6月15日の17時半、人混みの新宿。ショートパンツから素足をさらけ出した美女と、派手なピンク色の髪型をした男性が並んで歩いている。きらり、青春・4期生メンバーの堤らぶ(18)とyoutuberのスイセイ(27)だ。
2人は仲睦まじそうに並んで歩き、熱い抱擁を交わしてから帰路についた――。』
「写真も撮られてる……」
『堤は、アイドルグループ・きらり、青春の4期生。最近は選抜の常連でもあり、次期エース候補の呼び声高いメンバーだ。ハーフツインの髪型がトレードマークで、妹系のルックスとエネルギー溢れる天真爛漫さを併せ持ち、ファンも多い。
一方、スイセイは今や登録者300万人を超える超人気newtuberである。6年前にお騒がせ系newtuberグループから脱退し、現在は一人で活動している。目鼻立ちがはっきりとしたクォーターイケメンで、業界では恋多き男として有名だ。
恋愛禁止のアイドルと危険な香りのするnewtuber、2人の恋は、祝福されるのか』
「……やっぱり芸能人は違うな」
華のある2人は、一見お似合いのようにも見える。
しかし、この恋は許されない。きらハルは「恋愛禁止」のアイドルグループだからだ。
「はあ」
記事を一気に読み終えると、すっかり脱力してしまった。
らぶのスキャンダルに対する失望と、それでもかなめではなかったことの安堵と、複雑な気持ちだ。
「見つけた……っ!」
突然華奢な手が、僕の腕を掴んだ。もう離さない、とでもいうように強く握られる
あ、あれ、誰だっけこの子。すっごく見たことあるけど。生徒だっけ。いや生徒にこんな可愛い子いなかったよな。というか、一般人でこんなに可愛い子がいるわけが――
そこまで思い至って、ふとスマホを見る。
そこに映る、アイドル。
「え、な、な、んでこんなところに」
堤らぶ。僕の前にいるのは、スキャンダルが報じられた人気アイドル、その人だ。
唖然とする僕を、デジタルサイネージのかなめがじっと見ている気がした。