強面領主は溺愛する
「お嬢様、足元にお気をつけくださいませ」
「大丈夫ですよ、リリ。そんなに心配しなくても」
手を差し出す……どころか、許可さえ頂ければ今すぐ抱えて歩きたいと視線で訴える過保護なリリをシュテルは笑顔で躱すと、ドレスの両端を抓まんで持ち上げる。
普段よりもボリュームのあるドレスを着ているが、裾を器用に捌きながら背筋を伸ばして歩く姿は幼くとも実に淑やかで、気品に溢れた美しいものだった。
お嬢様の歩くお姿は大輪の薔薇のようですわ……と嘆息しているリリ。
そんな彼女は前を歩く主人シュテルがなんとも言えない、苦い薬草を口いっぱいに詰め込まれたような顔をしているとは夢にも思っていないだろう。
(今生ではドレス捌きも様になっちまって……あぁ、こんな戦闘に一切使えもしねぇヒラヒラした無駄装飾なんぞ引き千切ってしまいてぇ)
侍女ズの趣味なのか、当主様のご意向なのか。シュテルに用意される服はどれもやたらと少女趣味な、フリフリふわふわなモノが多い。
前世では幼い頃から男物を着用してきたシュテルにとって、それだけで十分な精神攻撃だった。
しかし、言葉も覚束ない幼少期……そして育ててもらっているという遠慮もあり、何も言えず着ている(それでも抵抗はした。全部無視された)内に、いつの間にかそういったお姫様系統な服が定着してしまったのだ。
お陰様で今やどれほどレースが段々になろうが、ふあふあの布地が束になっていようが、シュテルは貴婦人の如く涼しい顔で歩くことが出来る。
おそらく、前世で培われた運動センスがここでも発揮されている部分もあるのだろうが。
その姿がまた大変優雅で美しいとシュテルの預かり知らぬところで人々を魅了し、もっと着飾らせたいという意欲を掻き立たせているのだが……。
殺気や敵意には敏感でも、そういった好意的な視線はイマイチ感知できないポンコツレーダーしか持たないシュテル。
彼女は今日も静々と、淑女然とした上品な所作で大広間へと続く大階段を降りようとして――――不意に落ちた影。
驚く間もなく、シュテルの身体は前から伸びてきた大きな左腕に捕らわれ、そのまま太い首筋へと導かれた。
顔を上げなくても、己を抱き上げる人物が誰かシュテルには容易に察せた。
腰を乗せても揺らぐことのない、衰え知らずの筋肉を纏う丸太のようながっしりとした腕。シュテルが両腕で掴まっても、まわりきらない太い首筋。そこから香る、朝靄に包まれた大森林の様な深みのある匂い。
「シュテル、我が最愛の孫娘。お前は今日もこの世の誰よりも愛らしいな」
歳を経て渋みの増した部下の、今世は祖父であるジェフリー・グラハムの穏やかな声がシュテルの耳朶を震わせた。
「……ありがとう、ございます。ジェフリーお祖父様も、今日もとってもすてき、デスネ」
ポスリ、と頭に乗せられた柔らかい……とはとても言えない、おろし金の如く固い大男の頬。大きな刀傷と白髪交じり髭のあるそれが遠慮なく擦りつけられても、シュテルは黙って耐えた。
勿論痛い。超絶痛い。物理的にも精神的にも。だが逃げるなど、元部下に負けた気がしてプライドが許さなかったのだ。
「おぉ、シュテル。この魔獣と怖れられる俺を素敵などと言ってくれるのは、ミレイユ以外ではお前だけだ。まったく姿ばかりかその心根まで優しく美しいとは……まさに天使だな。穢れた外の世界に解き放つのはあまりにも不安だ」
不安なのは、フラワーフェスティバル真っ最中としか思えないお前の頭の方だ。
……と言えないシュテルは、「大丈夫ですわ」とご令嬢らしく生温い微笑でもって、目尻を緩々と下げている(それがまた禍々しくて恐ろしい)元部下に応戦した。
(お前がここまで孫馬鹿になるとはな……幼子相手とはいえ、こんなにベタベタして俺に前世の記憶がなかったら確実に鬱陶しがられてたぜ!)
