鹿瀬康太の旅クエスト
人様からのお誘いで旅レポートを書くようになったので、それを原案として異世界と現実世界の繋がった小説を書いてみました。
精神と肉体の絡みで賞を取りに行くのは難しく、時間と体力を見ながら書くことにしています。
それゆえ、更新もノロノロペースですのでご理解とご了承をお願いします。
夏6月。7時50分過ぎに寺尾駅を出る信越線直通の羽生田行きに乗る。
週末とはいえ、さすがに混雑していた。その羽生田行きに乗った俺は鹿瀬康太、20歳。
新潟駅で8時24分に9番線を出る磐越西線の快速『あがの』で喜多方へ向かう。
越後線に乗っているときの俺はこの旅が初めてのクエストになるとは思わなかったし、『あがの』の車内で彼女達と逢うとは思わなかった。
7両編成の列車は小針で吉田行きと交換し、青山、関屋、白山と停車。新潟駅に着いたのは8時9分。高架化工事で短くなった1番線である。
そのホームを東区方向に歩くと仮ホームの9番線に次のランナーである『あがの』が停まっており、この日はJR一桁世代の気動車でステンレスの気動車を挟んだ3両編成だった。
車内はボックスシートとロングシートで構成された如何にも『ローカル用の気動車』といった雰囲気である。
とりあえず4人掛けのボックスに座り、出発前に持たされた水筒を開ける。
『すみません。向かいの席、座って構いませんか?』
女性のか細い声が聞こえたので俺は『構いませんが』と、答えた。
向かいのボックスに座った女性は姉妹のようで、2人とも見慣れない服装をしている。
旗袍(いわゆるチャイナ服)でもなければ、漢服(もともとのチャイナ服)でもなく、近世の洋服でもない。裸に毛の生えた程度の服装でもないし、どこの本でも見た覚えがない服装。
「何処から来られましたか」
俺がそう訊くと姉であろう方―――青い髪をサイドポニーにした方―――の女の子が、こことは違うところから、と答えた。
「私達、喜多方というところに行こうかと思うんです」
これを言ったのは妹であろう方―――薄紫の髪をハーフサイドアップにした方―――だった。
「喜多方ですか。喜多方は蔵とラーメンで有名ですよ」
俺がそう言ったときは列車が新潟駅を出発し、江南区を通過している頃だった。
「喜多方のラーメンとはどのようなものなのですか?」
姉の方が俺に訊く。
「縮れた麺ですけど、スープは味噌と醤油の何れかですね」
俺は嘘偽りなく答えた。
「失礼ですがお名前は何というのですか?」
こう言ったのは妹の方だ。
「俺は鹿瀬康太。新潟市から来た」
俺がそう言うと彼女達は若干眉間に皺を寄せる。
「私はエミリー・ウェールズ。こっちの娘は妹のアンナ。『この世界は』昨日来たばかりなのです」
エミリー―――姉の方―――が自己紹介したとき、『あがの』が新津駅に進入する。合併で広くなった新潟市で唯一の途中停車駅である。因みに下りの『あがの』は新津から各駅に停車する。
新津で数分停車し、磐越西線に入る。流石にこの路線は阿賀野川やその支流の早出川が絡むだけあって植物も多く、都会の喧騒から離れた印象である。
「五泉……ここは泉があったの?」
列車が五泉に停まったとき、エミリーが俺にそう問う。
「もしかしたら昔あったのかも」
ここ五泉はあまり知られていないが、国内でも2強を争う良質な絹を算出するところでもある。かつては蒲原鉄道が接続し、平成の大合併で五泉市になっている村松町までつながっていた。新潟まで繋がる高速バスの方が遥かに便利で、鉄道よりバスの方が新潟市の広い範囲へ繋がれる。
五泉を出ると猿和田を通過し、馬下に停車してそのあたりで揺れる。馬下の次は温泉のある咲花である。
「咲花には何があるのですか」
俺に問うアンナ。
「そうですね。温泉があったのです」
そう答えた俺は温泉旅館が懐かしくなった。
咲花を出ると阿賀町を走り、三川に着く。ここは国道49号か磐越自動車道を車で跳ばした方が便利なところで、合併前は独立した村だった。
「川が綺麗ですね」
そう言ったエミリーに俺は俯くことしかできなかった。
何故かというと日本の4大公害である新潟水俣病の話をするのはまだ先になると見たし、異世界から来たウェールズ姉妹に有機水銀の害を言うのはあまりにも残酷すぎた。
三川を出た次の津川は阿賀町の中核ではあるが、三川駅と同様に規模を縮小した痕跡がある。
ここも阿賀野川沿いで、右手に阿賀野川が流れている。支流の早出川はすでに渡り、阿賀野川本流に沿って会津国境を越えようとしている。
この駅は『ばんえつ物語』が15分停車する駅で、最も会津側に喫煙区画があり、SLならば機関車のすく傍である。『あがの』は煙草を吸う隙も与えず発車した。
