言う?
かつて、ここまでまっすぐセマられたことはなかった。
つきあってた子たちからは、一度も。
おれの元カノ、13人もいるのに。
理由は単純だ。
女の子が「そういう気持ち」になる前に、おれの内面のイケてなさがバレて、全員にフラれてきたから。
「え?」
おれは、その場しのぎをする。
聞こえているのに聞き返すっていうベタなやつ。
「もー」
勇……いや、優ちゃんは、おれの首のうしろに手を回してうなじをぐーっと引っぱる。
強制的に頭の位置を下げられ、彼女と顔が近づいた。
優ちゃんはおれの耳にくちびるをあてて、
「…………抱いてください……っていったんです。聞こえてたくせに……」
ぶわぁぁぁっ、と肩から背中にかけてゾクゾクが走った。
体ってふしぎだ。
ふだんと同じ声なのに、耳とゼロ距離でやられたら、こんなにもセクシーに聞こえるなんて。
男の本能が――くっ!
そ、その場しのぎを、もう一発だ!
「こうかな?」
おれは優ちゃんの左右から腕をまわして、よわいハグをした。
抱く=ハグ。
駅前で、めっちゃ朝のラッシュの時間帯。
スーツの人も学生もたくさんいる。
じろじろみられて恥ずかしいが、背に腹はかえられない。
「……」
優ちゃんはなにも言わない。
ハグを解除して、正面から彼女を見つめてみる。
おれの仲のいい友だちの妹の、紺野優。
風のイタズラで、この子のポニーテールが垂直に、鬼のツノみたくにょきっと伸びた。
「まっ、いいでしょ。前菜ってことにしてあげます」
「え?」
「で、これからどうします? ホテルに直行します?」
「いや……」おれはキラキラした彼女の目から視線をはずした。「学校に直行するよ。おれ、成績がわるいぶん遅刻や欠席はしたくないからさ」
へー、と優ちゃんはつぶやく。
じゃあ、と片手をあげるおれ。
その、だいたい15分後――
「緊張するー!」と、うれしそうな声。「ヤバいぐらい目立ってる! ほら、みーんなこっちをみてますよ、センパイ‼」
駅から学校へのルートは、この時間帯、生徒でびっしりだ。
いうまでもなく〈おれの学校の生徒だけ〉でいっぱい。
こんなとこに他校の制服の子がいたら、そりゃあ目立ちに目立ちまくる。
しかも優ちゃんが着てるのは有名女子中学の真っ赤なブレザー。通称〈赤ブレ〉。
「よう、正クン。朝っぱらからやるねー」
「やっぱすげーよ、正クン」
「となりにいる子って、ひょっとしてアイドル?」
歩いていると、おれの知り合いから何回か声をかけられた。
そのたびに、となりで「えへへ」と照れ笑いした優ちゃん。
まるでカノジョのように。
「最高です。みんなオトナにみえますし。あーあ、わたしもはやく高校生になりたいなぁ」
「今の学校は楽しくないの?」
「ぶー。そういうことじゃないんです、センパイ。ここはですね……『優。おまえ来年は、もちろんオレの高校にくるんだろ?』……これですっ! これで即落ちですよっ!」
声が大きいって。
ただでさえこの子の赤ブレは注目されるのに。
ちょうどここから校舎の大時計がみえる。
おれはハッとした。
(この時間は、よくないな)
あいつがくる。
おれは優ちゃんと向かい合った。
「じゃあ、このあたりでいいか? もう登校デートは楽しんだだろ? ほら、はやくもどらないと、そっちが遅刻しちゃうよ?」
「えー。もう期末も終わったし授業もおさらいばっかだから、そんなの気にしなくていいですよぅ」
「でも、優ちゃんは学校の中には入れないし……」
「本命の女の子がいるんでしょ?」
きっ、とにらむような強い目つきになった。
友だちの妹だし、二つも年下で〈かわいい〉というイメージしかなかったから意外。
「わたし……じつはプライドがキズついてたんです」
赤ブレの、赤いリボンが北風でゆれた。
多めに下ろしている前髪も、すこしななめに流れた。
「だってセンパイ、あのときよろこんだじゃないですか」
「あのとき?」
「動物園でフッたときです。忘れません。わたしが『幼なじみとつきあうから』って言ったとき――」
今年の春のことだ。たしか入り口のそばにあった桜は満開だった。
フラれたのはアルパカの前だったと思う。
おれは急に「幼なじみ」って言われて、びっくりして、勇を思い出して、なんかホッとしたのをおぼえてる。
彼女の言葉にウソはない。
あのとき、たしかにおれは〈よろこんだ〉んだ。
(それは申し訳なかったけど……そろそろ、あいつが登校して―――)
「センパイ? きいてます?」
「うん、ちゃんときいてるさ。わかってるよ。あのときはほんとごめん。まじでごめん。あのときのおれはバカだったんだ」と、不自然なくらいの早口で言う。「じゃあ、そういうことで……」
「センパイ。また、わたしのプライドをキズつけるんですか?」
「優ちゃん」おれは最高のキメ顔をつくった。「そんなつもりはないよ。おれは優ちゃんとも正しく恋愛ができると思ってる」
「え⁉ は、はい……」
「でもそれには時間が必要だ。おれは心の底から愛している子じゃないと、そういうことはできない」
「ぶー。テイよくフッてる流れじゃないですかー。やっぱり、センパイくらいカッコいいと、二番手ぐらいでガマンしなきゃなのかー」
「駅までの道はわかる?」
「……おっぱらう気マンマンですね」
優ちゃんが、頭に〈!〉がみえるような表情になった。
目をぱっちりひらいて、ちょっとアヒル口になって。
イヤな予感。
「んじゃ、『あいしてる』って言ってください」
ふくみ笑いのような、年下の女の子らしいチャーミングな表情をうかべている。
おれが言うのか?
