今、必要なもの
「逃さない……マリステラがやる」
マリステラは離れた場所から、数体の漆黒を裂け目に送り込んでいく。
後に続き入り込もうとするヨスガだったが、目前で芋虫型のクラウ・ディープがずり落ちてきた。
ヨスガの進行を阻んだクラウ・ディープは、その醜い体躯をくねらせて暴れ回る。
「通らせてもらう!」
後退しつつ僅かな隙をついて懐に入り込み、真下から跳躍して芋虫の首を押し切った。
焼き切れる音と共に地面に落ちたクラウ・ディープの頭部。黒茶の液体に戻ったことで、周辺に飛散した残滓は芋虫の体液のようだ。
だが依然としてクラウ・ディープの動きは止まらない。頭部を失ったことで、胴体の暴走がより激しさを増した。
跳躍後に暴走に巻き込まれ、着地することを許されなかったヨスガは、躰全体に鈍重な衝撃を受けながら地面に叩き付けられる。
「ぐっ……ぁ!」
これではいつまでも進めない。
「はぁ……はぁ……ごほッ……」
これまでの戦いで蓄積した疲労感で、躰はひどく重く感じる。それでもヨスガは業剣を地面に突き刺し、ゆっくりと起き上がった。
その斜め上空、死角から降り注いで襲い来るクラウ・ディープ。ヨスガが危険を察知できたのは、回避が間に合わない距離まで迫られていた後だった。
完全に振り返る余裕もない。反射的に逸らした視界の隅で視えたのはクラウ・ディープ。
そしてもう一つの業光の形。
「詩天流――」
業光はすぐに女剣士の姿を形どった。
「九死一生ッ!」
宙で放たれた離業は、クラウ・ディープを容赦なく絶命させる。
軌道が逸れた泥人形が、ヨスガの真横に落下した。
「アマナ――」
ゆっくりと無事を喜ぶ余裕もなく、芋虫型のクラウ・ディープは関係なくヨスガ達に襲いかかる。
アマナはヨスガの手を引いて抱きしめると、そのまま反転して巨大な怪物の胴を真っ二つに斬り裂いた。
「スッキリした~」
「ありがとう。……無事でよかった」
「あー、なんか自由になれたっぽい! よく分かんないけど♪」
アマナは屈託のない笑顔で答えた。おそらく大量のクラウ・ディープを相手にするのに、アマナを操る漆黒がなくなったのだろう。
安心しつつアマナから離れて、ヨスガはクラウ・ディープに目を向けた。
裂かれた胴体の断面から、芋虫の分身であるクラウ・ディープが続々と這い出てくる。
「そだ。ちょい聞いときたいンだけど!」
場の空気に合わない呑気な声色で、アマナは話し出す。
「ヨスガっちが必死なのって、悪党を成敗するため? それとも仲間を助けるため?」
「どっちもだけど……他にも理由がある」
マルクティアに住む人達のため、レムを助け出すため。
そして――
「攫われた第1罪徒……イェフナ・レーヴンを、取り戻したいんだ」
「それって擬制の巫女っしょ? ちょー有名人だよね。降誕祭でしか見たことないけど」
「……イェフナは大事な家族だから、放っておけない。例え本人に拒絶されても見捨てられない。……じっと待ってなんか、いてたまるか」
――気持ち悪いから、もう来るな。
あの時の言葉が思い返される。
ヨスガがしようとしているのは、独りよがりな行動だ。
「ちょっ、マジウケる! 巫女サンの意志に関係なく追いかけるとか! ヨスガっち、さすがにキモがられない?」
「うん、それで嫌われてもいい。その時は、ボクが必要ないってことだ。だいぶ心が砕けそうだけど、イェフナの前から消えるよ」
「あははっ、ヤっば♪」
アマナは愉快そうに、ヨスガを肘で小突いた。
「でも……――そっか。いいじゃん! そっちの方が。あっし的にも気に入った! その気骨に惚れたよ、ヨスガっち!」
アマナは軽く全身を身震いさせると、刀をブンブンと振り回す。そして立ち塞がる多くの芋虫型のクラウ・ディープを見据えた。
「じゃあ、立ちどまってらンないね!」
「あぁ――」
人の心を失った怪物は倒す。そう決めた。
「この先に進むために、押し通る!」
ヨスガとアマナは同時に地面を蹴った。クラウ・ディープの群集へと斬り込み、芋虫の怪物を排除しながら前へ進んでいく。
「斬って斬って、また斬って――っと!」
アヴィクトールが姿を消した業光の入口が近づく。だがその道筋を遮る形で飛びかかってくる芋虫の群れ。ヨスガとアマナは、お互いに業剣と刀で押し切って、切り払っていった。
