深淵
「……最低だ」
ヨスガは吐き気を堪え、言い放つ。
「フフフ、言われてしまいました。……ですが、この方法が最も効率的なのです。熟した禍実を実らせるには、膨大なルーラハが必要になる。胎児には母胎を含めた分のルーラハも含まれていますからね。グラチョコを大量生産するのに丁度良い……最高の肥料でス」
「違う……っ」
皆、まだ生きている。
微かに声が聞こえてくる。苦しみや絶望の囁きが、工場内に渦巻いている。
「いいえ、何も違ってはいません。純粋無垢であるが故に、濃密なセフィライトが含まれていまス」
「……黙れ」
「これがクリフォライトだと、チョコウが酷い味になってしまうのです。以前子供を使ってもみましたが、最悪でした。恐怖やストレスを与えられると、セフィライトは悪性に変質してしまウ」
「もう喋るな……」
「様々な検証を重ねていき、辿りついた最高の品質と味。我々アヴィス・メイカー、努力の成果が今の――」
……誰かを殺してやりたいと、そんな風に思ったのは初めてだった。
だから気づいた時には、躰が勝手に動いていた。
右手に握りしめる業剣を力の限り振るえば、アヴィクトールを殺すことが出来る。
簡単なことだ。このまま勢いに任せて、突き刺せばいい、切り払えばいい、叩き潰せばいい。
それだけの、簡単な作業だ。
なのに――イェフナの悲しむ顔を思い浮かべてしまった。
叩き潰す勢いで頭上から振り下ろした業剣は、アヴィクトールの頭蓋を粉砕する寸前で止まる。
「おや、殺さないのですカ?」
ヨスガの耳に、獣のような荒い呼吸が聞こえてくる。
それが自分の口から漏れていることに気が付き、意識の切り替えて冷静になろうと務めた。
頭蓋から狙いを外し、アヴィクトールの胸倉を掴む。
「オマエは、最悪なやつだ……。でも最低なのは……ボクだった」
アヴィクトールは何の罪の意識も、恐怖も感じていない。平然とした表情でいる。
「自分の目的のために……少しでも、オマエに協力した。本当に、大馬鹿だ」
そんな人でなしを、これ以上頼るわけにはいかない。
「なるほど。……どうやら、つかの間の協力関係は破綻してしまったようですネ」
眉をひそめたアヴィクトールが、「しかし……」と続ける。
「いいのですか? 私との約束を果たさないと、大事な所有物とミトロスニアの所在は掴めませんが」
「レムは自分の力で助ける。ミトロスニアも絶対に止める。オマエの力は借りない」
「味方はいなくなった……。マリステラに殺させて」
漆黒の律業術に囚われたアマナが、アヴィクトールに切っ先を向ける。
「いや、コイツには責任を取らせる。アヴィス・メイカーがこれまで裏でしてきたこと、クラウ・ディープを生み出したのは自分達だって、公の場で真実を語らせるべきだ」
殺してしまったら償えない。それでは、アヴィクトールの被害に遭った人達が浮かばれないだろう。
「そんなの知らない……。マリステラは骸人形。家族を奪った復讐をするだけよ……」
小さな人型の漆黒が数体現れ、ヨスガを取り囲む。
「キミも、被害者なんだよね……」
アヴィクトールに対する執着から、それは察することが出来た。
「分かってほしいとは言わない。でもコイツにとっての罰は殺すことじゃなくて、責任を果たさせることだ。ミトロスニアを唆したコイツは――」
「疑問だったのですガ……」
ヨスガに襟元を掴まれたアヴィクトールが口を開く。
「貴方は、イェフナ・レーヴンを救うとは言わない……。ミトロスニアを止めることに固執していル」
「…………」
「本当は、薄々気づいているのでしょうか。ミトロスニアの柱になっているのは、誰なのか……」
「オマエは、なにを言ってるんだ」
アヴィス・メイカーの代表は、僅かに口角を上げた。
「いえ……貴方達は、私を追い込んでいると勘違いしていますが――」
白い業光の裂け目が、工場全体を光輝やかせるほど多数に展開される。
「違います……私には、まだ彼女がいル」
裂け目から現れたのは、全て顔のない、口元だけ避けたクラウ・ディープだ。
「無理解な夜星の業――漆胎の坩堝」
マリステラの元へ漆色の液体が集まっていき、うじゃうじゃと漆黒が湧きだす。
「ネクロ・マリステラ」
裂け目から降下するクラウ・ディープを迎え撃つかたちで、マリステラは漆黒の律業術をぶつける。
激突する白と黒の光。
「フフフ、美しいですネ」
アヴィクトールはその光景を眺め、魅入っていた。
「――っ、アヴィクトール!」
ヨスガとアヴィクトールの間を割って入るよう、空中から落下してくるクラウ・ディープと漆黒の塊。
それを咄嗟に後ろへ下がって回避し、再びアヴィクトールと距離を詰めるために駆ける。
「フぅ……人がせっかく楽しんでいるというのに――」
大きな白光の裂け目が、アヴィクトールの背後から現れる。
「空気の読めない人でス……」
芋虫の姿を模した、泥の怪物が頭部を覗かせる。司教が変貌した時と同じクラウ・ディープだ。
一つ違っているのは、声が聞こえないこと。誰かにむかって、何か言葉を訴えてくることがない。
「これは、クラウ・ディープのダイアランク。破壊力、固有の能力ともに凶悪で強力な個体でス」
クラウ・ディープは、アメザイトチョコウによって人間が変わり果てた姿。
しかし少しでも意識があれば、生きていれば元に戻せる。
「何か言ってくれ! 何でもいいから! まだ間に合う、ボクが戻して――」
「それ、無駄ですヨ?」
ヨスガの言葉が届くことなく、黒茶の吐瀉物が芋虫の口から吐き出される。
「――っ」
以前と同じく、液体は無数の幼虫へと形を変えて正面から迫ってくる。
目の前に立ち塞がっているのは、一度相手をしたことのあるクラウ・ディープ。
司教を助けるために戦った時と同じく、ヨスガは緋色に輝く業剣をかまえて真っ向から迎え撃つ。
「こんなの……――っ!」
大雑把に業剣を一振りし、幼虫による躰への損傷を最小限に抑える。足にまとわりつく幼虫を振り払い、再度飛びかかってくるソレを業剣で消滅させた。
「――『誘いの芋虫』は体内に含まれるアメザイトチョコウを、自らの分身として生産できる。彼女は第3罪徒に対抗するために、このクラウ・ディープを寄越したのでしょう。漆黒の物量に、それを超える圧倒的な物量をぶつける。……フフ、彼女らしい、頭の悪い考え方ですネ」
アヴィクトールの発言に反応したかのように、白い裂け目が発言者の足元に広がった。
「……始血共鳴・マイリンク。どうやら彼女がお怒りのようでス」
胸元に手を添え、アヴィクトールが丁寧に頭を下げる。
「ヨスガ、貴方にも来てもらいたいようです。私は、先に行かせていただきますガ……」
そう言って、高所から飛び降りるように身体を後ろに倒すアヴィクトール。白の業光に呑み込まれて消えた後、その場に裂け目だけが残り続けた。




