天使は絶望している
「大変お似合いですよ! シュテルお嬢様」
「本当、まさに地上に舞い降りた天使……旦那様方が溺愛されるのも致し方ないことかと」
「このお姿を会場で披露してだ、大丈夫でしょうか……先輩方、私、ふ、不安なのです!」
きゃいきゃいワイワイ好き勝手にお喋りする侍女達の目線は、姿見の前に座る一人の少女へと注がれている。
ミーハーで姦しいのが玉に瑕ではあるものの、グラハム家が誇る有能な侍女集団によって首筋にかかる一筋の髪に至るまで丹念に整えられたシュテルは、後光が差しそうなほどに輝いていた。
砂糖菓子のような白くふっくらとした頬にのせられた淡い桃色のチーク。この日のために特注した、深い青のドレスは幾重にも重なった薄いレースによって腰から下が花の様にふんわりと膨らみ、その胸元にサテンの布地で作られた大輪の白薔薇が一輪、上品に咲いている。
緩く一つに編まれた金糸の髪は右肩へ流され、その後れ毛がほっそりとした首筋を強調していて。
仕上げには祖父、ジェフリーから贈られた小指の先ほどのサイズだが、とろりと甘い光沢を放つ乳白色の粒……真珠のイヤリングが小さな小さな愛らしい耳を飾る。
「はぁ……お嬢様の御美しさ、今日も完璧ですわ」
恍惚とした表情で言う侍女ズ含め、準備にあたった人々は本日も己の手でシュテルの可憐さを最大限に引き出せたと大変ご満悦であった。
「……あの、少し派手なような」
唯一人、着せ替え人形に徹していた……シュテルを除いて。
「もう少し、レースの量を減らしても良いのでは……」
「そんな! そうするとドレスがお嬢様の魅力に負けてしまいますよッ」
「では、髪はもっと強く結んでみるとか……」
「お、おお嬢様の柔らかな御髪をぎゅうぎゅうに結ぶなどとんでもない! このふんわりした感じが良いのです、天使っぽさ爆上げなのです!」
「……イヤリング、外してみてはどうかしら」
「構いませんが、ご当主様がお嬢様が気に入る真珠を探すためにとまた海へ飛び込み、狩りを始めるやもしれません。その件で、海岸沿いの領主様方からはご丁寧な抗議文が未だ山のように来ておりますのに……」
よろしいので、と専属侍女のリリから含みのある笑顔を向けられ、大丈夫です、と答えられる人がいればシュテルは見てみたい。
少なくとも(自称)常識人のシュテルには無理だった。
「……素敵に仕上げてくれて、皆さんいつもありがとうございます」
やけくそ気味に先日鬼のマナー講師、ヘーデルヴァ―リ伯爵夫人から合格点を頂いたカーテシ―を披露すれば、また一段と侍女ズがはしゃぎだす。
曰く、お嬢様は貴婦人の中の貴婦人、大陸一の、三界一の姫君です、と。
(冗談じゃねぇぞ……! 見ろ、誰か気付いてくれ、俺のこの! 鳥肌を……ッ)
剥き出しのむっちりとした二の腕は、拒絶反応からびっしりと鳥肌がたっているのだが……侍女ズは「寒いのですか?」「まだ春先ですからね、ストールを持ってきましょう」と明後日の方向へ解釈し慌ただしく動く。
(違う、全然違う……濁り切った俺の目を見て、どうしてなにも感じないんだ)
姿見に映る姿は確かに天使と見紛うばかりに愛らしい幼女ではあるが……所詮は過去の自分と瓜二つのそれである。
今更なにかを感じることはなく、むしろ少女趣味全開の恰好に全身が痒くて仕方がないシュテルだった。
――――目が覚めたら、0歳児でした。
三文小説にありそうな一文から、シュテル・グラハムの人生はスタートした。
否、グランツハルト・フォン・ガードナーという生の続き、と言ってもよいのかもしれない。
(ありえないだろ、こんなハッキリと昔の記憶があるなんて……)
物心ついた時からガードナー家の跡取りとして、剣を握り領地を領民を守ってきたことも。やがて王国騎士団へ放り込まれ、国境警備を任されて……王位争いに巻き込まれ、死んだこと。
死の前後は曖昧になっているが、部下であったジェフリーと執務室で最後に話した作戦の内容も覚えている。渋る弟殿下……今は陛下となったサーファスと殿下を無理矢理砦から出したことだって、鮮明に。
(こういうのを東方では『輪廻転生』と言うのだったか……おいおい、生まれ変わるにしても早すぎんだろ。30年そこらしか経ってねぇぞ)
せめて、そう。せめて、前世のグランツハルトを知る面子が全員いなくなってからこの世に生を受けたかった。
理由は単純明快。今世の姿があまりにも前世に似ているからである。
白くなよっちい体も、無駄にキラキラして夜襲に向かない髪も、日差しに弱い青い目も。
天使だ傾国の美姫だと謳われていた前世の母そっくりの、グランツハルトにとってはコンプレックスであったそれら全てを何故か今世も受け継いでいる。
(ジェフリーと親父の遺伝子はどこ行きやがった! 兄貴だってあんな、将来楽しみな熊みてぇな野郎じゃねぇか……ッ)
そもそも一族の誰にも似ていないのに、グラハム家は夫人の不貞を全く疑っていない。それどころか、天使を任されたのだと一族をあげて変な信仰心に目覚めている様子さえある。
