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episode.2

どうしよう、とマリーベルは焦った。

 いきなり目の前のガルーダが泣き出したからである。マリーベルは、ただ暇つぶしを精一杯楽しんでいただけだ。突然現れたガルーダに驚いたものの、どうにも害がなさそうな様子に安心し気にせず暇つぶしに戻ったら、どういうことかガルーダも歌いだした。その姿があまりに一生懸命で、なんとも微笑ましかったのでつい笑ってしまったのだが。

 ぐるぐると考えていたマリーベルは、ようやくガルーダの歌を嗤ってしまったと気が付いた。マリーベルにその気は全くなかったのだが、ガルーダは自分が笑われたと思ったに違いない。あんなに一生懸命に歌っていたのだ。笑われたら悲しくなるに決まっている。

 慌てて立ち上がったマリーベルは、ガルーダのそばに駆け寄った。びくりと体を震わせたガルーダをそっと抱きしめると、その背中を優しくなでた。初めは困惑していたガルーダも、今は様子をうかがうようにじっとしている。その表情に一種の期待が浮かんでいることに終ぞ気づかぬまま、マリーベルはガルーダに向けて微笑んだ。

 念のために言うと、マリーベルはただ慰めているだけである。言葉をかけることもできたが、マリーベルはしなかった。なんだか薄っぺらくなってしまいそうな気がしたのだ。

 マリーベルには昔弟がいた。やんちゃなくせに泣き虫の弟がマリーベルは世界で一番大好きだった。泣いている弟にも、よくこうして慰めた、と懐かしく感じた。


 そんな感慨に耽っていられたのは一瞬のことだった。ばさばさという羽音に首を傾げたマリーベルは視界を巡らせて絶句した。地はとうに視界の遠くにあり、マリーベルが暮らしていた屋敷がどんどん遠ざかっている。状況を整理する暇もなく、とにかく目の前にあるガルーダの体を力いっぱい抱きしめた。今、この体を離したら死ぬ。脳裏に浮かんだその考えに、真っ青になって震えていた。


 もちろん、そうとは知らぬガルーダは大好きな人が自分を抱きしめて微笑んでくれたことに大喜びし、きっとこの人も自分を受け入れてくれたのだと解釈した。自分の歌が笑われたことなど、空のかなたに投げ捨てた。今ウグイスの頭を占めるのは、自身の(住処)を気に入ってくれるだろうか、という一点だけだ。もしも気に入ってくれなくとも、彼女好みに作り直せばいい。とうとう自分にも番ができたのだと、その心は打ち震えていた。


 その後、どうやら持ち帰られたとようやく理解するが、想像していたようなことはされなかった。前の夫には感じることができなかった親愛の情を示してくれるガルーダにあっという間に絆され、実に満ち足りた毎日を送っている。そもそもガルーダの巣は人間には登れない特別高い場所に作られていることが多く、逃げられもしないし助けも来ない。

 ガルーダの生態も詳しい事情も知らないマリーベルは、ウグイスの歌が下手だろうと、羽の色が鮮やかでなかろうと気にしない。逞しい体つきはマリーベルの好みではない。たまに喉からチャッと音のするこのガルーダに、マリーベルはいつしか親愛以上の情を持った。


 それをどう伝えるか、まず悩んだ。相手との簡単な意思疎通ができることはもうわかっている。こちらの言葉も理解できるようだ。けれど、気持ちを伝えるというのはどうにも気恥ずかしい。新しい住処でごろごろと転がりながら悩んでいると、いつの間にか狩りから帰って来たウグイスがちょこちょこと近づいてきた。その姿のなんと可愛らしいことだろう。ウグイスの表情はわかりずらいがたまに目を細めたり、プクリと頬を膨らましたりと感情表現は豊かで、その一つ一つの変化がマリーベルは可愛くて仕方がない。

