合図をキミに
その晩、ふとんの中で考えた。
あいつが……幼なじみの勇が、おれにウソをついたことがあるかどうかって。
ない。
それこそ、関係がはじまるトコまでさかのぼってみたけど、やっぱりない。
っていっても、関係がはじまったのは物心のつく前だ。
おれたちが幼なじみになったのは、たんに家が近かったから。勇の家がとなりのとなりのとなりだったんだ。その家は今もある。空き家になってるけど。
出会って何年かは、髪が長かった。
それをうなじのあたりで二本に分けて結んで、ふつうに女の子してた。
勇が髪をショートにしたのは小五の秋。
女の子が突然髪をみじかくすることにメンエキがなくて、けっこうドギマギしたことをおぼえている。
(おれに『バレてない』って、なんのことだよ、勇)
あいつは最初からフレンドリーだったと思う。
逆におれのほうが、大人の背中にかくれたりしてた。
でもすぐに仲良くなったな。
おれは勇を好きになった。
性格がサバサバしてて、ものの言い方がストレートで、あんまウソとか好きじゃなくて。
(その勇が、おれに〈かくしごと〉か……)
おれのほうもウソなんかつかず、素直にあいつと接してきたつもりだ。
小学生の低学年のときにおねしょしてしまったことも伝えたし、中学の入学式の日、強風であいつのスカートがふわっと浮き上がったときもちゃんと「みえた」と白状した。そんとき、勇は「そっか」と言って明るく笑ったっけ。
(――そういえば、アレも〈かくしごと〉か?)
勇がいないときにパソコンをさわってたら出てきた、連れ子同士_結婚できる? の検索履歴。
でもアレは、よーく考えたらそんなにマジじゃない気もしてる。
なんとなく調べてみただけだった――って感じで。
いわゆる興味ホンイってやつで。
えーと、ところで、それって……
「できるんだっけ?」
「ホワッツ?」
次の日の放課後。
おれは演劇部に出て、部活中。
校舎三階にある部室。
ここはいつも文化祭の一週間前みたいに、いろんなものがちらかってる。
「それはともかく、絵の具、鼻についてるよ?」
片切がその部分を指さす。
まじかよ、とおれはすぐに男子トイレに向かった。
片切もついてくる。
歩く姿に〈チョコチョコ〉とか〈とてとて〉という音がぴったりの、ミニマムな女の子だ。おれの元カノ。今日もツインテールで、体の動きにともなってよく揺れている。
「正は小道具作りもセンスないな~」
「はっきり言うなよ。悲しくなるだろ」
「はいタオル」
サンキュー、とおれは顔をふいた。ふわふわで気持ちいいタオルだ。
「洗って返すよ」
「いいから」と、片切はおれの手からブンどる。「気にしなさんな。私たち、もともとつきあってた間柄でしょ?」そしてタオルを見つめながら声色をかえて「ぐふふ……イケメンのエキスをもらったゾイ」
「おい」
「ははっ。ジョークジョーク」
今日の演劇部は、部員みんなでクリスマス公演のセットづくりをしている。
おれは最初、クリスマスツリーを担当していたが、ミスって枝を三本も折ってしまった。
で、担当をかえられて、部屋のすみで小物に赤い絵の具をぬっていたところだ。片切といっしょに。
「それで、さっきの話はなぁに?」
あ、と思い出す。
「いや……連れ子同士ってさ、結婚できたんだっけ?」
「知らないよ、そんなの」ぷー、と片切のほっぺがふくらんだ。「私と、じゃないの?」
「おまえ、おれをフッたじゃん」
「それはフラれる理由がキミにあったからだよ、小波久少年」
男子トイレの前からすこし移動して、廊下の窓のそばに立つ。
「ノドから手がでるほど勇ちゃんと結婚したいんだね?」
「そうじゃなくて……」
いいから、と片切はスマホを出す。
そして、
「あー、できるってさ。法律的な問題はナシ。コングラッチュレーションズ。おめでとう。式には、私も呼んでね?」
あー呼ぶ呼ぶ、とおれは適当にこたえた。
内心、ひそかな安心感がある。
そうか。できるんだ。連れ子同士――つまりおれと勇で――結婚するっていうのは。
「あ? 勇ちゃんだ!」片切が窓の外を見下ろして言う。
「え?」
いくらなんでもタイミングがよすぎる。
ウソだとは思いながらも、おれはあいつの姿をさがしていた。
やっぱり、どこにもいない。
じろっ、と片切に流し目すると、
「ごめんごめん。でも正は正直だね。あの子の名前を耳にしたら、あっというまに目つきがかわったよ?」
「どんなふうに?」
「いとしい人を見つめるまなざし、って感じ」
そう言って、片切はウィンクした。
まったく……こまった元カノだ。
ん?
