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運命の女神は残酷

「敵兵の数が約三万か……えげつねぇな。奴さん、全力で叩き潰す気満々じゃねぇか」


転がるように執務室へ駆け込んできた愛弟子、ルクスのもたらした報告を聞き終え、グランツハルトは陽光を受けて眩いほどに煌めく黄金色の短い髪を雑に掻き毟った。

加減を知らないその乱暴な動作を見咎めたのか、不意に左隣から伸ばされた筋肉に覆われた太ましい腕が、岩のようなゴツゴツとした大きな掌が、彼の華奢で生っ白い手首を鷲掴んだ。


「グラン! 自棄になるのも分かるが部下の前だ。あまり品の無い動作をするもんじゃないぞ。第一その破落戸のような喋り方はやめろと何時も言っているだろう」

「おいおい……我が親友殿はいつから我が母上様にジョブチェンジされたのですか?」


細けぇことをグチグチ言っている男はモテねぇぞと吐き捨てれば、先日の戦でまた一つ傷を増やし【かなり強面】から【顔面凶器】へと移行しつつある親友の眉間に渓谷の如き深い深い溝が刻まれた。


「残念だが、俺には最愛の妻がいるのでな。他にモテる必要はない」

「ジェフリー……本当、ミレイユ嬢はなんでこんな魔獣みてぇな男と結婚しちまったのかねぇ」


グランツハルトにとってこの山賊顔の筋肉達磨な大男は頼りになる乳兄弟であり、自慢の部下でもあるのだが、貴族子女どころか一般的な女性から好感を抱かれるタイプではない。残念ながら。

男の新興貴族であるグラハム子爵家の次男坊という点は魅力的かもしれないが、間違っても社交界の華と持て囃されていた美貌の侯爵令嬢ミレイユと……それも彼女からの猛烈アタックによって結ばれるとは……世の中分からないものである。


そんな親友がジレジレモダモダしながら漸く覚悟を決めて結婚したのはつい先日のこと。


(結婚早々、ミレイユ嬢を未亡人にする訳にもいかねぇからな……)


出来る上司は、部下の家庭事情にも配慮してやらねばなるまい。

淡い桃色に染まるふっくらとした唇を上げ、行儀悪く頬杖をついたグランツハルトがブルーサファイアを思わせる一等澄んだ碧眼を細め小さく笑ってジェフリーを見遣る。


背後の窓から溢れる朝日を一身に浴びる彼は、柔らかな金糸の髪と白い軍服姿も相まって宗教画の天使の如き犯し難い神聖さがあった。


ただし幼い頃から領地の民を守るため破落戸と対峙していたグランツハルトは口も悪いし、上位貴族らしい洗礼された所作も出来ないことはないが……社交の場以外での態度は雑を通り越して粗暴だ。更に武門の一族であるガードナー公爵家の後継として育てられてきた彼は王国随一の実力を誇る光属性の魔法を駆使して闘う聖剣士でもあり、その力を見込まれ1師団を任された北方国境警備騎士団の団長でもあるのだ。


見た目は慈愛に満ちた天使、中身は誰よりも苛烈で過激な人――――グランツハルト・フォン・ガードナー騎士団長、軍部どころか庶民にまで『裁きの天使』と呼ばれ慕われている彼は、遂に一つの決断を下した。


「ジェフリー・グラハム副団長、備蓄してある魔鏡全てを持ち出し第3第4騎兵隊を率いて塁壁に登れ。俺の合図があるまで魔鏡1枚につき3人1組で各々5m程度間隔を取り、砦を囲むような陣形を作っておけ」

「……第1・第2隊だけで敵を食い止められるとは思えませんが」

「いや、両隊とも砦を脱出するあのお方の警護につける。実力派揃いだからな、無事尊き御身を王都のそれも玉座まで導くだろうさ。お前らも任務遂行後はそっちに合流しろ」

「ッまてグラン! ならば敵と対峙するのは……おい、お前まさか」


言いながら、答えにたどり着いたのだろう。見慣れた強面が段々と蒼くなっていく様子に、流石のグランハルトも少しばかり申し訳ない気持ちになる。

彼は、ジェフリーは顔は怖いが心根は善良で優しい男なのだ。彼の性質を思えばこの作戦はあまりにも非情なものだろう。

だが、男の感情を慮る時間も余裕も最早ない。


「今までの小競り合いとは違う。国境に向かっている敵兵は約三万……俺の部隊をマジで壊滅させに来てやがる。だがここが落ちれば、我が国は敵の侵略を許す事になるだろう。うちは国境の守りは堅いが王位争い真っ最中のお陰で中の守りはグチャグチャだからな」