しょうがない。
「あいしてる」
「だめです。もっと心をこめてください」ぱちっ、と優ちゃんはウィンクした。「合格したら、わたし帰ります」
「……あいしてる」
「まだまだ。センパイ、演劇部でしたよね? もっとできるんじゃないですか~?」
「あい……してる」
「ボリュームをあげてみて、いっそのこと絶叫系でいきません? わたしの名前も呼んでください」
おれは覚悟をきめた。
お望みどおり、叫んでやるさ。
まわりにはそれなりに生徒がいるが、そのぶん雑音だって多いからな。
「優! あいしてるぞ!」
「……」
こんなことがあるのか。
あれだけワイワイガヤガヤでうるさかった周囲のノイズが、おれがしゃべる一秒前に、なぜかピタッととまった。
おかげで、ひびきにひびく愛の告白。
「……」
無言の視線。
これは優ちゃんのじゃなくて。優ちゃんは、今、ほっぺをおさえて恥ずかしそうにうつむいているから。
この「……」は、あいつ。
無表情で感情はわからない。
「勇」
「また名前を……ステキですセンパイ。やっぱり、センパイは死ぬほどかっこいい……」
おれの胸におでこをあてる優ちゃんの向こうに、じーっとおれをみている勇がいた。
◆
今日の体育は大ハズレだ。
マラソンって。
校舎の外周を走るだけって。
が、それよりなにより、おれは運動神経もスタミナもないから、めっちゃ苦痛。
うっ……昼にたべたものが……
「大丈夫?」
大幅にペースダウンして走っているおれに、うしろから声をかけてくれた女子がいる。
ほかの組の女子も、いっしょにマラソンしてるみたいだからな。
「だ、だいじょうぶ、さ」
「ムリしないで」
と、背中に手をあててくれる。
おれは立ち止まって、ふりかえった。
「あ。勇の……」
「うん。やっと気づいた?」
マリカワさんだ。
バドミントン部で、勇とダブルスを組んでる女子。
「マリ」の字はボールみたいなヤツの「マリ」。カワはシンプルなほうの川。おれにはむずかしすぎて、マリを漢字で書けない。カタカナをイメージして、いつも「マリちゃん」と呼んでいる。
どこかお嬢様っぽい感じの子だ。長い髪の毛先をカールさせてる。
ちなみに、友だちの妹に手をだしたおれでも、幼なじみの親友である彼女には――さすがに――手を出していない。
「ちょっと、お話がしたかったの。ちょうどいいタイミングね」
マリちゃんは髪をかきあげた。
一点のスキもないキレイ系の顔立ちだ。
もし彼女が勇と無関係だったら、告白してたかもしれない。
「元気がないの」
「えっ」
「勇のこと。さっきの昼休みも、あの子のクラスをのぞいたら、一人で机に……なんて言うのかな、寝てるっていうか」
「つっぷす?」
「そうそう。机につっぷして寝てて。なんだか勇らしくないなって。小波久くん……心当たりはない?」
ある。
あるけど……、おかしな気もする。
勇にはもう、りっぱな彼氏がいるんだ。
なら、おれがほかの女の子とどうこうしたところで、ヘコんだりするわけがない。
「さ、さあ……彼氏とケンカとかじゃないかな? それか、テストの成績がわるかったとか」
「うーん……」
マリちゃんは首をかしげ、右手の指先をかるくほっぺにあてる。
指にはいくつかテーピングがしてあった。
運動部で努力してる人の指だ。
おれは目をつむって、机につっぷす勇の姿を想像した。
(もし落ちこんでるんなら……その理由は……)
だめだ。
頭からケムリがでる。
たくさんの糸が頭ん中でからんでる。
その糸のからみを、マリちゃんが一刀両断にしてしまった。
勇はね、と小声で口にしたあと、まるで秘密をうちあけるように彼女はこう言った。
「あなたのことが大好きなんだと思う」