5話 やっと始まる自己紹介
ジャブ?
紫の母親に抱かれて居間へと移動した赤ちゃん。頬が紅くなっているのは母親の頬擦りの結果である。丸いちゃぶ台を囲んで座る一同。座布団もある純和風の居間である。
「だっきゃあー」
(なんかさ日本家屋な気がするんだけど)
まだはっきりと目が見えてない赤ちゃんが見えないながらも襖や歩くと軋む廊下を経て居間へと辿り着くとそう言った。
「そうだよね~。そっくりなんだよねこの辺の建物って」
畳らしきものに座る母親と巫女さんそれと大きい人。座ってもなおその大きさは健在であった。尻が座布団からはみ出しているが特に気にしている様子は無い。
「なんつーかよ。本当に旦那をパシリに使ってんだな」
お茶の用意とエルエルの開放を自主的にこなす男性を尻目に席についた巫女が旦那である大きい人から赤ちゃんを強奪していく。
放っておくといつまでも抱っこしているので手慣れた手つきで赤ちゃんを取り上げるが大きい人は目に見えてがっかりしていた。
「ほれ、あたしの娘だよ。ダーリンとの愛の証し……ってなに言わすんだよ!」
巫女母さんは腕に抱いた自分の赤ちゃんを体を斜めにして見せているが顔は真っ赤であった。未だに初々しくてラブラブな夫婦である。
「だぅ」
(なんて理不尽な。まだよく見えないけど……白いよねこの子)
「お母さんが白人系だからね。なんかこう、これぞ外人って見た目かな。金髪碧眼だよ? お母さんに似たから肌が白くて赤ちゃんって感じがしないけど」
(ちなみにお父さんに似てたらどうなったの? なんかすごくでっかいよね。座ってるの?)
座っていても山のような存在感を出している大きい人。見えなくても威圧感を感じるほどの巨体によって、それなりの広さの部屋が狭くなっていた。赤ちゃん達にはあまり被害は無かったが。
「お父さんに似てたら……ねぇ」
「……ああ、産めないくらいに、でかくなってたかもな。でも二人目なら多分いけるぜ、ダーリン。次は男の子でも……ってなに言わすんだよ!」
またもや真っ赤になった巫女母さん。でっかい人も顔が赤くなっていて頭に手を当てていた。
「だーう?」
(……リア充?)
「うん。多分これが真のリア充だよお兄ちゃん。見てるこっちが恥ずかしいよ」
変なとこで価値観が一致する兄妹である。
「子作りするときはその子預かるから自分の家でやってね」
「なっ、当たり前だろ! 恥ずかしいだろうが!」
生々しいより微笑ましい夫婦であった。
「あうー?」
(この子、自分と同じくらいだよね。ちっちゃいなー。外人の赤ちゃんて天使みたいだよね。どうなの?)
赤い顔の母親に抱かれて眠っている赤ちゃんに手を伸ばすが、それを見た紫の女性が触れさせまいと強く抱き締める。
「うぎゃあ!」
(ぐっふぅ。絞めすぎ! 涼子さん? いえ、お母さん? 母ちゃん? マミー? なんでそんなに締め付けるの?)
