ゴールデン・バッド
幼なじみが金髪になった。
べつに髪の色を変えるぐらい、なんにもわるいことじゃない。
問題はほかのところに、たかく山積みになっている。
「勇! ……だよな?」
「……」
「勇。頭、それカツラか?」
「……」
「なんでこんな場所にいるんだ?」
目をふせた。
しかし、今、たしかに勇の声を聞いたし、見た目だって本人そのもの。
疑う余地なんか一ミリもない。
「……」
「どうしてだまってるんだよ!」
大声で視線がおれたちのほうに集まる。
これが大声を出さずにいられるか。
たのむから「そうだよ」ってあっさり認めてくれ。言って、にこっといつもみたいに笑ってくれよ。
それとも、だまらなきゃいけないような、うしろめたい何かがあるのか?
「Sorry」
それだけ、聞き取れた。
その英単語とともに、赤いスーツの男がおれと勇の間にスッと割って入る。
「丈? おまえは星乃丈だろ?」
問いかけても、こたえない。
片っぽの口角だけをぐーっとななめに上げるフテキな表情。
勇ほど確信はないが、こいつはたぶん丈だ。髪をブロンドにして、目には青いカラコンまで入れている。
「どいてくれ。おれは勇と話がしたい」
「―― ――! ――――」
おそろしく早口の英語。
まったくリスニングできない。
というより、ただまくしたてるためだけに、しゃべっているような感じだ。
「――?」
「いや……わからないです。ちょっと、そこをどいてくれませんか」
赤スーツが「やれやれ」の顔つきでゆっくり首をふる。
これは長期戦か――と思ったその瞬間、すんなりワキにどいた。
あらわれる勇の姿。
白いノースリーブの華々しいドレス。スカートは床をこするほど長い。まるでウェディングドレスだ。
「勇!」
おれの呼びかけに、はっと顔をあげた幼なじみ。
一歩、近寄ったそのとき、
チュッ
と、赤いスーツの男が頭をお辞儀のように下げて、勇の頬にキスした。
ただのアイサツみたいに。
目を丸くしておどろいてる勇。
エアコンの風のせいか、ぶわわっ、とショートの髪の毛先が静電気で逆立ったように浮く。
そのまま、くちびるをつけたまま、男の目だけが横に流れておれを見る。
(勇はオレのものだ)
そんな挑発的な目だった。
「……ちょっと!」
男に手を伸ばそうとしたタイミングで、わーっ! とパーティー会場全体が拍手と歓声で沸いた。
みんなの視線は上に集中している。
ふき抜けの二階の手すりのところに、誰か知らないけど、パーティーの主役のような人がいて両手をふっている。
と、まわりにつられておれもそこを見た一瞬のスキに、
(うそだろ)
男と勇がいなくなっていた。
男……あいつはまぎれもなく丈だ。
丈が、ほっぺとはいえおれの幼なじみに……
「あら? こちらにいらしたの?」
「伊礼院さん」
「まだ、あなたを紹介したい方がおります。さあ、いっしょにきてください」
両手で腕をとって、おれをひっぱる伊礼院さん。
きっちりとまとめたポンパドールの黒い髪が、シャンデリアの光に照らされている。
大急ぎで360度、勇をさがしたけど、いない。
そもそも人の数が多すぎる。
「正さん? どうかなされました?」
「いえ……」
その後も、タイミングをみて勇を見つけようとしたけど、ダメだった。
ではそろそろ、と伊礼院さんの車に乗せられて帰宅したのが夜の9時前。
(いる)
勇のクツ。
外出用のお気に入りの白いスニーカー。学校用のはき古したクツもちゃんとある。
リビングにはいない。
じゃあ、自分の部屋にいるのか……。
食事のとき、勇のお母さんにあいつがいつ帰宅したかをきいてみたら、だいたい一時間前だって言った。
そしてフロに入って、
「あっ」
入れない。
先客がいた。
湯舟につかる勇を見てしまった。「あっ」と声をあげたのは、おれ。
髪は黒かった。
そして、ここが正しく重要なところだが、勇が見られたくないと思う部分はまったく見ていない。
(やってしまったな……ばっちり目も合ったし)
まーでも結果オーライじゃないか?
