彼氏の気分
そしてデートの日がきた。
あいつのアキレス腱の具合はというと……
「問題ない」
と、即答。
まあ、痛めた次の日も、ふつうに登校してたからな。
「駅で彼氏に待たれてるから、時間ずらしてね」と、おれが20分はやく登校したのが昨日の土曜日。
「だから、はやく教えてよ。『卒業』ってなんの話なの?」
幼なじみの勇は、ちょっとイタズラっぽい表情でおれにきく。
まだ午前中で、天気は晴れ。
駅のホームのベンチに座って、二人で電車をまっている。
「いいだろ、べつに。そっちこそ、タヌキ寝入りなんかするなよ」
「話そらしちゃって」
「電車きたぞ」
「あ。これじゃない。次の快速」
電車の風圧で、となりの勇のにおいが流れてくる。同じもの食って、同じシャンプーつかってるのに、なんでこんなにもおれとちがうんだ? ていうか、気がつかないだけで、おれも自分の体からこんなに〈いいにおい〉が出てたりするのか?
「……どうしたの。服のそでをクンクンして」
「おれと勇のにおいって、ちがうか?」
なぜか顔が、ちょっと赤くなった。
「ちょ、ちょっと待って。私の体からヘンなにおいがしてるってこと?」
「そんなにアセるなよ。してないよ」
ぐっ、とひじで強く押された。
「13人にフラれた理由がよーーーくわかりました。やっぱ正ってバカ……っていうか、コトバがよくない」
「なにが?」
「今のだと『キミはいい香りがするね』って甘い声で言っとけばいーの。自分とのちがいなんかどうだっていいから。正ほどカッコよけりゃね、それだけでキュンてするんだよ」
なんかダメ出しされてるが、うまく話はそらせた――はずもなく、
「そんなことより『卒業』。いいかげんに教えなさいよ」
人差し指をつきつけて、有無をいわせない顔つきだ。
顔といえば、あんまりふだんと変わらないように見える。
個人差はあるが、デートっていったらだいたい女の子はメイクをしてくるもんだ。おれの経験ではそうだった。
勇はガチガチに化粧しない派か? ナチュラル派?
質問してみたいところだが、地雷の可能性もあるしな。やめておこう……。
「ねぇ、答えてったら」
「あーもう!」おれは勇の肩をすこし押した。「わかったよ、言うよ。そのまんま。そのまんまの意味だよ」
「え?」
「思いきって男女の関係になろうってこと。つまり卒業っていうのは、おれからしたら〈童貞〉で……」
「は、はぁ?」
「あのまま保健室でエッ」
ちっ! と、曲がったおれの口から飛びでる。勇のヤツ、人差し指をほっぺに押しつけやがった。
「……スケベ」
「なんかムラムラしたんだよ」
そのあと、入院してるばあちゃんの話になって、お互いにしんみりした。
またお見舞い行こうね、と勇が言う。
ほんとは今日いきたかったんだけど、検査とかであまり都合がよくないらしくて、行けなかった。
「ばあちゃん、おれと勇のこと、どう思ってんのかな?」
「仲のいい友だちでしょ」
だよな、とつぶやいたあとに電車到着のアナウンス。
おれたちはベンチから立った。
(スケベ認定はされたが、そのかわり『卒業』の話はウヤムヤにできたな……)
ひそかにホッとする。
実際、幼なじみを婚約者からうばいとるストーリーだなんて、幼なじみで彼氏アリの勇には言えないよ。
車内はまあまあ混んでるけど、ひとつ座席を確保できた。
もちろん勇に座らせる。
(おれは立ってるし、雑音が多いから会話しようにも――)
スマホがふるえた。
「これで、おしゃべりでもする?」
ラインだ。
いいアイデア。
「今日は、どこに行くんだ?」
「今ごろ? もっとはやく質問しろ!」
「いや、今朝からおまえ、卒業卒業ってうるさかったから」
「スケベ」
「それはもういいだろ」
「プレゼントを買いに行くんだよ」
そこでおれの手がとまった。
いつになく冴えるおれの頭。先読みができた。
デートって、そういうことか……。
「おれとおまえの彼氏じゃ、サイズがちがうぞ?」
「服じゃないし」
「じゃ、何」
「てぶくろ」
なるほどな。
高校生で、彼氏へのプレゼントだったら、ぴったりだ。
おれはスマホをにぎったままで、次のメッセージが思い浮かばない。
すると、
「男目線で、アドバイスちょうだい?」
と送られてきて「ああ」と返した。
勇にはわるいが、すこしテンションが下がった。
そこを見抜かれないよう、
「おっ! これとか、すげーいいぜ?」
お店では、あえて元気がある演技をした。
こういうときのための演劇部だ。コツはハキハキした発声と、あざといぐらいのジェスチャー。
デパートの中のお店で、勇が品定めをしてる。
(すげーいいけど……)
おれの評価にウソはないが、なかなかの値段のモノだ。
「いや勇……これ高ぇだろ」
「いいの。正だって『いい』って言ったじゃん」
勇はそれをレジにもっていった。
その背中を見てるとフクザツな気持ちになる。
(クリスマスに勇はあのてぶくろをプレゼントして、か、体も――)
なんだこの感情は。
くやしいっていうのも、ハラがたつっていうのも、どっちもちがうけどそれに近くて。
いったん深呼吸するか。
そもそも、なんでクリスマスに彼氏ん家なんかいく?