母親の胸に押し付けられるように抱き締められた赤ちゃんからの抗議のテレパシーが飛んでいく。
「この年から既に狙っているなんて……お兄ちゃんダメだよ、せめて思春期になってから交換日記スタートなら……ううん、遠くで見るだけなら許してもいいけど」
母親の愛は重かった。
(どんだけ恋愛脳してんの? この子、赤ちゃんだよ? それに……兄妹みたいなもんだと思うし)
「ダメ~! 私が妹なの! お兄ちゃんの唯一無二の妹なの! こんなぽっと出の幼馴染みキャラに私のアイデンティティーを取られてたまるか~!」
幼馴染みで美人間違いなしの妹。もはや我慢なんぞ紫の女性には出来よう筈もなかった。
「羨ましい~! 妬ましい~! 私だってお兄ちゃんと幼馴染みで一緒に学校とか行きたかったのに~!」
(いや、行ってたよね? 前世っていうの? 子供の頃は一緒に学校とか)
「違うの! 兄妹としてじゃなくて同級生として行きたいの!」
「変わらねぇなブラコンなのは。息子になったんだからいいじゃねぇか。あと人の娘をぽっと出とか言うな、このやろう」
「……複雑だな」
紫の親子の様子を冷静に見ていた巫女と巨漢の夫婦は呆れていた。まだ赤ちゃんの娘に対抗心を丸出しにしている戦友の姿に出てくるのはため息ばかりであった。
紫の女性が幼馴染みについて熱く語っていると白っぽい襖が開き、男性とお盆にお茶を乗せた女性が居間に入ってきた。
紫の女性が途端に殺気立つ。
先導していた赤い髪の父親が苦笑いをしながら白く長い髪を垂らして歩くエルエルの前に立ち、妻を説得していく。
「落ち着けって。エルエルも反省しているし息子にも異常はない。な?」
「……えるえる。次は無いよ」
ガンを飛ばす母親にドン引きしている赤ちゃんを余所にエルエルが頷き決意を込めた黒い瞳で紫の髪を逆立てている女性を見返す。赤ちゃんからは見えない位置にある結んだ紫の髪の束が殺気と共に浮き上がっていた。
「分かってる。次はもっと上手くやる」
「……あれ? またやるのエルエル? 俺も予想外な言葉なんだけど?」
冷や汗が止まらない父親があわあわしだす。このままでは自分ごと殴り飛ばされてしまう。その確信があった。
「……分かった。でも一番おっぱいは私なんだからね!」
「二番でも構わない。あの感覚は至高」
感情の読めない顔がほのかに赤みを帯びる。この瞬間に赤ちゃんの受難が決定した。
「……あれ? 俺助かった? 生きてる? え、なにこの展開」
「なに言ってんだよ、さっさと座って話を始めないとこの子が起きちまうだろ」
巫女が体を前後に揺らしてまだ寝ている赤ちゃんをあやしていた。顔は赤ちゃんに向いており昔の仲間に対してぞんざいな扱いである。しかしそれもいつもの事であった。
「はぁ。まぁ助かったからどうでもいいか」
思わぬ展開に命を拾った父親がちゃぶ台の側にきて座り込む。生きてれば問題なしである。
ちゃぶ台にのせられていくお茶。エルエルが各人の前に置いていくが巨漢は少し離れたところに居たので畳の上に皿とお茶が置かれた。
そしてえるえるを含めたみんなが座るとようやく自己紹介が始まった。口火を切ったのは紫の女性である。
「ん~と、まずは私とお兄ちゃんからだよね。私は此処とは違う場所、異世界で椚涼子、くぬぎりょうこって名前で生きてたの。でお兄ちゃんが椚次郎丸、くぬぎじろうまるって名前で私のお兄ちゃん」
「あきゃー」
(せめて丸は取って欲しかったよ。なんで現代なのに丸を付けるかな。太郎も居ないんだけどね)
次郎丸だけど長男である。親の趣味でつけられたちょこっとキラキラネームである。
「それで前世を全うしてこの世界に転生したんだけど……お兄ちゃんは覚えてる?」
胸に抱いている赤ちゃんに首をかしげて聞く。赤ちゃんからすると取り合えずお腹が空いたけど話の腰を折るわけにもいかず手持ちぶさたに手をにぎにぎしていた。
(覚えてるって言われても……最後の記憶は……死ぬ直前。涼子の泣き顔だよ)
「……そっか。女神の言ってたのはこういうことなんだ」
顔を上げて呟く母親。何かを思い出すように目は何処かを見つめていた。
「正しい転生、だったか。俺達の記憶も無いんだな」
「あうー?」
(記憶?)
「あのねお兄ちゃん。お兄ちゃんは私を庇って命を落とした後、私にとりついてずっと守ってくれてたの」
「……だう?」
「まぁいわゆる悪霊みたいなもんだな。守護霊とも言うけど成仏するのが正しいからやっぱ悪霊だな」
赤ちゃんの疑問に答えたのは巫女だった。
(悪霊……え、マジで?)
「そうだよ? でも私は老衰で死ぬまで幸せだったよ。お兄ちゃんが守ってくれたから家族にも不幸は無かったから」
(は? 老衰?)
