聖域
「寒い冗談、ってわけじゃないのかな」
「事実です。ヨスガさんを見殺しにした相手でも、この状況で協力を拒むのは賢明ではありませんから」
レムが何の話をしているのか、ヨスガには分からない。
「世界に存在しない? それに、見殺しってどういう――」
「人聞きが悪いなぁ。それじゃあ俺が、ヨスガちゃんが死ぬのを待ってたみたいでしょ」
「ヨスガさんの前に現れたのは、タチガネの業剣を手に入れるため、ですよね。それが自ら介入するよう姿を見せた理由です」
「タチガネの業剣?」
聞き覚えのない言葉だ。
「ヨスガさんの右手に宿る剣です。ワタシが知る限り、タチガネの業剣にルーラハを無力化する炎などない。メアト・フリジエルがその力を知る機会があるのなら、襲われていた最中でしかありえません」
淡々とした口調だが、レムの言葉に若干の棘があった。
つまりメアトは、ヨスガとスヴァイドの争いをずっと傍観していたということだ。
「まぁ、別に否定はしない。ただこうしてる間にも、ミトロスニアの業は広がっていくよ? 一人が十人、十人が百人に、そう長くない内にマルクティアに同化は蔓延する。いずれはフォルフヨーゼ全域も浸食されるかもね」
「その通りですね。今は一分一秒だって惜しい。ですから、ワタシもこれ以上追及するつもりはありません」
「うん、よかったよ。これで話を進められる。ヨスガちゃんも……別に気にしてないみたいだし」
話しを振られて、一呼吸の後に頷く。
「はい、そんなことよりも今は――」
そう、考えなければいけないのは司教の行方だ。
「グランドマルクティアが探知できない……つまりミトロスニアは、本当にこの世界にはいない。なら、擬制の柱はどこに出現して……――そうか」
だからギルベールが……と、メアトは小さく呟いた。そのまま目を閉じて静かに考え込む。
そうして、ヨスガはやっと異変に気付いた。
「……静かだ」
地下の作業場に押し入ろうと木霊していた破壊音は、いつのまにか消えていた。
その代わりとして微かに聞こえてくるのは、ぐちゅぐちゅと何か柔らかい物を貫き、かき混ぜているような音だった。
作業場の入口に視線を送ると、その隙間から血液が湧き出るように室内へと流れこんでくる。
その真下には、レムとメアトがいる。
「レム、メアトさん!」
呼びかけと同時に躰が動いていた。レムは咄嗟の掛け声でも反応して避けてみせたが、思考中だったメアトは一歩遅れてしまう。
そんなメアトを突き飛ばし、代わりにヨスガが全身に血液を浴びる。
「――ヨスガさん」
「大丈夫……なんともない」
躰中にまとわりつく、嫌な気配と懐かしい感覚。
それは硝煙によって蒸発する血液と共にゆっくりと消えていく。
「ミトロスニアとなった人間の血液……ルーラハが含まれた血を送り込んで、この場にいる全員を同化させようとしています。業欣の鍍金が、その浸食を防いだのでしょう」
「でも、こんな量をどうやって……」
「教団騎士の他に、戦力としては劣るマルクティアの市民が大勢いました」
「じゃあこの血は――」
血液の出どころを理解したヨスガは、拳を強く握りしめる。
突き飛ばされて座り込んだまま、メアトは言う。
「さっきの話って、聞こえてたよね? ヨスガちゃんが殺されそうになった時、俺は何もしないでずっと見てたんだよ。そんな奴、後先考えずに助けちゃっていいのかな?」
「助けます。メアトさんがどんな人でも」
「寒いなぁ……。そういう勢いだけで、他人を助けない方がいいよ」
「でも、ボクがそうしたいだけですから」
手を差し伸べたヨスガ。
自力で起き上がったメアトは真剣な眼差しをヨスガに向ける。それも一瞬、すぐに飄々とした雰囲気に戻った。
「まぁ、おかげで助かった。ありがとうね、ヨスガちゃん。ミトロスニア本体の居場所に心当たりがついたのに、同化して言えないところだった」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ。この世界にいないなら、別の世界にはいるかもってさ」
「…………」
ヨスガとレムはメアトの話に耳を傾ける。
「ずっと大昔から、フォルフヨーゼは異界と繋がってる。王様から、律業者とその関係者だけに知らされる機密事項……。秘匿された異界の名は聖域――そう呼ばれてる。マルクティアには、その聖域に至る道があるって聞いたことがあるよ。もし奴がそこにいるなら、存在を感じ取れないのも納得できる」
「どうすれば、その聖域って場所に行けますか」