あいつにどなられる、からの、どうしてあそこにいたんだよ、となって、じつはね……みたいな流れに持っていけそうだ。
しかし……勇も、もっと「入ってるから!」のアピールをしてくれよ。
着替えのスペースはカギかけられないんだから、外のプレートを〈使用中〉にしておくとか、目立つように着替えの服をおくとか、ぱしゃぱしゃ音をたてるとかだな……あまりにも静かで中には誰もいないと思ったぞ。
そろそろ、くるか?
(………………あれ)
こない。
いくら待っても「バカ!」がこない。
それどころか、このクスンクスンいってる音はなんだ?
もしかして、泣いてるのか?
ちらっとみえた姿も、そういえば片方のほっぺをおさえていたし……
(まさか)
アレが原因か?
船の上であいつにされたキスが。
だとしたら――
(いや、今から外行きに着替えてどーするんだよ!)
自分の部屋で、いったん深呼吸する。
ぼすん、とベッドにすわった。
そこでスマホに着信。
ウチのルールで夜間はスマホ使用禁止で親にあずけないといけないんだが、あずけるのをすっかり忘れていた。
(そのルールを友だちはみんな知ってるから、おれに夜に連絡がくるってあんまりないんだけど……)
胸さわぎがした。
それも、かなりわるい予感。
「あ。よかった。レスきた」
ラインしてきたのは、クラスメイトの国府田さんだった。
おたがいに連絡先の交換はしてるけど、彼女とプライベートなやりとりをしたことは一度もない。
もしや告白されるのか、とも思ったが彼女にかぎってそれはないだろう。彼女から〈好き〉のサインを感じたことはないからだ。
ぼんやり頭に浮かんだ国府田さんが、すこし茶色の髪をサッと耳にかきあげる。
「緊急でね。学校じゃちょっと……の内容だから」
「なに?」
「ところで伊良部は元気?」
ドキッとした。
なぜ、いきなりあいつの話になるんだ?
「勇なら元気だよ。どうして?」
「転校生クンになんかされてない?」
なんだ、このラインは。
船でのことを見てきたかのような。
どんどんドキドキがはやくなる。
……お、おちつけ。
こういうときこそ、平常心だ。平常心。
「あのさ、学校の裏サイトでね、よくないウワサがあるの」
「裏サイト?」
「あー! 正クンはそこは知らなくていいの。あそこはうす汚れてるからね、かかわらないほうがいい」
「わかった。じゃ、そのウワサっていうのは?」
衝撃の内容だった。
あいつ……星乃丈が、よそで暴力事件をおこして転校してきたという話。
「確定じゃないけど、どうもマジっぽいんだよねー」
「そうなんだ……。さっき勇のことを気にしたのは?」
「彼のほうがお熱だからよ。教室でもずっとワンアンドオンリーっていうし」
「ワン……? ごめん、英語わからない」
「二人だけの世界をつくってるっていうか、そんなヤツ。女子のグループも、とうとう伊良部のことを避けはじめたみたいでね」
「いや勇はわるくないだろ!」
「おこらない。私、そんなつもりで忠告したんじゃないから」
スマホの画面はそのままで変わらない。
おれはじっと画面を見つめている。
しばらくして、
「とにかく伊良部を気にかけてあげてね?」
と、国府田さんから最後のラインがきた。
おれはベッドに寝た。
やっぱり思ったとおりだ。勇のクラスでの立場が、わるいほうへ進んでいる。
時計をみた。
もう夜もおそい。
明日だ。
明日、おれは――――
(文句を言う‼)
朝の9時。
おれは、となりのとなりのとなりの家のインターホンを押した。
もう決心はついてる。
丈に、おれが言いたいことをぶつける。その結果、どうなったってかまわない。
たぶんあいつはむちゃくちゃケンカが強いんだろう。
おれはボコボコにされる。
たった一つだけ他人にジマンできる最高のイケメンフェイスも、ひじょうに残念なことになるはずだ。
かまわない。
それでもいい。
おれは大切な幼なじみを泣かせたあの男を、絶対にゆるすことができない。
「おー正じゃん」
運よく、玄関から出てきたのは丈。
すこしボサついてる髪は……真っ黒だ。やはり彼もカツラとかだったのか。
「顔……かしてください」
「ははっ。敬語でいうセリフじゃねーな、それは」
ダルそうに言ったが、それでも彼はおれについてきてくれた。