 あまりの可愛らしさに何を考えていたのか忘れそうになるも、はっと我に返ってはまた唸る。その様子にウグイスはちょいと首を傾げた。そして、何を思ったのかマリーベルのそばに近寄ると、瞼にそっと(くちばし)を寄せた。ひゃっと驚いて変な声が出たのも気にせずに、今度は額に、次は頬に唇にと降ってくる。

 慰めようとしてくれているのだ、とマリーベルは胸にぐっと迫るものを感じた。持ち帰られてから毎日必ず、こうしてウグイスは愛情を示してくれる。言葉がなくとも、仕草と態度で。それが何よりマリーベルの心を温かくしてくれる。


 マリーベルは、言ってしまえば愛のない家庭で育った。しかし、それは仕方のないこと。貴族であるが故に、厳しく育てなければいけないとわかっていた。貴族として、家のために嫁ぎ家のために消費されるのは仕方のないこと。嫁ぎ先が自分を全く愛することがないとわかっても、家と家の結びつきのために理解したふりをした。病弱な弟を、当主になるのだからと突き放し、熱で弱っていたあの子を鞭打つように剣の訓練で摩耗させるのも、仕方のないことだと諦めた。いつの日か、看病していた時。うっかりうたた寝してしまい、気づいた時にはもう冷たくなっていたあの子のことも、仕方がなかったのだと言い聞かせて。

 けれど。けれど、心はずっと叫んでいた。いつまで、『仕方ない』で済ませなければならないのだろうと。いつまで仕方ないと笑っていなければならないのかと。本当は辟易していたのだ。いつも子どもを道具のように扱う親のことも、愛人の娼婦に鼻を伸ばしていた夫にも。ずっとうんざりしていた。どこかに逃げてしまいたかった。誰かに連れ去ってほしかった。だから正直、ウグイスに連れ出されていると気づいた時、泣きそうになるほどほっとしたのだ。


「…!ウグイス、好き!大好き!」

 言葉少なに、いつだって自分のことを思ってくれるウグイス。少し不自然な動作で、しかし一生懸命に自分の名前を教えてくれたあなた。そんな大切なウグイスに、気持ちを伝えるのが怖かった。マリーベルからの愛はいらない、なんて言う性格じゃないのは百も承知だ。それでも怖かった。この関係が壊れるのが、お母さまから打たれるより、お父様から罵倒されるより怖かった。

 そんな身勝手な恐怖でさえ、ウグイスは溶かしてくれる。ウグイスなら受け止めてくれる。そんな自信がついた。


 ウグイスは、思い切り抱き着いたマリーベルに目を瞬かせた。白目のない真っ黒な瞳が、マリーベルをじっと凝視する。その頬が段々と色好き、瞳にも眩しいほどの光がともる。ぎゅっと抱き返され、やっと!とその口から洩れる。嬉しい嬉しいと頬ずりされ、今度はマリーベルが目を瞬かせた。ウグイスが言葉を話せたことに大変驚きながらも、幸せな気持ちが今は勝った。

 いつの間にか遠くに来て、いろいろなものを置いてきてしまった。けれど、以前自分が手に持っていたより遥かに素敵なものを、マリーベルは手に入れた。


 人知れずこぼれた笑みにウグイスが首を傾げる。その頬にそっと口づけると、チャッと喉がなったのが聞こえる。それが照れたり、慌てたりした時になってしまうものだと気づいてから、その音を聞くためにこうして不意打ちに触れたりする。

 ふふっともれた笑い声を聞いて、ウグイスが頬を膨らませる。その動作が可愛くてまた笑い声が漏れる。むっとしたウグイスに嘴で口に何度も触れられ、そのたびにキャッと楽しげな声が漏れた。


 ああ、幸せってこういう気持ちなのね。触れ合った頬の暖かさに、マリーベルは微睡み始める。

 ああ、幸せってなんて素敵な気持ちだろう。そっと抱き上げた暖かさに、ウグイスは頬が緩んだ。


 この時間がいつまでも続けばいい、抱き上げたマリーベルを寝床に寝かしつけ隣に寝ころんだウグイスは、目を閉じながらそんなことを考えた。

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