背中の駆け引き
じつは連絡先を知っている。
勇の彼氏のケータイの番号とメアド。
朝、はやめに登校してあんまり人のいない教室で、スマホをながめながらおれは迷っていた。
窓の外はくもり。
(連絡してみるか)
昨日の日曜日、デートの終わりぎわにあんなことがあったから。
いやいや、あんなことがあったからこそ、逆に連絡とかしちゃいけないだろ。
うーん……。
登録名はシンプルに名字だけ。
ガイイ――じゃなくて、これは外井と読むらしい。
「ずいぶん早いじゃないか、正」
「おっす」
友だちの紺野がやってきた。
「コミ英の問題でもあてられてるのか?」
いや――と、同居する勇より20分もはやく家を出なければいけない理由を説明する。
「へー、登校デートか。彼氏にすれば『ケガ人につきそう』っていう、かっこうの口実ができたわけだ」
「あ、あのさ」
「どうした?」
さわやかな笑顔を浮かべ、すこし顔を斜めにする。
おれほどじゃないにしても、みごとなイケメンだ。
清潔感があるマジメ男子系のかっこよさ。おれとちがって運動神経もいい。
背も高いんだよな。
ここにいない児玉もそうだが、よくツルむおれたち3人は、みんな175センチ以上はある。だから廊下を歩くとめっちゃ目立つんだ。
「わるい、ちょっと」と、教室のスミに移動した。あまり人に聞かれたくない内容だからだ。「たしか紺野って、一年のとき勇と同じクラスだったよな?」
「そうだよ」
「ってことは、外井も知ってるだろ?」
勇と彼氏がつきあいはじめたのは、一年前の夏。ちょうど梅雨明けのときぐらい。
同級生ですごく気が合う男子がいて告白されちゃってさ、というのが、つきあいはじめた理由らしい。
「どういうヤツか、教えてくれないか?」
「おいおい。探偵ごっこでもはじめるつもりか?」
「いいヤツ?」
「それは、おれの口からは何とも言えないよ。でも、まあ、わるいヤツではないな」
聞けば、何回かいっしょにカラオケやボーリングに行ったことがあるらしい。
「ただ、その……難点をあげるとしたら、なんか〈距離がある〉感じっつーか、うすいカベがある感じみたいなものはあったな」
「どういうこと?」
「急にふらっと一人になるとか、そんな感じのヤツなんだよ」
と、言われてもイマイチよくわからない。
実際に会ったほうがはやい気もしてきた。
「妹のことなんだけど」
紺野は話題をかえた。
「ほとんど元サヤにおさまりかけてる。ちゃんと誤解もとけたらしい」
「そういえば……ここ何日か優ちゃんを見てないな」
「いろいろあっても、つきあいの長さはウソをつかないってことだ」
ぽん、とおれの背中をたたいて、紺野はさわやかに笑った。
まるで「おまえも幼なじみとがんばれ」って言われてるみたいだった。
(ふらっと一人になる――か)
勇のヤツは、あいつのそういうところを好きになったのか?
なんだっけ……孤独を好む、一匹オオカミ?
