ハートはハダカになりたがる
次の日のデートは、いきなりクライマックスだった。
まちあわせの時間が夕方の5時っていうところから、あやしかったんだ。
ラブホがめっちゃある通りに入って、そのうちの一つにチェック・イン。
(昨日のセリフ……まじに実現させる気か?)
ちら、と盗み見る。
三年の先輩、水緒さんを。
土俵のような丸いベッドのふちに座る彼女を。
「どうした? ビビってるのか?」
腕を組み、足も組み、挑発的な目つき。
「いや……ビビッてないですよ。おれも男ですから」
「ほら」と、ベッドを手でたたく。「こっちにこい」
「大丈夫です……ここで」
おれは床に正座していた。Tシャツにパンツ一枚という姿で。
「立てない理由でもあるのか?」
水緒さんの視線が〈一点〉に集中する。
おれも意識を集中して、必死にあらがう。
(目をつむれっ! おだやかな海や草原をイメージして……)
ちょっとおちついた、か?
しかしハードな状況だ。
男の本能が、どうしても反応しようとする。
「あの……」
「なんだ?」
「おれの体を、デッサンするためにここに入ったんじゃないんですか?」
「あれはウソだ」
と、すがすがしく真顔で言い切った。
まったくこの人には、かなわないよ。
読書家で芸術家。
おれの5回目の告白をOKしてくれた、元カノ。
「相変わらず、おまえは疑うということを知らないな……」
横顔を向けた。
チャンス! じゃないけど、今のうちにじっくり見て見なれておこう。
上下黒の下着姿で、ガーターベルトまで黒。もちろんガーターストッキングも黒。マニキュアも黒。ペディキュアも黒。どんだけ黒が好きなんだよ。
長い髪を体の前に垂らし、首のとこで二つにわかれている。
その髪の毛先は空中で、ふわふわゆれている。
そのわけは、途中にある二つの丘――いや山――で、ぐーっと持ち上がっているからだ。
「水緒さん」
む? と顔がこっちに向く。
「これは正しいことじゃないですよ……出ましょう」
「出る、だと? もう? 5分もたってないのに?」
「はい」
「すこしばかり――早すぎるぞ」
にぃ、と口元だけで笑った。
?
なんだ? どういう意味?
「冗談はさておき」
間接照明で、水緒さんの右半分だけがオレンジっぽいあかりで照らされていた。
「説教の時間だ」
「説教?」せっ、と彼女が口にしたコンマ何秒の瞬間に頭によぎった予想が、みごとに裏切られる。「せ、説教ですか?」
「私にとっておまえ……小波久正という存在は忘れものだったんでな」
なんか言ってる意味がよくわからない。
おれがバカだからという理由だけじゃないような気がする。
「ここじゃないとダメだったんですか?」
「小波久。人間、喜怒哀楽をつよく感じたときに記憶力も高まるものだ。これからする説教をおまえの胸にしっかりと刻むために、こうすることが最適だった。すなわち文字どおり……『一肌ぬいでやった』というわけだ」
やっぱり、よくわからん。
ヘンにさからわず、おとなしく話をきくか。
「ちょうど去年の今頃だったな、おまえが私に告白したのは」
はっきりおぼえていないが、この人が言うのならそうなんだろう。
「どうして私を選んだのか、というヤボなことを聞くつもりはない。問題は〈私がおまえをフッた理由〉のほうだ」
「それは……おれ頭がよくないし、小説とか絵の話題にもついていけなかったから――」
「私もそう思った。美人は三日であきるというが、たしかに、三日ほどでおまえの美貌は気にならなくなったからな。そして、あまりの中身のなさに絶望したものだ」
「これ処刑ですか?」
「まあ聞け」
手のひらをおれに向ける。
「下校デートで立ち寄った公園のベンチで、私はおまえにキスをしようとした」
おれはそのときの記憶を思い出した。
遠くで子どもがバドミントンをしてたっけ。
「が、おまえはスマホでガードした。そうだな?」
「……はい」
「そのとき私はフッたんだ。『こんな恋人があるか』と怒鳴ってな。ふっ。一年前は……私も幼かったようだ」
「すみませんでした」
「あやまるな。しかし、今日の目的は正にそこにある。小波久。心して聞け――」
なぜ、おまえはキスができない?
ちっ、ちっ、と時計の秒針の音。
壁にはカーテンのようにゆれるオーロラの絵。
ぶーん、と鳴く冷蔵庫。
「それは……おれの家の決まりで……」
「ほう」
「一人前になるまで女の子とは〈するな〉って言われてるから……」
「〈するな〉っていうのは、セックスのことだな?」
おれはうなずいた。
「キスのことではないな?」
「いやでも……そういうことって、ほら、だいたいキスからはじまるじゃないですか」
「なにをうろたえている? なら、私がはっきり言ってやろう」
立ち上がっておれに近づき、ぺたんとおしりをつけて座ると、正座するおれの首筋に手を回した。
「おまえは、あの幼なじみが――」
◆
帰宅した。
その5分後ぐらいに、「ただいまー」と勇も帰ってきた。
「おまえも出かけてたのか?」
「なによ。いいじゃん。べつに」
「デートか?」
すこし間があって、
「だよ」
と二文字でこたえた。にひっ、という笑顔つきで。
「正もでしょ?」
「まあな」
「女の子と予定のない休日なんて、女ったらしの恥だもんねっ!」
べー、と勇は小さな舌をだした。
白いダッフルコートを脱ぎながら、おれの横を抜ける。
いかにも女の子っていう、ナチュラルないい香りがした。
(まだ根にもってんのかな……)
もともと、ネガティブなことをひきずらない、カラッとした性格のやつなんだけど。
図書室でおれがキスされそうになったシーンを見たことも、しばらくしたら忘れてくれるだろう。
あのときは……なんか泣きそうな顔してたけどな……。
たまたまホコリが目に入ってツラかったとか、そういう可能性だってある。
(ふー)
食事も終わってフロにも入って、おちついた。
あとは寝るだけ――いや、
(努力なくして正しい恋は見つからないぜ!)
おれはもっと中身のある人間になるんだ。その第一歩。
父さんの部屋から一冊、本をかりてきた。タイトルは『竜馬がゆく』。
まわりを観察すると、頭がいいヤツはたいてい本を読んでる。
おれも、頭がよくなりたいんだ。話題の引き出しもほしい。
きっとソンはしないだろう。坂本竜馬も、けっこう好きだしな。
(…………あっ)
三ページ目ぐらいではやくもウトウトしかけたころ、クローゼットの中でスマホがぶるった音がした。
忘れてた。ウチは在宅中は親にスマホをあずけるシステムなのに。
まあ……今日は忘れるぐらいインパクトのあるイベントがあったからな……。
メールがきてる。
水緒先輩からだ。
(件名なし、本文なし?)
なんだこれ。
下にスクロールすると、画像がでてきた。
(おれじゃん)
待ち合わせ場所で水緒さんを待ってるおれだ。スタジャンを着てマフラーを巻いてる。
(こっそり撮ってたのか)
一人で立ちつくしてるときでも気を抜いてなくて、スキのないカッコよさ。ドラマのワンシーンのようだ……ってナルシストやってる場合じゃないな。
なんでこんなの送ったんだ?
おれはしばらくその画像とにらめっこした。
ふと、玄関先の勇を思い出した。
新しい雪みたいに白いダッフル。
おれが立ってる場所のずっと奥に、人ごみにまぎれるようにして真っ白い一点がある。
スマホを操作して拡大してみた。
まちがいなかった。
遠くからおれの様子をうかがう勇が、そこにいた。