「あー、さすがにうざったい! ヨスガっち、こいつらはあっしがやる!」
「でも――」
「だいじょーぶ♪ 怪物として生まれ変わってンなら、死体じゃない。ルーラハを斬れるし!」
「……任せた」
「あいよー!」
力強く返事をしたアマナにクラウ・ディープの相手を任せ、ヨスガは業光の裂け目に向かって走り出す。
空中から落下するクラウ・ディープも薙ぎ払い、漆黒の律業術をも避けながら、アヴィクトールが消えた白光の裂け目に滑り込んだ。
直後、ヨスガの視界は強烈な純白の光によってホワイトアウトした。
それに加えて海に沈んでいくように身動きがとれず、上下左右の間隔もない。嫌な窮屈さを覚える中で、ふと誰かに手を引かれる感覚が伝わってきた。
すると全身の不自由さは無くなり、以前体験した感覚が躰中を包み込む。
聖域に至る門から、イェフナの元に移動した時と同じだ。
僅かに残っている同化の影響により、ヨスガは導かれる。業光の集合体ミトロスニアと、アヴィクトールの元へと。
兜越しに視えるのは、目を細めてしまうほどの眩い白の輝き。最悪な視界の中、ヨスガは不意に映り込んでくるクラウ・ディープに、すれ違いざまで鍍金を損傷させられていく。
『剥がれて……っ、直らないのか……』
ミトロスニアの律業術で創られた裂け目の中では、躰は修復されないらしい。タチガネの業剣も緋色の輝きを失っていた。
『……先が視えない……っ』
クラウ・ディープの攻撃を防ぐことも、避けることも難しい。レムに与えられた兜が、この状況では裏目に出てしまっている。空間そのものに白の業光が満ちているためか、業光を捉えて視覚化させる兜では相性が悪かった。
ヨスガを襲う泥人形たちだけでなく、ミトロスニアの意志に拒絶される複数の漆黒の律業術も、何処からともなくヨスガの躰を渾身の力で掴んでくる。
【 イッショニ ズット アソボウ ズット コレデ イッショ 】
この空間から弾き出されないよう必死なのだろう。何かにすがって留まろうと、漆黒の使徒と邂逅を繰り返すたびに、ヨスガにまとわりついてくる。
だが結局意志に抗えず、一つ、また一つと人型の律業術は空しく光の中へ消えていく。
『ここで、出来ることは……――』
ヨスガが考えを巡らせた時、突然目の前に迫る壁にぶつかった。
だがすぐに壁ではなく、それが足場となっていることに気づく。
ヨスガには辛うじて、漆黒が薄い膜状に広がり固まっているように見えた。
「ようやく追い付いてきましたね。少し、来るのが遅かったようですガ」
顔を上げると、白の光の中にぼやけた人影が立っている。話しかけられた声でアヴィクトールだと分かったヨスガは、よろめきながら立ち上がり、声の主に迫った。
「おっと」
狙いが定まっていない行動は、難なくアヴィクトールに避けられる。すれ違いざまか、足をかけられたヨスガは不格好に転倒してしまった。
『……――オマエには、償ってもらう』
「フフ、本当にしつこい方です。私程度の行いで責任を取らされるなど、ありえない。償いの必要もありません。そもそもヨスガ……今の貴方に、何が出来るのでしょウ」
ぼやけた人影としか視認できないアヴィクトールを、ヨスガは見上げる。
「グランドマルクティアによって与えられたであろう、兜の律業術。正確な原因までは分かりませんが、ここでは正常な機能を果たしていないようだ。……先の戦いで視力を失っていると報告がありましたが……今その視界に、私の姿が鮮明に映っているのかも怪しいところでス」
アヴィクトールは、ただただヨスガの様子を眺めながら語っていく。
「そればかりか……削られた鍍金の修復はされず、人間離れした怪力も薄れている。力を失いかけた状態で出来ることなど――」
『力とか、そんなのは関係ない……』
ヨスガは目元を覆う兜の一部を、一瞬躊躇った後に掴む。
『オマエはたくさんの人達を不幸にして、傷つけてる。……だから止める。これから先、一人も被害者を増やしたくないから』
そのために必要な力と、必要でない力。
『兜の一部……瓦礫に含まれた僅かな業欣を、元に戻す……っ』
それが何か、ヨスガには分かっていた。
『――リキャストル!』
手に添えた兜が弾ける。その際の衝撃が目元の鍍金を荒く抉り剥がした。