「うん。八十九歳まで生きて孫も居たよ?」
「……だばー」
(妹が……老婆に……)
愕然とする赤ちゃん。目を大きく開き、むちむちな手がプルプルしていた。
「今は若いもん! ピチピチだもん!」
「ときどき古くなるんだよな」
ぼそりとこぼす父親の男性。事情は知ってて結婚しているので文句は無いが玉に年代差を感じていた。
(はぁ……つまり俺が妹にとりついていたから妹が正しい輪廻に入れなくて記憶が残ったってこと?)
巫女の赤ちゃんが目を覚まし、泣き出したので一時オムツタイムとなり今は赤ちゃん同士仲良く自分の母親に吸い付いていた。おっぱいタイムではあるが軽い経緯だけ説明して細かい話は授乳後という事でまとまった。何より赤ちゃん優先である。
「すごいよお兄ちゃん。おっぱい飲みながらそんなに冷静なんて」
(うっさいわ! これは……その、生理現象なんだ)
猛烈な勢いでおっぱいを飲んでいく赤ちゃん。空腹を我慢する。そんな意地っ張りな兄に優しく微笑む母親。そして、それを羨ましそうに食い入る様に見ているエルエル。
「おかわりありますよ?」
「懲りてねぇなエルエル」
「……」
授乳をガン見するエルエルと違い男同士で後ろを向いて並んで座っている男性陣からため息が漏れる。でかい人と父親が並んでいるのを後ろから見るとまるで子供と大人であった。
「今度は間違いません。万全です。それにすぐ出なくなりますから」
「えるえる喧嘩売ってる? 私のおっぱいはもう一個有るんだからね!」
「はいはい、そこまでにしな。赤ちゃんのうちは母乳優先。ジローがエーテルを欲しがったらやればいいさ」
自分の娘に授乳させながら騒ぐ二人にピシャリと言い放つ巫女。彼女の胸はエルエルには及ばないまでも紫の女性を遥かに越える大きさであり、女の子の赤ちゃんは一心不乱に吸い付いていた。
(えーと、ひょっとしてすごく苦労させちゃった?)
次郎丸は必死に吸い付きながらも思念は別物のように冷めていた。今の自分の事を考えると記憶が有ることの弊害は大きすぎる。自分せいで妹に苦難を与えていた事は次郎丸の心に少なからぬ動揺を生み出していた。
「ふぇ? あのね~すごく幸せだよ? こんなに必死に私を求めてくれるなんて……えへへ~」
紫の女性はちょっとお見せできない顔をしていたが赤ちゃんには幸運にもまだ見ることが出来なかった。もし見えていてもため息が出るだけであったろうが。
(へい! 涼子! 戻ってこい! 母乳を求めるのは赤ちゃんの本能だ! まぁ愛しさは感じてるけどさ……多分前世よりも)
「うへへ、ぐへへへ! やっぱりお兄ちゃんを産んで良かった。お兄ちゃんは私のお兄ちゃんでありながら私の赤ちゃんなんだから!」
(いや、よくわかんないよ? 涼子? 大丈夫?)
心配する赤ちゃんを余所に顔が緩みっぱなしの母親であった。
「諦めた方が無難だ。ショコラがそうなると止まらないから」
赤い髪の父親が背中を向けたまま肩を落としていた。幼馴染みとして長い付き合いの彼は妻をよく理解していた。
(……しょこら? まさか……涼子、お前の名前なのか……)
次郎丸は衝撃を受けた。まるで知り合いが内緒で漫才を目指していて偶然舞台を目にしたときのような、そんな衝撃だった。
(カズ……お前を笑って悪かったよ。でも「爆笑芸人」って芸名はどうかと思うよ。今でもな)
「ジロー?」
白い人改めエルエルが心配そうに見えない無表情な顔でジローを見ている。当のジローは固まっていたが口は動いていた。赤ちゃんの食欲は、すさまじいの一言である。
「お兄ちゃん? この家は和風だけど少数派だからね? ほんとはもっと長い名前だけどショコラで通してるの。みんな洋風だからね」
「ジローって名前はものすごく珍しいな。響きが独特だ。おっと、俺の名前を言って無かったな。……父親のアレンだ。名字もあるけど面倒だからアレンだけで通してる。息子に自己紹介ってなんか変だよな? 俺のこの思いはおかしくないよな?」
父親はものすごく悩んでいた。
このあとフックとアッパーが畳み掛けない様に来ます。