たしかに、おれには無かった個性かもしれないな……。
で、放課後。
意味もなくぶらりと一人で歩いている。
勇の彼氏をマネして。
「ちょっと! ここ男子禁制!」
おれは声がでなかった。
おどろきだ。
だって目の前に、いきなり水着姿の女の子があらわれたんだから。ただ残念なのはスク水やビキニじゃなく、ガチの水泳選手が着るガチの水着だという点。下半身もハーフパンツみたいな形になってる。
「水泳部の女子更衣室の前で」片手を腰にあて、すこしあごをひく。「何をしてたんだ?」
「ごめん。気づかなかった」
「入り口の看板にも? 〈男子はアッチ!〉ってでっかく書いてたでしょ~?」
「一匹オオカミに、なりたかったからさ」
わけわかんない、と女の子の眉尻がさがった。
「アンタを見つけたのがアタシでよかったぞ? 正ちゃん」
両肩をつかんで、くるっ、とおれの体をターンさせる。
久しぶりに「正ちゃん」と呼ばれた。
元カノの、彼女の口から。
「ほら歩いて」
背中を押される。
「えっ、こっちって」
「せっかくだからプールみてけ。今の時間、誰もいないから」
消毒のにおい。
高い天井の室内プールにつれてこられた。
きゅう、っと身がちぢむ思いがする。
運動のできないおれは当然およげないからだ。水に顔をつけるのも苦手。
「ストレッチ手伝って。ほら背中押してよ」
手のひらから水着ごしに体温がつたわる。
「もっと強く。もっと! ぐーっとやって」
このマイペースな感じ、いつものノゾミちゃんだ。
望むに海で、望海。
水泳部のエース。
「……うん、こんなもんでいっか」
高いところにある、横一直線のすりガラスは真っ赤。夕焼けの色だ。
そのせいか、彼女のショートカットまで、赤い色にみえた。
勇によく似た髪の長さ。
性格とかも、どことなく似てる。
「ところで正ちゃん、アタシまだ許してないよ」
うっ、とふいうちをくらった。
「幼なじみに似てたから好きになった、なんて――」ゆっくり歩いて、おれの背後に回る。「ふつう言う? しかもその幼なじみって同じ学校だっていうし」
おおくを語る必要はないだろう。
今のコトバに、おれがノゾミちゃんにあえなくフラれたすべてがある。
おれの背中に彼女の手があたった。
「アタシはその子のかわりじゃ……」
「ノ、ノゾミちゃん?」
「ありません、よっ、と!」
うそだろ⁉
お――押される!
プールサイドから、一気に、プールまで。
おれ制服だぞ?
ポケットの中には、スマホだってある……っていうか、今、冬じゃないか。
「ちょっ、待って!」
「あやまる?」
「いや」トットットッと足がどんどんプールに進みながらも、おれはおちついて言う。「あやまらない。それを言ったおれの気持ちに、ウソはないから」
ぴたっ、とストップした。
おれの両足のつま先は水面の上にあって、まさに危機イッパツ。
「は~あ、たまんないね」
制服をぎゅっとつかんで、ひっぱる。
おれの体が反転して、ちょうど彼女と至近距離で向かい合う体勢になった。
「…………身代わりでもよかったかな、って思っちゃうじゃん」
「えっ」
にっ、とノゾミちゃんの口角があがった。
「うらやましいよ。その幼なじみの子が。バド部の子だっけ? まー、たしかに似てるちゃ似てるよね」
「ごめ――」
手のひらを横向きにして、おれの口にあてられた。
「言うな。アタシ絶対、アンタ以上の男を見つけるからさ」
手がはなれる。
「ノゾミちゃん」
「外見がいくら似てたって、二人の思い出までは似てないでしょ?」
おれはバカだから、彼女が遠回しに言ったことを理解するのがおくれた。
返事もできずにいると、
「それに……アタシが幼なじみに似てれば似てるほど、かえってツラくならない?」
「そう、かも」
「な? だからアンタは、その子とつきあえ」
やさしく背中を押されて、室内プールをでた。
校舎につながる渡り廊下を一人であるく。
(つきあえ、か)
そんなカンタンにはな……。
ともかく、ノゾミちゃんのときみたいに勇に似てる子をさがすっていうのは、もうやめにしよう。
ところで、勇の彼氏って、おれに似てるか?
すこしも似てないな。
それって……あいつは、彼氏がおれに似てないほうがいいと思った――つまり、彼氏はおれじゃないほうがいいと思ったってことか? いやいや! そういうことじゃないだろ。
(ん?)
似てる声の女子じゃない、これ勇の声だ。
上のほうから。
「うん、大丈夫」
校舎の二階にみなれた背中。
すこしあいた窓から、あいつの声だけが聞こえてきた。
「正にはまだ、バレてないから」