13回目の夜
寒い外を歩いてる。
空には満月。
ぶるるっ、と勝手に体がふるえた。まじで寒い。さっきフロからあがったばかりだから、その影響もあると思う。
「正。湯冷めするって」
となりにいる勇は、あきれている。
黒髪のショートヘアがときどき強風にあおられて、ウニみたいになってる。
「こなくていいって言ったじゃん。今からでも家に帰りなよ」
「いやだ」
「なんで?」
びゅう、と風がふいて、前髪で勇の片目がかくれた。
「散歩だよ散歩。べつにいいだろ」
じーっと、おれを下からのぞきこんでくる。
自白したまえ、とばかりに。
(……人気のない夜道を、女のおまえ一人で行かせられるかよ)
しばらく前、おれがフロからでると、勇がおつかいを頼まれていた。
なんでも朝食の玉子がないらしい。
勇のお母さんは朝メシとともにおれの弁当もつくってくれてて、ほんのりダシがきいてちょっぴり塩っ気のある玉子焼きは好物のひとつだ。いかない選択肢はない。
おれがいってくるよ、と言ったんだが、勇はガンコだった。
「デブショウのアンタが散歩ねぇ……。私のことが心配とかじゃないの?」
「おれがデブ症? どこがだよ? めっちゃスマートだろ」
一瞬、勇がくすっと笑った。
矛先をそらすための冗談が、いいほうに作用したぜ。
「くだらない」
そこで会話はとぎれた。
目的のスーパーまで、家から歩いて15分はかかる。勇は自転車で行こうとしたんだが、風が強いからやめとけといって止めたんだ。ちなみにおれは自転車に乗れない。
車一台とおれるぐらいの道に、同じ間隔で街灯がつづいている。車道は紺色で、歩道はうすい赤色のアスファルト。
と、
「勇。それ何?」
「散歩」
勇がダウンジャケットのポケットから右手をだして、まるで握手してるような形で前に伸ばしている。
「あっ。ほらすごい、ポールの上にのったよ」
数メートル前を見ながら言う。
おれも視線の先を追う。でも何もない。
「エア散歩」
「エア?」
「あっ、そっち行っちゃダメだぞ、にゃん吉」
「しかも猫だったのかよ……。いや、猫って散歩しなくね?」
するよ~、と夜道に似合わない明るい声をだした。
「体にハーネスつけてね、そこからびーってリードのばして……」
「へー」
「いま交渉中なの。ね? 正もペットとかさ、いいと思わない?」
世話がたいへんそうだよな、というと、勇はぷいっとソッポを向いてしまった。
またやった。っていうか久々にでてしまった、おれの会話力のダメさが。
こういう小さな〈ぷいっ〉が重なって、おれはたくさんの女の子にフラれてきたんだ。
(えーと、今の場合は……まず〈共感〉しないといけないのか。勇は、べつにリアルな話がしたかったわけじゃないから――)
時すでにおそし。
あいつはエア散歩もやめて、すこし早足になった。
おれとの距離が5メートルくらい空く。あいつは気まぐれに、右に左にとジグザグ気味の歩行。運動部のエースらしい軽快なステップ。ほっといたら、人ん家の塀の上でも簡単に上がってしまいそうだ。それこそ猫みたいに。
(いや実際、あそこの家の塀に勇がのぼったことがあったな)
あれは小学生のとき。
勇といっしょに下校してて、なんか〈白いトコ〉しか歩いちゃいけないルールみたいな遊びをはじめて、そういう成り行きになった。
(スカートもおかまいなしで、あんなトコによくのぼったよ……)
家の人に見つからなくてよかった。
ほんと……なんていうんだっけ、活発な女の子って……ああ、オテンバだ。
勇はオテンバだよ。むかしも今も。
思い出にひたりながら背中をながめていると、いきなりこっちに向いた。
「…………私をエア散歩させてないでしょうね」
「なんでだよ」
「首輪とかつけてさ」
「そんな性癖ねーよ」
「性癖?」勇は首をかしげる。「あっ、そういうことか。野外プレイみたいなヤツだ?」
しっ、とおれはジェスチャーした。
顔見知りのご近所さんがおおい場所で「野外プレイ」というワードはまずい。
しかもこのあたりは、夕方になるとピアノやバイオリンの音がきこえてくる、けっこう上品なエリア。
「……ねぇ」
ささやき声。
上のほうからだ。
「あなた、ひょっとして正ちゃんじゃない?」
右手の家の、二階のバルコニーに誰かいる。
部屋の明かりが後ろからきているせいで、逆光になって顔はみえない。でも女の子だ。手すりに手をついて、おれを見下ろしている。
「久しぶりね」
「あ……。そうか、お家ってここでしたっけ」
「おぼえてる? 小学校を卒業して以来かな。正ちゃん、ずいぶん背が伸びたのねぇ」
風にのって、においが届いた。
彼女の手元から、かすかに煙があがっているのがわかる。
(タバコ……? あの塔崎さんが?)
