8話 転生のお約束
これは外せないので。
『目覚めなさい、次郎丸よ。目覚めるのです』
「うっ、なんだ……ここは……」
ジローが目覚めたのは色とりどりの花が咲き誇る花畑であった。赤い花弁を広げる花の隣にオレンジの大きな花を咲かすもの、小さな白い花の塊が大きな花に見えるもの、大小様々な色彩が入り交じっていた。
「そうか、俺は死んだのか。赤ちゃんに掴まれて……いや、その程度で死んでたまるか!」
体を起こしたジローが巻き起こした風に色とりどりの花びらが舞い踊る。
「……あっ、体がある! これは……マッパやん! 花畑でマッパってすごい変態やん!」
ジローの股間は花で絶妙に隠されていた。
『オッホン! 次郎丸よ、聞こえますか?』
天の声が花畑に響き渡る。
「ちょっと! せめてパンツ……えーといちじくの葉っぱとか……ねぇな! 花で隠すにも……」
ジローはそれどころではなかった。
『次郎丸ー! 聞こえてるー?』
「どうしよう。お花の冠とかで隠せるかな。なんかすごい変態に見えたりしないかな」
『ジロー! この変態!』
「うっせぇボケが! 人の裸見てなに騒いどんじゃワレ!」
『ぴーっ!』
「オラァ! 出てこいや!」
ジローがまるでプロレスラーのように花畑に立ち、見えない何かに挑発をしていた。もちろんパオーヌは揺れている。
『ひー! ご免なさいご免なさい調子に乗りましたご免なさいー』
天の声の謝罪に腕を振り回していたジローの動きが止まる。
「あ? 出てきて謝れやボケが!」
より一層アグレッシブに動きだしたジロー。パオーヌは限界を突破しつつあった。
『ぴーっ! …………怒らない?』
「はっはっは。……怒られる事をしたのかなー?」
腰に手を当ててパオパオしているジローが急に優しげなお兄さんに変わる。前世の姿なのでヒョロイ肉付きをしているがその白い肌を原色の花達が引き立てる。
『……多分平気』
「そっかー。なら出てきてごらん? おにーさんがお花の冠を作ってあげよう」
『はわわ! ぶるんぶるんって! ダメです無理です恥ずかしいですー!』
「いや、こっちの方が恥ずかしいからね」
花畑に座り込むジロー。お尻を気にしているが諦めたようで花を潰してあぐらをかき、辺りを見回していた。
「で、ここどこなの? それに……どこか懐かしい気配?」
『ひぃ! 違うのです! 私達は……そう! 初対面なのでふ!』
「へぇー。そうなんだー」
『そうでふ! だから気にしなくていいのでふ!』
「……嘘つきは悪い子だな」
ジローがぼそりと呟いた言葉は天の声の主に届いていた。
『ぴーっ! ご免なさいご免なさいご免なさい』
「謝るより説明せんかい!」
マッパのジローはとても男らしく覇気に満ちていた。生前はもっと優しい男の子だったのに。
『ひっぐ、ひっぐ、ごべんなざいー』
天の声が泣いていた。
「で、ここどこよ」
『ふぐっ、へっぐ、ジローのひうっ、精神世界』
「……俺の心は一面お花畑だったのか……見渡す限りの花畑かよ」
『ジローは、ひっぐ、心は綺麗だから、えっぐ』
「……心は綺麗ね、どう反応したものか悩むなー」
『あのね、ひっぐ、わたしね、すん、ジローに会いたくて、ずずっ』
「会いたい? なんで……ってまさか転生させた女神……なわけないよね?」
『あい、その通りです、ずずっ』
ジローは固まった。自覚なしとはいえ女神をふるち……生まれたままの姿で、泣かせたことに今さらながら危機感を覚えていた。
『具合はどうか見に来たのです。すん、でもジローは相変わらずなのです』
「あ、相変わらずとは?」
実体であったなら全身から汗が出ているだろうジローが恐る恐る天の声に向かって問いかける。
『容赦なくてそれでいて優しいの』
「マッパなのに?」
『それは関係無いのです! でも少しは隠して欲しいのです!』
「隠すとむしろ恥ずかしいって。ってか見てるのか?」
『ーーっ! みみみ! 見てませんとも!』
「嘘の下手な女神様だな。まぁいいさ、好きなだけ見るがいい! これが俺の全力全開だ!」
ジローがえむ……いや、ブリッジ……ジロースペシャルの格好をとる。その異形は花畑に強烈な存在感を産み出していた。
『あひゃわ! ぷぱっ!』
「はっはっはー! 肉体があるって素晴らしいー! …………はっ! 俺何してんの?!」