(結局また女だし……そこはもう仕方ねぇとして、問題はジェフリー! てめぇだよ)
グランツハルトの死後30年も経てば、記憶も曖昧になるだろう。
だが、親友として人生の半分を寄り添った仲ではなかったか。この頃にはあの男はお目付け役として行動を共にしていたはず。
幼い頃のグランツハルトを想起させる姿に……何か引っかかりを覚えても良いのではないだろうか。
しかし、元親友・ジェフリーにとってグランツハルト改め……シュテルは男ばかりが生まれるグラハム家待望の女の子。彼にとっては、小さなお姫様だった。
それはもう、目一杯可愛がってくる。
会えば顔中にキスの雨を降らせ、膝の上に乗せての食事は当たり前。女の子向けの甘ったるい品々を見かけると「今日は初めて欠伸をした記念日だから」とよく分からない理由をつけてプレゼントしてきて、先月には一緒に眠れるようにとシュテルのベッドまで買い替えさせたのだ。
孫馬鹿フィーバーもここまでくると、怖い。
お陰様で毎日、シュテルはドン引いている。
理性的とは言わないが……野獣、否、魔獣のような姿で周囲を威圧し怖れられていた親友は何処へ……? 状態だった。
内乱を経て丸くなったのか(いっそドロドロに溶けている)かと言うと、決してそうではなく。シュテル以外の人々と接するときは前世に記憶している、あの有能で頭の固い歩く顔面凶器、ジェフリー・グラハムのままなのである。
(言ってやりてぇ……お前の溺愛している孫娘の中身はグランツハルトなんだと!)
だがそれはこのお姫様全開な己の姿を親友に晒している事実を認めるという訳で……グランツハルトの矜持は国境の砦より遥かに高い。が、その辺の子どもが戯れにつくるお砂の山よりも脆いのである。
前世では夜会でもしたことがないような、童話に出てくるようなお姫様姿をもし、揶揄われでもしたら。
(無理だ! 羞恥で死ねる……ッ、もしくは奴の記憶を殴って飛ばす!!)
しかし、ジェフリーをぶっ飛ばすには、シュテルの身体はあまりにも無力だった。
孫馬鹿、娘馬鹿、妹馬鹿な三馬鹿な男衆はシュテルが怪我をしては大事だと、争いに関わるあらゆることから遠ざけようとする。
隠れて修行しようとも、すぐに見つけられ回収される始末。
女性陣はシュテルを着飾らせることにご熱心で、味方は皆無。
(辛うじて光魔法は使えるが、この体じゃ威力もたかが知れている……所詮は目くらまし程度)
強烈な光を発生させ、脳を混乱させることは出来るが、その効果は一時的だろう。
なによりシュテルは肉弾戦が好きなのだ。どうせぶっ飛ばすなら、今までの鬱憤を全てぶつけるような一発をかましたい。
(隠れて修行、続けるしかねぇかな……)
日々マナーだ勉学だと予定を詰め込まれてはいるが、前世の記憶があるシュテルには何ら問題はない。むしろ公爵家だった頃の方が、その辺りは厳しかった。
さっさと終わらせてしまえば、自由な時間は捻出できないこともない。
可能ならば領地の視察もしたいのだが、屋敷の周りにはジェフリーによって抜かりなく警備体制が敷かれている。アリの子一匹敷地内に通すものか、という気概(執念)を感じさせる出来栄えに、流石のシュテルも抜け出すことは難しかった。
(ちまちま領地の様子や領民に困っていることはないか聞いても、皆同じことしか言わねぇし)
幼子とはいえ、領主の子ども。領民が気軽に話しかけて良い存在ではないのだろう。
――――だからこそ、今日この機会をシュテルは逃したくなかった。
「シュテル様、大広間の方に皆様お揃いとのことです」
「リリ、お祖父様は……」
「勿論お待ちですよ。今年はご一緒に精霊祭をまわれないと大層気落ちされているご様子ですが」
シュテル様も残念でしたね、と悲しそうに眉を下げるリリに、シュテルも神妙な表情を作る。
その小さな胸の内では、全力でガッツポーズを決めていたのだが。
(やったぜ! ジェフリー以外ならいくらでも言い包める自信はあるッ)
ジェフリー達は問題ないと言うが、シュテルは内乱が頻発していた時代の領主。
どうしても自らの目で領地を確認しなければ、安心できない。何ものからも領民を守る。それは魂に刻まれた、シュテルの決意であり使命だった。
グラハム領で春と秋にひらかれる精霊祭りは、その領地を己の目でみる絶好の機会。
更に例年がっちり胸元へ抱き込んで離さないジェフリーも、今年は外せない用事があるとのことで初の別行動。
隙を見て、護衛とともに領地を巡ろう。
そのためにこの様な、恥の上塗りをしつつも着せ替え人形に甘んじているのだから。
「お祭り、リリ達も来られないのは残念だけれど……素敵なお土産を見つけてきますね」
「お嬢様が無事にお戻りになるのが一番のお土産にございます。どうかお気をつけて」
シュテルの考えが読めている訳ではないだろうが、時々突拍子もないことをするので……と心底心配そうに言うリリへ、シュテルはただニッコリと笑うだけにとどめた。