次の鹿瀬は『ばんえつ物語』の通過駅である。元の鹿瀬町に入れば会津は目と鼻の先である。
「アルコールの臭いがするわね」
エミリーの鼻は敏感だったようだ。事実、同じ種別でも観光列車である『SLばんえつ物語』と一般列車である『あがの』の乗客層は異なり、『あがの』の方が飲み屋臭さを感じる。
実際にロングシートの箇所でストロングゼロを空にしている年配の男がいたし、身なりも『ばんえつ物語』の客に比べて垢抜けない印象がする。
鹿瀬とは逆に『SLばんえつ物語』が停車する日出谷を通過して阿賀町を抜け、豊実、徳澤と通過して福島県に入る。
列車は西会津町を走り、野沢駅に停車する。SLならここで10分停車をするが、『あがの』はお茶を買う時間も取らせず発車した。
尾登を通過して荻野に停車すると山都、喜多方と3駅続けて停車する。喜多方に着いたのは10時27分。向かいのホームには緑の帯を引いた只見線用の気動車が待っていた。
3人は跨線橋を渡り1番線へ。そこには『川内食堂』の宣伝で用いられている看板が下げられている。
「何処に行くの」
エミリーが俺に問う。
「俺も喜多方は久々だからな……。『蔵の里』へ行こうか」
ただ道なりに歩く。車通りは多いが歩道には不自由する道路。やがて俺達はかつて国鉄の日中線が引かれていた並木道を歩く。
「桜……でしょうか」
故郷を想い出すように言うアンナ。
「今は6月だから、もう葉桜か」
6月といえば旧暦の4月か5月である。中国の古い表現では旧暦の4月を『孟夏』と呼ぶから5月後半が暑いのも頷ける。
「エミリーは何処からこの世界に来たんだ」
俺は素朴な問いをしてみた。
「そうね。ドラゴンと闘っている国から来たの。夜に王都を出る列車に乗ったら夜が明ける前に『新津』というところに来ていて……」
俺は彼女達がいわゆる『中二病』ではないかと疑っていた。姉妹の話を聞くと、最近代が代わって20代の若い王様になり、あらゆる方面の設備投資が盛んになったということだ。
で、一昨日の列車に乗って新潟市に来たということだ。日本語が読めたり書けたり話せたりするのは魔法でマルチリンガルにしているからで、『ドラえもん』のホンヤクコンニャクのように流暢に話す。
「お姉ちゃん。あれスライムじゃない」
アンナが指さす方にはバレーボールほどの大きさのスライムがポッピングしながら俺達に近付いている。
「見たところ8か9体程度ね。康太さん、何か武器は持ってる?」
「いや、この国では武器を持つのはご法度なんだ」
「何か投げられるものは」
「こびり―――おやつ―――に持っている飴がいくつか」
「じゃぁそれを投げて」
エミリーに言われて10個ばかりの飴をスライムに投げつけた。どうやら消化不良を起こしたようで、彼らは死んだように―――実際に死んだが―――動かなくなっていた。
桜並木を小さなスーパーのあたりで外れ、歩くこと30分あまり。ようやく『蔵の里』に着いた。200円を払えばお茶が飲めるということで3人揃って入場料とお茶席のお代を払い、敷地内に入る。
まずは右側―――北側―――の座敷蔵からだ。
「今日はようこそ遠くからお越しくださいました」
白髪のご老媼が俺達3人に向けて言ったことはそれだった。
東日本大震災で顧客が減ったことを聞いたとき、エミリーもアンナもキョトンとしたが、『3年前に東北で起きた大地震』と聞いていくらか納得してくれた。
「貴方方が本日初めてのお客様です」
と、言われたときは涙が出そうなほどである。
俺達3人はこのご老媼と1時間ほど過ごしただろうか。抹茶をいただいた後で展示されている蔵を見学させていただいた。
「次は何処へ行こうか」
俺がそう言うと3人とも思考を巡らせる。そのとき、アンナが喜多方市街の地図をエミリーに渡し、俺に一つの提案をした。
「テレポートで『川内食堂』へ行きませんか」
「テレポートって俺は魔法を使えないぞ」
「大丈夫です。この地図と魔法のピンがありますから」
俺は破顔した。
なるほど、丸いフェルメールブルーの頭をしたピンを地図の川内食堂の位置に打ち込むとすぐに転移できた。これなら長時間待たされるリスクもなく、喜多方の街を端から端まで歩く労力も節減できる。
川内食堂は『町のラーメン店』といった雰囲気のお店である。喜多方の駅から幾分か歩く所にあり、俺達3人は醤油ラーメンを注文し、昼食にした。
食べ終わった後、徒歩で喜多方駅に行くと13時44分発の会津若松行きが出るという。
俺は会津若松までの乗車券を買ったが、ウェールズ姉妹はジャパン・レールパスを持っていたので切符を見せただけで改札を通れた。