「正確に言うと、聖域自体には辿りつけていないはずだ。異界に足を踏み入れるには、道の管理者による承認と、王様の赦しがいる。厳重な封印が施されて、それ以外の手段で侵入するのは不可能らしい」
「けどそれじゃあ、司教も聖域にはいない――」
「そうだね。だけど、その異界に通じる道になら入り込めるかもしれない。そう仮定したら辻褄は合う。道も、この世界とは異なる領域なんだ」
確かに納得はできる。聖域に繋がる道も異界なのだとしたら、レムがミトロスニアと同化した司教の業光を探知できない理由にも説明がついた。
司教は聖域に続く道にいる。
「道に辿り着けば――暴走したミトロスニアを止められる……」
「――いや」
ここまで情報を与え、結論へ導いてきたメアト。
「それは少し違うよ」
そのメアト自身が、否定の一言を発した。
「残念だけど、その道がどこにあるのか知っているのも、王家と一部の律業者だけだ。それ以外には知らされてないからね」
現状でこの事態を治める最適な案を、メアトは続けて語る。
「だから、大本を叩くしかない」
ミトロスニアの大本。唯一の家族の顔が、脳裏によぎった。
「巫女の聖煉な血晶を宿す、本当のミトロスニアを殺そう」
そう言って微笑んだメアトに、ヨスガは強い危機感を覚える。
「えぇっと……確か、イェフナちゃんって名前だ。今はガーデンの一件で治療中だよ。場所は俺が知ってる。案内するから、やっぱりここは全員で切り抜けようか」
会話を区切り、背を向けたメアト。背中ごしにヨスガは話しかける。
「その人は……巻き込めません」
ヨスガの拒否で空気が張り詰めた。
「ヨスガちゃん。俺らにできるのは、もうそれしかないよ。ここにいたら、俺やレムちゃんはミトロスニアに汚染される。戦力が減れば、状況を打開するのがそれだけ難しくなるって分かるよね?」
だがメアトは、あくまでも優しくなだめるように諭す。
「全ての人間を救うなんて、誰にもできないんだよ。いくら頑張ったところで、失わないと救えない命は存在する……必ずね。だから今は割り切って、一人を犠牲にするしかないんだ。そうすればこの街を……フォルフヨーゼを救えるんだよ」
ヨスガに突き付けられたのは、フォルネリウスと対峙した以来の過酷な選択だった。
「――けど、その人は……」
誰か一人と国を天秤にかけた場合、メアトの発言は正しい。
人間を守る剣は、苦渋の決断を下すべきなのだ。
「その人はもう十分、マルクティアの犠牲になってる……だから――ッ」
しかしヨスガには、イェフナを犠牲にする選択をどうしても選ぶことが出来なかった。
「あぁ……なら、こうするしかないね」
メアトは笑みを浮かべたまま、砡眼の冷砂を天井に撃ち放つ。
「なにをして――ッ!」
「なにって、至極当然な行動だよ」
夥しい血液と共に、無残に切り刻まれた市民の亡骸が落ちてくる。
「メアト・フリジエル……冷たく、凍てついたルーラハを抱く者に相応しい行為ですね」
「はは、助けない方がよかったでしょ?」
メアトは忽然と姿を消した。
「メアト!」
身体を掴もうと伸ばした腕は、空を切る。
瞬く間に作業場を埋め尽くしていくミトロスニアの人形達。ヨスガは成すすべもなく、血液の溜まる床に押し付けられた。
「――ぐっ」
ミトロスニアとなった大勢の人間に見下ろされる。
同化の浸食が深いためか、巫女の業光を強く感じて手を出せないレムは、その場で立ちつくしていた。
「レム……すぐに、逃げろ――グランドマルクティアは、きっと教団に利用される……っ」
「……確かに、その判断は正しいですね」
レムが擬制同化の力に堕ちてしまえば、最悪な展開に陥ってしまう。
もし、レムがグランドマルクティアだと判明すれば、偽りの律業者となった司教は必ず利用するだろう。
再び暴走の真似事をさせる可能性だってある。
それは何としても避けなければならない。
「この場を離れなければ、ワタシは隷属を強いられる……。なのに、ヨスガさんを置いて行きたくない。自分でも理解できないほど、そう思っているのです。だから……」
レムは無自覚にも、ヨスガのことを見捨てたくないと思ってくれている。だから動けずにいるのだろう。
「――心配しないで――」
抑えつけられたままのヨスガの耳に、優しい声が届いた。
「やっぱり、そうだったんだ……」
でも、どうして。全く説明がつかない。
この場に来られる理由も、フォルフヨーゼを巻き込んで暴走する理由も、見当がつかなかった。
ただ一つだけ安堵したことは、自分の大事な人は、無事に生きているということだけだ。
「――ずっと会いたかったの――」
「……律業の、巫女!」