上下黒のジャージの上に、こげ茶色の革ジャンを着ている。
近くの公園のベンチに、どかっと腰を下ろす丈。
「朝はえーから、誰もいねーな」
「昨日の話ですけど」
「おまけにこの寒さだ。さっさと用件をすませてくれ」
「勇にキスを――」
丈の目つきが変わった。
異様にするどい。
ケンカ寸前の空気。
「オマエはナニモンだよ」
「え?」
「勇の恋人じゃないよな。そこについては勇に何度も確認をとったんだ。まちがいはねー」
「それは……」
「たしかに、あのパーティーに勇をさそったのはオレだ。だがムリ強いしたおぼえはない。あくまでも、あいつはあいつの意志であの場にいたんだ。ここまではいいか?」
「勇が……」
「オマエがキスしたことをどーこーっていうなら、それもスジがちがう。だってよぉ、オマエは彼氏でもなんでもないんだからな。オレは勇になら怒られてもいい。グーでなぐってもいいし、ビンタだってよろこんで受けるぜ」
丈は座ったまま、ハグを求めるように両手をひろげた。
「ただしオマエには、とやかく言われたくないね。ま……くちびるを奪ったわけじゃねーんだし、ガタガタさわぐなよって感じかな」
「勇に手をだすな」
「あ?」
おれは、ショードー的というか、何かみえない力で動いていた。
胸倉をつかみ、強引に丈をベンチから立たせる。
「勇はおれの…………」
「ちっ」
イヤそうに、おれの手を手の甲ではらう。
つよい力だ。手首がジンジンする。
「正。今からちょっとクセ―こというぞ。鼻、つまんどけよ」
そうおれに面と向かって言って、にっ、と片方の口角だけをあげる微笑。
「恋に早いモン勝ちはない……ってな」
背中を向けて、丈が公園から立ち去った。
やむをえず、おれも家に帰る。
その日、リビングでくつろいでいたら、テレビでインフルエンサーの特集をしていた。ようするにSNSの有名人のことだ。
「あら? これ星乃さんの息子さんに似てるわねぇ~」
とお母さんが言う。
まさか、と思っておれも見たら、本当に激似だった。
っていうかこれは……
(豪華客船で会ったときの丈じゃないか!)
名前はジョー・スター。
金髪で青い目。長身でモデル顔負けのスタイルに、美形の顔。
(インフルエンサー……だからあんなセレブのパーティーにいたのか?)
なぞが少しとけた。
ところで、今このリビングに、勇はいない。
自分の部屋から、出てこないんだ。
部屋の外から声をかけても、返事はない。
(……あいつらしくないな)
落ちこんでるんだろうか。
でも何が理由で? やっぱり、キスされたことか?
くそっ。
もっとキツーーーく、丈に文句を言っとくべきだったか……。
「どうした? 元気ないな」
月曜日の朝、おれをみかけた紺野の第一声がそれだった。
勇の落ちこみがおれにもデンセンしたみたいだ。
児玉のヤツは、なんも気にしてなかったけど。
授業もうわの空。
あっというまに放課後になった。
「やべー! やべーって‼」
一度教室を出ていった児玉がもどってきて、補習の準備をしていたおれのところにやってくる。紺野はもう部活にいってて、いない。
「どうしたんだよ」
「あれはスト値が9……いやひょっとして10かぁ? テンションあがるわー」
「おい」
「いーからいーから」
おれを手招きして廊下につれ出す。
ちょうどここから、学校の正門が見下ろせる。
門の近く、人の流れをさけて、ぽつんと立っている他校の女子。赤いブレザー。
「あの子だよ。やべーだろ? ぶっちぎりでかわいいじゃんよ!」
「翔」
「へっ? ショーってなに」
「彼女の名前。おれ、あの子を知ってるんだ」
まじか? さすがショーだぜっ! と、児玉はうれしそうに言う。
ははは……と愛想笑いを返しながら、おれは心中おだやかではない。
彼女――星乃翔が突然あらわれたのは、もちろんおどろきだ。
しかし、それとはちがう角度のショック。
ホラーといっては彼女にわるい。だが、こわいものに触れたときに近い感情になっている。
おれの背中を、つめたい汗が一筋、ツーッと流れていった。
(どうして、あの〈髪型〉にしてるんだ? まるっきり、伊礼院さんと同じじゃないか)
はるか遠くに見える彼女は、前髪をすべて上げてまとめるポンパドールと呼ばれるヘアスタイルにして、ロングの髪にはゆるやかなウェーブをかけていた。