我に返ったジローはジロースペシャルの格好を止めて花畑に倒れ込む。それによって生じた風が花びらを舞い上がらせ幻想的な光景が生まれていく。色とりどりの様々な形の花びらが空へと飛んでいく。
「えっ? なんで? なんであんなに弾けたの? あんなの俺じゃない! 違うんだー!」
ジローは悶絶し頭を抱えて転げ回っていた。花びらがそれに合わせて舞い上がる。花畑の一角は彩色溢れる世界となった。
「ぬわー!」
『ジロー? 大丈夫ですか?』
「にぎゃー! 違うんだ! あれは俺じゃないんだー!」
ジローの心は千々に乱れていた。そこへ天の声は優しく語りかける。
『はぅ、あのジローも……その……素敵ですよ?』
「違うの~。あれは違うの~。あれ僕じゃないの~」
遂に子供返りしたジローに天の声が止めを刺す。
『あれがいつものジローでしたからなんだか新鮮ですね。えへへ』
「ぐはっへっ! もういっそ殺せー! 殺してくれー!」
『落ち着きましたか?』
「……なんとか」
ひとしきり暴れるジローを静観することにした女神は優しかった。ジローは花畑に体育座りである。
『そうですか。元気そうで安心しました。うまく転生をしたみたいで良かった』
女神の声には深い安堵が含まれていた。
「……ん? まさか転生に失敗とかあるの?」
『そそそんなことはないですよ? ……滅多に』
慌てて否定するも最後の言葉は小さい声であった。
「気になるなその言い方は」
『大丈夫なのですよ! あっ! そろそろ起きる時間ですよー』
「あっちょっと待てー」
ジローの呼び掛けもむなしく華々しかった景色が色を失っていく。モノクロの世界へと瞬時に変わり空が闇に覆われていく。
「なっ! なんじゃ……」
ジローの意識があったのはそこまでだった。
「ジローには悪い事しちまったな。自分達がどれだけ頑丈か忘れてたぜ」
「チーちゃんが怪力持ちなんて私も気付かなかった。お兄ちゃん……怒ってるかな」
「なんとか治ったが赤ちゃんにとっては重傷だからな」
「……離して育てるしかない」
「だよなぁ。チーちゃんがコントロール出来るまでは」
両親達の会話がまだ夢うつつのジローの耳に入ってくる。
「しっかし……なかなか離さなかったな」
「あたしの娘だからね、根性あるに決まってんだろ」
「はっ! 既にお嫁さん気取りなの!? チーちゃんやっぱりお兄ちゃんを!」
「「いやいや」」
母親はいつも通りである。
「ジローは普通の赤ちゃんです」
エルエルは相変わらず無表情のままベビーベットに寝ているジローを見ていた。黒い瞳にぐったりしている赤ちゃんを映して。
「アレン、あなたの子供は普通の赤ちゃんです。とても弱くて儚い生き物です」
エルエルの言葉に顔色が変わる両親達。ショコラもアレンもクリスにモンギまでみんながジローを特別な赤ちゃんであると思っていたからである。
なまじ魂を知っているのでジローならば、との思いが当たり前のように四人の中にあったのである。それは赤ちゃんであるが普通の赤ちゃんではないとの思い込みであった。
「ジローは特別な力も頑丈な体もありません。ただの赤ちゃんなんです」
ベビーベットに近付きぐったり寝ているジローのほっぺをツンツンし始めたエルエル。
「ショコラ、あなたの赤ちゃんはあなたの兄であっても赤ちゃんなんです。本当に儚い命を持った」
「うっ、でもでも!」
「なので私が引き取って二人で暮らそうかと」
エルエルの爆弾発言である。
「「なぁ!?」」
「初乳も終わった事ですしあとは粉ミルクでも平気です」
「な、な、な! なに言ってるのよ! お兄ちゃんと二人暮らしなんて私だってしたことないのに!」
「そこかよ!」
旦那の突っ込みが妻に向かっていくが妻はそれどころではなかった。
「えるえる、あんた天使のくせにお兄ちゃんを誘拐するつもりなの?」
「保護です」
言い切るエルエルに隙はなかった。
「物は言い様だな、おい」
「……母性に目覚めたか」
「エルエルは真面目だからなぁ。赤ちゃんの頃から奪いあいか、羨ましいなぁモテモテじゃないか我が息子は、ハハハ」
父親で夫のアレンは畳に体育座りでいじけていた。
「おいおいアレン、現実に戻ってこいや。ダーリン一丁かましてやって」
「……安静にさせておこう」
ぶっとい首を振って憐れみの目で戦友を見つめるモンギ。アレンの背中に父親の宿命を感じたのであった。
「だーうー」
(うるさいなぁ。なに騒いでるの?)