感謝して欲しいものである、とドヤ顔を披露するシュテル。しかし悲しいことにジェフリーには、おめかしをして得意満面な可愛い孫娘にしか見えなかったらしい。
ジェフリーはシュテルの髪を一房手に取ると、紳士の務めとばかりに褒めまくった。
曰く、「この丁寧に梳かれた黄金の髪は昇る太陽さえ霞むほども光り輝いている」やら、樹脂でコーティングされて艶めく靴を撫で「瞳と同じ色をしたこの小さな靴がお前の愛らしさを倍増させて目が眩みそうだ」やら、髪型から靴の先に至るまでそれはもう砂糖漬けにしたような甘ったるい言葉で。
一歩間違えば少女趣味の野獣が天使の様な美少女を口説ている図なのだが、生憎孫娘に全集中しているジェフリーは気付かない。シュテルもドン引きすることに忙しく、周囲に目がいかない。
そろそろ然るべき所からご当主様の奇行について取り調べを受けそうだ……と使用人一同がシンクロしたところで、救いの手が差し伸べられた。
「旦那様、いつまで大階段で戯れているおつもりですの。貴方だけの孫娘ではなくってよ」
「シュテル、母様にも着飾った可愛い姿を見せてちょうだい」
大階段を降りた先で白百合のように可憐な美女が二人、眼前にかざした扇の隙間から厳しい眼差しでジェフリーを睨み据える。
見目麗しいこの貴婦人方に頭の上がらないグラハム家男衆。その中でも、最も弱いジェフリーには一睨みで十分効果があったらしい。
「ジェフリーお祖父様、お祖母様方とっても怒ってますね」
「す、済まない。すぐ行く」
シュテルを抱えたまま慌ててジェフリーが大階段を降りると、大広間に集まっていた見知った面々に二人はあっという間に取り囲まれた。
「父様! いつまでシュテルを抱っこしているつもりです。父親である私の腕がまず優先されるべきでしょう」
「いえ、ここは兄である私の腕の方がシュテルも安心できるかと」
「リヒトの細腕なんぞにシュテルを任せられるか。そしてリヒトすら超えられないヴェレン、お前は論外だ……そういうことは俺より強くなってから言え」
俺が、私がと言い合う男どもは、揃いも揃って筋骨隆々。迫力ある強面は年齢こそ皆バラバラだが、ジェフリーと瓜二つ。
グラハム家の私兵を示す黒い詰襟姿は王国騎士団の軍服にもよく似ていて、過去から現代に至るまでのジェフリー総集編を見ている気分になったシュテルは一人げんなりとしていた。
「今日は折角の精霊祭なのにシュテルとまわれないんだ。別れを惜しんで何が悪い」
「それは私達も同じです父様。そもそも、こんな時にシュテルを外へ出すというのも……」
ため息交じりに言い募る、聞き捨てならない父の台詞。
シュテルはジェフリーの腕の中から、難しい表情をしている父へと手を伸ばした。
「お父様……何か領地で問題でもあったのですか?」
「いや、まあ大したことではないのだよ。隣のね、ガードナー領が今年は精霊祭を延期すると風の噂で聞いたものでね。何やら問題でもあったのではないのかと、ちょっと心配しているだけなんだ」
「……ガードナー領が、ですか」
他にも何やら隠していることはありそうだったが、父はシュテルへ詳細に話す気はないらしい。少しだけ肩を竦ませると、シュテルの頭をジェフリーよりも幾分か優しい力で数度撫でた。
「シュテルは我が一族の宝だからね。少しの憂いもない環境で外へ出したいんだよ……まあそれは無理と分かっているし、シュテルがこの祭りを楽しみにしていたことも知っているからね。父様も止めはしないさ」
「悪い奴等が入ってこない様、お兄様も目を光らせておくから。お前は心置きなく祭りを楽しんでおいで……ただし、絶対に護衛から離れないようにね」
「分かりました、お兄様」
シュテルもどちらかと言うと目を光らせる方にまわりたいのだが、超絶過保護な連中に囲まれたこの状況では主張した瞬間に自室へ即Uターンコースだろう。
(そもそも、このへにょへにょな腕じゃなあ……足手まといも良いところだしよぉ)
こういう事態に対応出来ないようでは、領主の娘としてあまりにも情けないのではなかろうか。
やはり誰に何を言われようと最低限、破落戸ぐらいは一刀のもと斬り捨てられる程度に鍛えておかねばならないだろう、とシュテルは一人決意を新たにしたのだった。
そして、もう一つ。
(ガードナーか……すっかり引きこもり一族になっちまって。情報くらい寄越せよな)
グランツハルト・フォン・ガードナーの死後、およそ30年。
王家の剣と称えられていたガードナー家は、何故か一族全員王宮の役職から退き、自領へ引きこもっているという。
領地の運営自体は順調の様で、商人の往来も多少はあるものの……一族は社交の場にも出てこず、完全に表舞台から身を引いている。
グラハム領とガードナー領は、隣同士ということもあり情報交換の場も兼ねた共同事業も幾つか行っていたはずだが、それも王位争い以降途絶えているという。
そのためガードナー領の情報は一切こちらには入ってこず、ガードナー領では有名になっていた賊が知らぬ間にグラハム領へ逃れてきて問題を起こした事例も何度かあったのだ。
ちなみにそれに対する抗議文をジェフリーはガードナー家に出したようだが、所詮は公爵家と子爵家。そして国内でも一、二を争う大規模領地を治める主と港はあるものの猫の額ほどの領地しか持たぬ主。天と地ほどの差を前に、全く相手にされなかったという。
(家は弟のラインハルトが継いでるようだが……そんな偏屈な奴じゃなかったんだがなあ)
むしろ男装し、対外的に『男』を名乗っていたグランツハルトに対して、いつまでも姉様、姉様とまとわりついてくる子犬の様な可愛らしい弟だった。
時の流れとともにジェフリーが孫馬鹿デロ甘ジィジになったように、ラインハルトにも何らかの変化があったのだろうか。
(とりあえず、俺は情報収集に徹するしかねぇな。ガードナー領から出てきてる商人をあたってみるか)
大変不本意であるが、この可愛らしい見目を前にすると大人達の口が軽くなることをシュテルは知っているのだ。そう、大変不本意ではあるが。