片切といっしょに窓から見下ろす……最近、なんか似たようなシチュエーションがあったな、と思い出した。
「あ!」
「えっえっ、どーしたの?」
「片切、あのとき見たよな? 勇のこと。勇が彼氏といるところを」
場所は自転車置き場の近く。
図書室でおれが水緒さんとキスした……って勇に誤解されたあの日に、部室の窓から見たんだ。彼氏とそこにいる勇を。
「もうハラくくって聞くよ。あんとき、勇はキスしたのか?」
「おろろ?」片切はニヤニヤ笑いながら、おれをひじでつっついた。「どういう心境の変化カナ? やっと彼氏くんと対決する気になったのかい?」
「片切。まじだ」
おれは両肩をつかんだ。
腕力のないおれでも〈たかいたかい〉できそうなぐらい、体格差がある。
「たのむ」
「お……おお、確かにマジだね……イッツシリアス……」
「してたのか?」
「……オッケー、まず手をはなしてよ、正」
おれは、あわてて手をはなす。
「結論からいおう」
と、片切は指を一本たてた。研究者かなんかのキャラか?
「ノーキッス、であると」
「ほんとか?」
「もちろん」
「じゃ、向かい合っただけ、って感じなのか?」
「実演しちゃる」
そう言うと片切は、おれの両手をとった。
「こんな感じ」
「両手で握手?」
「……だね」
「勇と彼氏が?」
だよ~、と片切は部室にもどっていった。
その場に立ちつくす、おれ。
(握手って……そんなことするか? 手をつなぐっていうんならわかるけど……)
考えていたら、どん、と背中に何かあたった。
ワンテンポおくれて、やわらかいものがあたった感触。
ふりかえるまえに「女子だ!」とおれの心が判定した。
「ごめんなさい! 考え事してて前をよく―――」
ジャージ姿の女子。
髪はみじかくて、かすかに深海の色みたいなブルーが入ってる。
手には、何冊ものノート。
「野崎さん」
「えっ?」下げていた頭を、ゆっくり上げる。「正くん! なーんだ。あやまってソンしちゃったな、うん」
「いま部活?」
「そうなの。データを整理しようと思って、パソコンがある部屋に……」
野崎さんの両眉があがった。ただでさえおっきい目が、もっと大きくなる。
「正くん、伊良部さんといっしょに住んでたっけ?」
「はは……ナイショにしてたんだけどね」ウワサは一人歩きする。今では、おれと勇が同じ屋根の下に住んでいることは、みんな知っていた。中には、よからぬ想像をするヤツさえいる。「それがどうかした?」
「ナイスタイミングなの、うん」
この「うん」は彼女の口癖だ。
どうしてそんなことを知っているかというと、片切と同じく彼女も元カノだからだ。
ときどき、この「うん」といっしょに片目をつむったりする。それが最高にかわいいんだ。
「これ」
一冊のノートをわたされた。
「リハビリのメニューとか、練習再開までにしておいてほしいこととか、いろいろ書いてるの。お願いできるかな?」
ことわる理由もないので「もちろん」と返事した。
野崎さんは運動部のマネージャーをやっている。
注意すべきは、彼女は勇の所属するバドミントン部だけのマネージャーじゃないってことだ。
うちの学校は個別じゃなくて〈スポーツ・マネジメント部〉っていう大きな部が一つだけあって、そこがすべての運動部を管理している。担当する部も固定じゃなくて流動的らしい。
「もう帰っちゃってたから、どうしようかと思ってたの。大助かりだよ~」
まぶしい笑顔。
この野崎さんに、陽キャの運動部の男子たちはデレデレにデレている。
だから当然、彼女とつきあったときは、彼らからバリバリに反感を買った。
「元気にしてる?」
「あ、ああ……まあね」
「ごめんね。フッちゃって」
さらっと、あやまってくれた。
さらっと、あやまれる人なんだ。
こういうところを、おれは好きになった。
「部のほうに打ち込みたかったから……今ね、すごく充実してるんだ」
「それは、よかったよ」
うん、と野崎さんはちいさな声でつぶやいた。
「じゃあ、おれ行くから」
「あっ、待って!」
ぎゅっと制服のそでをつかまれた。
わるい気はしない。
できれば、いつまででも、つかんでいてほしいぐらいだ。
「伊良部さんね……あのね、足をいためる前から、あんまり調子がよくなくて……」
意外な内容だった。
勇の態度はふだんどおりに見えたけど、じつはスランプとかだったのか?
「でね」
野崎さんが、おれの腕をひっぱり、背伸びして耳打ちする。
「野球部の外井くんも、ずっと調子がよくないの」
「勇の彼氏?」
「そう」
もとの姿勢にもどった。
彼女は片手を口元にあてる。
「あんまり、ないんだけどな……」
「何が?」
「カップルで、同じタイミングで調子がわるくなっちゃうパターン。これだと、まるで〈同じ悩み〉をかかえてるみたいで……」
「ケンカとかしてたら、そういうこともあるんじゃないかな?」
「ケンカのときはね、女の子のほうがすごく調子よくなるの」
まじ?
データを豊富にもってる彼女の言うことだから、ヘンに説得力がある。
「ね、正くん。ケンカ以外で、二人に〈同じ悩み〉があるとしたら、それってなんだと思う?」
「うーん……」
「二人に何か共有する目的があるのなら、不自然じゃないと思わない? うん」
ウィンクした。
その直撃でドキドキしてるうちに、野崎さんはこんなことを口にした。
「私ね、あの二人……ほんとはつきあってないんじゃないかって思ってる」