狸寝入りしていたジローがそろそろヤバイと思い動き出しが、わりと手遅れであった。
「お兄ちゃん! 大丈夫? 痛くない?」
ベビーベットに駆け寄りガバッとジローに覆い掛かるショコラとその対面にスタンバイして立っているエルエルである。今までの争いなんて赤ちゃんの前ではポイであった。
「ほきゃあ!」
(うわっ! いきなり!? 近いって、それにえーと……うん、腕は痛くないよ。だから落ち着いてくれ。目に力が入りすぎてて怖いから)
ちっちゃくてムチムチなお手々をにぎにぎして確認するジローを比喩でなく眼を光らせて凝視していたショコラ。英雄だから出来るのか母親だから出来るのか謎の技である。
「ショコラ。ジローは怖くない私を求めています。抱っこが必要です」
(白さん!? 随分とその……積極的ですね)
「ぐはっ! そんな……お兄ちゃんがえるえるに取られるなんて」
やたら野太い呻き声をあげたショコラを押し退けてエルエルがジローを抱っこしていく。
(はわ~。極楽や~)
ジロー、陥落である。
「嘘よ、そんな……そんなぁ」
おとめ座りでマジへこみする母親、というかジローにとっては妹の割合が多いので、白さんのむにむにをむにむにしながらの適当なフォローがショコラさんに念話で届く。
「まうー」
(お腹減ったらマミーの出番だから安心して)
ショコラさん、ショックである。おっぱい戦争の敗者であった。
「ジロー、これからは私が粉ミルクで育てるのでずっと抱っこしてあげますから」
「退かないねぇエルエルの奴」
「ハハハ良いよな、あのおっぱい」
アレンは壊れて正直になっていた。だが正直が善い結果をもたらすことなど無い。やさぐれショコラの紫の瞳がキュピーンと光っていることに彼はまだ気付いていない。
「だ!」
(あのね白さん。お話があります)
収拾が着かなくなってきたのでなんとかしようと遂に動き出すジローである。
「なんですかジロー? お乳が出るまでは粉ミルクで我慢してもらいますが出るようになったら好きなだけ飲ませてあげますからね」
「だ!?」
(マジっすか!? いやいやそうではなくて! あのね白さん。僕は白さんの事が好きだよ)
「……ほ?」
「だう!」
(だからね、みんなで一緒に暮らしていたいの。だって赤ちゃんの世話って大変でしょ? 白さん一人に負担をかけたくないよ。だから……ってあっちいな! なんか熱気がすごいよ!?)
熱気の正体はエルエルの急激な体温の上昇であった。
「うわっ、頭から煙ってほんとに出す奴なんて初めて見たぜ」
「……ジローの救助」
「グルルル。コクハク? ソレウマイノカ?」
ショコラは野獣と化していた。
「アハハ、息子が告白を赤ちゃんでするのかー」
アレンはもうダメかもしれない。
「あきゃあ!」
(あっついから! 白さんヤバいくらい熱くなってるから!)
とってもカオスな昼下がり。こうしてエルエル反逆事件は沈静化に向かい平和な日々が戻って来ることになった。だがこの事件は多くの者の心に爆弾を生み出した。だがそれが爆発するのは遠い未来である。
ショコラとアレンとエルエルが正気に戻るまでクリス夫妻が育児を頑張ったが育児は大変なのでジローはクリスの赤ちゃん、チーちゃんの隣に寝かせられることになる。不思議なものでチーちゃんはジローを掴む事は止めなかったが手加減を覚えた。
ジローのギャン泣きをくりくりな碧眼のおめめで見ていたからなのかそれともジローのムチムチアームを楽しむ為なのか。謎であるがともかく隣同士に寝かせられることになった。
折れる程の力ではないが赤ちゃんにしては剛力なその握力に常時片腕はチーちゃんに取られたジローである。痣になってもクリスが治すのでまぁいいかと諦めたジローであった。なにせ野獣と化した母親が正直になっていた父親に襲い掛かり外へ飛び出してしばらく帰って来なかったから我が儘なんて言えなかった。
ちなみにエルエルは部屋の暖房と思う事にした一同であった。
ジローは結構したたかな男の子です。だってショコラさんのお兄さんなんだよ?