去年みたいに、家族4人でしっとりすごそうぜ。
(きれーなラッピングだな)
ピカピカした銀色のふくろの口を、赤と緑のチェックのリボンで結んでいる。
そのあと駅地下で昼食にパスタを食べて、いっしょに映画をみにいった。
昼食のとき、
(いつもの白いダッフルの下、みたことない服きてるな……)
と気になっていて、
「そんなの持ってたか?」
上映前の明かりがついてるときに、おれはきいた。
「最近、買った」
「へー」
ちっちゃめのベストのような形。色は赤。
それを、インナーのうすいピンクのタートルネックの上に合わせている。
「ベスト?」
「ちがう。ビスチェ」ぴっ、とそれを指でつまみながら言う。「じつは下着だよ」
「下着?」
「スケベ」
ひざにのせたダッフルを引き寄せ、体をかくすような仕草。
はは……と愛想笑いする。
(勇なりに、おしゃれはしてくれたのか)
と思えば、やっぱり今日はデートだという気がしてきた。
その後の本編の約二時間、おれは横目でときどきとなりの勇の様子をうかがった。
「まあまあかな。正はどうだった?」
「うん」
「じゃなくて、感想は?」
途中で寝た、とこたえたら、勇はあきれた。
(おまえを気にしすぎててストーリーを見失ったんだよ)
映画館はエロいことする場所だ、っていう児玉の言葉を思い出したのもいけなかった。
ようするに気が散りすぎたんだ。
「じゃ……帰る?」
「そうだな」
駅までの道をあるく。
当然、手をつないだりはしない。男女二人がならんで歩くなら、手をつなぐのが当然なんだが。
けっこう人通りがはげしい。肩を寄せ合わないと、他人とぶつかりそうだ。
そんなおれの心を読んだかのように、
「腕、組もうか?」
「やめとこうぜ。恋人同士でもないんだから」
「まー、そういわず……にっ!」
がしっ、といきおいよく左腕をとられた。
腕に、ほわん、とした感触があたる。でもぶあついコートごしだから、うれしさは半減。
オルゴール風のクリスマスソングがきこえてきた。
駅に近づくほど、お店も人も増えてゆく。
すれちがった人を、肩ごしにふりかえった。勇も同じようにそっちを見る。
「めずらしいな。はじめて見たよ、グレーの学ランなんて」
「あー、あの制服は――」と、学校の名前を言う。「で、めっちゃスポーツ強豪校」
「なんで知ってんの?」
「よく練習試合で行ってるから。また強いんだよね~、ここのバドの子がさ」
なんてことない、やりとりだった。
一晩寝たら忘れるぐらいの。
が、よくよく考えれば、ムシのできない内容だった。
とくに〈練習試合〉ってところが。
「――――あ」
声をあげたのは勇。
おれもおどろいた。こういう出会いがしらを避けるために、学校から遠い場所をえらんだはずなのに。
おかしくないんだ、彼がここにいても。
野球部だって、他校との練習試合はする。
遠目に同じ学校の制服の集団を見かけたとき、ちゃんと遠回りすべきだった。
「……どういうことですか」
「あ、こ、これはね。えっと」
めずらしい。勇が動揺してる。
こいつの、こんなところは見たくない。
おれは胸をはって言った。
「親へのクリスマスプレゼントを買ってたんだ。いっしょに。おれたちは親同士が結婚する予定だから」
「それは……知ってますけど」
「誤解しないでくれ」
「そう言われても」彼が横顔を向けた。試合でケガしたのか、ほっぺに少しすりキズがある。
「おれがいっしょに行こうって誘ったんだ。まじで」
「腕、組んでませんでした?」
「それもムリヤリたのんだんだよ。彼女がいないから、せめて気分だけでもと思ってさ」
いくぞー、と彼氏が部の仲間から声をかけられた。
にらむ、ってほどじゃないけど、まっすぐな視線をおれに向けつづけてる。
「勇ちゃんは、おれの彼女ですから」
捨てゼリフみたいに言って、彼は行った。重そうなスポーツバッグをかかえてる。もしかして、学校にもどってからも、まだ部活とかするんだろうか。
勇は、下を向いている。
おれの背の高さだと、こいつのつむじがよく見える。
「あいつらと同じ電車になるのもなんだし、どっかで時間つぶすか?」
「正」顔が、あがった。ただの光の反射かもだが、目がうるんでいるようにも見える。「あの、ありがと……」
「いいよ」
「カッコよかったね」
それはおれのことなのか、それとも、彼氏のことなのか。
きちんと「どっちが?」って確認しとけばよかったな。
駅まで迎えに来てくれた勇のお母さんの車の中で、そんなことを考えたんだ。