信じられない。
彼女は小学校で勉強もスポーツもトップだった、すっごく真面目な子だぞ?
「向こうにいるのはラブちゃんかな? ふふっ、それペアルック?」
「いや、たまたまです」あいつと白いダウンがかぶったのは、ほんとに偶然だ。「ちょっとスーパーに」
「え? もしかして同棲してるの?」
はは……と、おれは愛想笑いした。
「親同士が結婚することになって、おれたち家族になるんですよ」
そうなんだ、と、かくすそぶりもなくタバコを口にもっていく。
おれは表情に出さないようにしていたが、
「おかしい? 『トーザキさん』が、こんなの吸うとか」
「んー……」
「ほら、もう行って。ラブちゃんを……追いかけてあげて?」
ふっ、と体がうしろに動いて、塔崎さんは見えなくなった。
同じ小学校だった女子。
おれは13人の女の子にフラれているが、告白は12回しかしていない。
その理由は――
「……」
「どうしたの? こんなところに呼び出して?」
「……」
「だまってちゃ、わからないよ?」
クラスの男子に「お似合いだ」ってハヤされて、なぜかあんなことになったんだ。
たのんでもいないのに〈告白のお膳立て〉をされた。
「……」
おれはそのとき勇気が出なかった。
正直に言うと、塔崎さんは初恋の子だった。
もしかしたらもっと小さいころ、幼なじみの勇にそれに近い感情をもってたのかもしれないけど、胸をはって初恋といえるのは彼女のほう。
いるんだな、と思ったよ。
イケまくってる外見に中身が釣り合った――パーフェクトな人間が。
「ごめんね」
彼女はもろもろを察して、こう言い残して立ち去った。
告白せずして、おれはフラれたんだ。
それが小5の冬。ちょうど今ごろの季節だ。
「おい」
スーパーに入ったところで、勇が言った。
「ガムでもふんじゃった? めっちゃテンション下がってるじゃん」
「ちょっとな……」言うか。言えばラクになるかな。「さっき塔崎さんに会ってさ」
「え? どこで?」
「彼女の家の横をとおったとき、バルコニーから声かけられた」
「こんなに寒いのに?」
「そりゃ、タバ――」これはかくしたほうがいい。「た、たまたまだよ。空気の入れ替えしてたって」
ふーん、と言ったきり、意外にも勇は話題を深掘りしない。
目的の玉子と、適当に何品かをえらんでカゴに入れて、レジで会計。
当たり前のように袋をおれに渡し、あいつは先に行く。
「あっ」
店を出るとき、自動ドアにうつる光の反射をみて、勇がおれのほうにふりむいた。
「私たちペアルックじゃない?」
「それ、塔崎さんに言われたよ。『ちがう』って言っといたけど」
「なんで?」
「え?」
「そこは『ペアルックですが何か?』でしょ?」声のボリュームを落として「『あいつ、おれの彼女ですけど何か?』…………でしょ」
「ウソはよくないだろ」
「ウソだっていいじゃん」
スカッとした笑顔を浮かべて、勇はくるりとターンして前を向く。
しばらく歩いて、われながらおそすぎる時間差で、おれは言った。
「ウソでもいいのか?」
ひろい駐車場を、横切るように歩いている。
車は、ほとんどとまっていない。
「じゃあ、今からウソつくぞ?」
「……はい?」
ウソは正しくない。だけど、あらかじめウソって宣言したんだから、これは正しい。
きっかり12回の告白は、おれを成長させてくれた。
小5のときとは、勇気がケタちがいだ。
「勇。おれ、おまえのことが好きだ」