だからこそ、少しでも侵入を許せばそこで終わりだ。

国境警備部隊に守られ安寧を貪っていた国内の連中には、敵の進行を食い止めるだけの実力も気概もない。グランハルトは誰よりもそれを知っている。苦々しく思いながらも、腹に一物も二物を抱えた連中を躾けるのは面倒だと放置してきたツケが今ここにきて回ってきたのだ。


(東方の民が言うところの……『因果応報』ってやつだろうさ)


見て見ぬ振りをしてきたのは己だ。だったら責任を負うのもまた己でなくてはならないだろう。


「敵は()()を使って俺が砦の内部に閉じ込める。俺が光魔法を発動したら、お前の部隊は塁壁の上から魔鏡を起動し総攻撃をしかけろ」


――――砦諸共、敵を爆破しちまえ


迷い無く指示を出し、グランハルトは口角を上げた。

絶対的な自信に満ちた笑み。昂ぶる感情に呼応してか、その蒼い双眼の色味が深まる。

真昼の空、最も高い位置に坐す存在そのもののような強烈で圧倒的光を秘めた眼差しに射抜かれ、ジェフリーが咄嗟に不動の姿勢をとった。


「敵の度肝を抜くようなバカデケェ日輪を砦から空にぶち上げてやるぜ。王位争いなんざ知ったこっちゃねぇが、馬鹿殿下がなんの咎もねぇあのお方を……弟殿下を滅ぼすために敵国を引き入れるとは。二度とそんな気が起きねぇようお仕置きしてやらねぇと」

「俺は反対だ。備蓄してある全ての魔鏡を使用するなど、何百枚あると思っている? 膨大な数の魔鏡で集め増幅させた光魔法のエネルギーを一点に……砦へと照射すれば、凄まじい破壊光線となるだろう。砦など木っ端微塵だ。せめて、お前が砦を脱出してからでは駄目なのか」

「駄目だな。敵を砦まで誘き寄せた後は1人も取り零すことなく砦に留めておく必要があるからな……砦内部から結界魔法をかけて奴等を閉じ込める。喜べ、ジェフリー。俺が死んでも1年は続くような、トンデモなく強力なヤツだ」


今回敵を力技で排除しても、砦が壊れてしまえば我が国の防衛力はだだ下がりだ。次の敵部隊が来るまでには砦を立て直しておく必要があるが、グランハルトはそれも見越して策を講じていた。

白い軍服の下、軍人としていくら鍛えても必要最低限の筋肉しか付かなかった華奢な肢体には、己の体を媒介として広大で強力な結界を敷くための魔方陣が刻まれている。勿論、描いたのはグランツハルト本人だ。

これを人目を気にしながら夜な夜な1人で準備するのは、主に精神的に大層苦労したが……まあ間に合ったのだから良しとするべきか。


自信満々なグランツハルトに対し、向かい合ったジェフリーは凶悪顔を歪めて鋭く舌を打った。


「いつからだ……お前、いつからこんな愚策を考えていたッ!」

「3ヶ月前、弟殿下が此方に逃げて来られた時からだな。匿い続けるならば、いずれ潰しに来るとは思っていたさ」


――――長年いがみ合ってきた敵国と手を組むとまでは予想していなかったが。


国王陛下が不治の病を得た、と軍本部から内密に通達があったのは今から半年程前のこと。

不調が表に出てきた頃にはもう手遅れだったらしく、坂道を転がるように悪化していった容態に余命幾ばくもないと医師団が判断したのが更に3ヶ月前。

そこから国王陛下を案ずるどころか、妃も家臣も、とにかく誰も彼もが次の国王陛下の座を争うことに夢中になっている。


(陛下本人は未だご存命だというのによ……まあ自己顕示欲の塊みてぇな暴君だったから、人望のねぇ人だったが。ここまであからさまだと、流石に哀れにもなる)


そんな中、優秀すぎる異母弟……第二王子であるサーファスト殿下を兄のライオネスト殿下が恐れ、排斥しようとする気持ちは理解出来るが、敵国と通じるなどあまりにも短慮が過ぎた。このような有様だから、異母弟よりも身分の高い母から生まれ、更に長兄であるにも関わらず立太子できなかったのだ。

しかし目の前の親友はライオネスト殿下よりもグランツハルトの方が愚かだと、呆れや軽蔑を多分に含み歪んだ表情で吐き捨てた。


「戦力を温存したまま敵を撃破するのにこれ以上の策があるか。時間もねぇ中、我ながら完璧な仕上がりだと自画自賛しても良いくらいだぜ」

「いい加減にしろグランツハルト! お前の犠牲の上に成り立つモノに価値などあるか……ッ」

「だから脳筋だなんだって中央の連中に言われんだよ。大局を見誤るな、ジェフリー・グラハム。砦を守る、サーファスト殿下を担いであの馬鹿殿下と死にかけだろうが何だろうが家臣の勝手を許す陛下をまとめて弑し玉座をぶん奪る、この二つのミッションを両立させるのにこれ以上の方法はねぇ」


尚も言い募ろうとしたジェフリーをグランツハルトは視線で制した。

この砦において、上官の命令は絶対だ。王宮と距離がある故に命令系統が独立しており、団長の意思で全てが決まる。

例えそれがどんなに非道なものであろうと、部下という地位に甘んじていた以上ジェフリーに反抗は許されない。

ギリギリと歯をくいしばる男に、だから軍に入るなと言ったのに……とグランツハルトは密かに思った。

ジェフリーは実家の特性上、軍部に入るしか選択肢のなかったグランツハルトを案じて一緒に入軍したのだ。

努力を重ねすっかりガチムチゴリマッチョの筋肉ダルマになってしまったが……中身は小心者で繊細な少年のままだというのは知っていた。多くを救うために友を切り捨てる、その選択がどれほどこの男を傷つけることになるか。


「迷うな、ジェフリー。俺は『多数を生かす生かすために少数を切り捨てる』我がガードナー家の鉄の掟に従っているに過ぎない……そして、それは国を護る上では否定できない真理だ」


優しい男だと理解して、それでも命じられた任務に背くことはないと信頼している。その愚直なまでの真摯な部分を心底愛おしいと思っているのだ、グランツハルトは。


だから全てを話し、委ねる。己の残酷さはもう随分前に自覚していた。


「我が国を諸国のオモチャにはさせるな。俺の(意思)、お前に預けるぜジェフリー・グラハム副団長」

「……承知致しました。団長の魂、全身全霊をかけ守り抜いてみせましょう」


この命に代えても、必ずや。

震える声ながらも淀みなく言い切った副官を、親友を、グランツハルトは死の間際まで忘れることはないだろう。


(嫌味なくらい良い男だぜジェフリー……)


もし、来世も人としてこの世界に生まれ出でたなら。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


――――お前みたいな、頼もしいゴリマッチョになりてぇな。


光差す執務室で敬礼し、音も無く退出していく広い背中。

重厚な扉が閉まるその瞬間まで見送った後、グランツハルトが袖机の中から取り出したのは今にも大きく咲き開きそうな、綻び途中の一輪の花だった。


「……さて。俺たちは精々虹の女神サマに傅いて、ご慈悲を願うかね」


ガラス細工の様な透明の花弁を幾枚も重ねた可憐な花へ唇を寄せる。

感じたのは、グランツハルトを突き放すような冷ややかな温度。それと柔らかさの欠けらもない、硬い感触。


(……死んじまったら俺も同じだな)


もっとも、己の死体は生前の形を残すことはないだろうが。


暗く沈んでいく思考に囚われていたグランツハルトは気付かなかった。


顰めてもなお美しい彼の横顔を……執務室の片隅に控え、2人の遣り取りに決して口を挟むことのなかった愛弟子のルクスが物言いたげに見ていたことに。


そして。



――――ふにゃあ、ふゃぁあ


「お疲れですグラハム夫人! 御生まれになったのは珠のように美しい女の子ですよ……ッ」

「まぁ……! 金色の髪に蒼い目なんて、まるで天使のようね」

「よく頑張ったな、ルチル。見てご覧、この賢げな秀でた額を。きっと君によく似た優しく聡明な国一番の美姫になるよ。あぁでもこの色味にこの可愛さだ、父様が溺愛しそうだなぁ」

「旦那様ったら気の早いこと……ふふ、でもそうね。この子も天使のように可愛らしいもの、ご当主のジェフリー様はきっと夢中になるでしょうね」


グランツハルトは知らない。


世界の因果を統べる運命の女神はとても慈悲深く……そして己と同じ、とても残酷だということを。



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