平成世代の気動車で運転される会津若松行きが来たのは13時43分。1分ばかりの停車で発車。この列車は途中、鳥もつを売り込んでいる塩川に停車し、14時丁度に会津若松駅に着いた。
折角の会津若松なので鶴ヶ城や飯盛山でも行きたいところだが、帰りの列車である『DLばんえつ物語号』が会津若松駅を出るのは15時25分。観光する余裕などない。
俺は会津若松からの乗車券を買い足し、3人でグリーン券を会津若松からのものに変えてもらった。席は3人とも通路側だったが、SLが不調で休車しているだけに比較的簡単に変更できた。
頭端式の2番線に出ると6両編成の列車が停まっている。先頭の2両、朱と黒で塗装された車両が観光列車の『フルーティア』号で後ろの赤と緑の帯を引いた4両が一般車である。いずれもローカル用の交流電車で、前方の『フルーティア』号と一般車4両は元を正せば兄弟である。
郡山行きの『フルーティアふくしま4号』は定刻の15時6分に発車した。俺達がその列車に乗るのは翌年のことで、磐越西線のワンマン運転導入で『フルーティア』の運用が大幅に変わるのはその更に翌年のことである。
15時15分。ディーゼル機関車の推進で『DLばんえつ物語号』が『フルーティア』のいなくなった2番線に入線する。このディーゼル機関車は鉄ちゃんの間では人気の機関車だというが、俺にはSLほどの魅力を感じなかった。ただ朱色を基調に白い帯が片側だけ短い『凸』の形をした車体に引かれていることは確かだ。
俺達の乗る7号車は機関車のすぐ後ろ。SLならば炭水車が拝める位置である。7号車の展望室に入るためにはグリーン券を買っておく必要があり、7号車自体もグリーン車なのでグリーン券を買わないと車内に入れてもらえない。
俺達3人は7号車のドアが開いた後、グリーン券を乗務員に見せてグリーン席の乗車証を受け取った。牽引する機関車はディーゼル機関車であるが、SLの写真が印刷されているのはご愛敬である。
7号車のグリーン席はえんじ色のリクライニングシートが横3列で並んでいる。
新潟行きの『DLばんえつ物語号』が出たのは15時25分。終着の新潟駅に着くのは19時6分なので、4時間近い旅になる。
会津若松を出ると塩川を通過して喜多方に着く。ここは15時48分に着き、3分停車で発車する。
喜多方を出ると4号車のイベントスペースでマンガ・アニメ専門学校の学生が色紙とペンを持って座っていた。
「これ、知っていたんですか?」
アンナに問われたが、車内アナウンスで聞いただけだったように思う。
「私、行ってみる」
最初に行ったのはエミリーだ。男性の『絵師』に向かう。喜多方から山都を出て野沢に至るまでの間にウェールズ姉妹の似顔絵は書き終えられていた。野沢駅に着いたのは16時25分。ここで10分停車をする。
ここは西会津町の要衝である。『喜多方に続け』とばかりに味噌ラーメンを売り込んでいるが、二番煎じ感は否めない。
俺達は外の空気を吸いにホームに下りてみた。
機関車には『DLばんえつ物語号』のヘッドマークが掛けられている。
紫陽花の中を走るディーゼル機関車が描かれており、如何にも6月といったデザインである。
野沢駅を出るとじゃんけん大会である。俺は初戦で敗れたがウェールズ姉妹は揃って勝ち残った。
新潟県に入ると阿賀川から阿賀野川に名前が替わり、日出谷、津川、三川、咲花、五泉と停車して新津駅に着いた。新津駅を出れば終点の新潟である。
19時6分。『DLばんえつ物語』号は定刻に新津駅3番線に着いた。
「それでは私達、今日の列車で国へ帰るので」
エミリーから『さよなら』と言われた。
同じ日の21時過ぎ、新潟駅3番線に入線したのは10両の客車とその客車を牽引する電気機関車。1両は食堂車で、普通車指定席扱いの簡易寝台車が2両、『3等寝台』と表記されたB寝台車が3両、『2等寝台』と表記されたA寝台車が2両、俺達の世界で言うところのロイヤルやスイートが1両、ラウンジカーが1両という編成である。
「こっちの世界の旅って初めてしたけど、楽しかったね」
アンナは笑顔で姉に語り掛ける。
「こっちの世界の人と話すのも初めてだったし」
これを言ったのはエミリーだ。
列車は21時45分に新潟駅を出発し、新津、加茂、東三条、見附、長岡、と停車する。
長岡の時点で23時近くとなっており、機関車を付け替えるのは長岡である。
往年の寝台特急『北陸』を牽引したことのある機関車とここで分かれ、長岡の車庫で待たせていた機関車が代わって列車の先頭に立つ。この作業で大体15分ばかりかける。
長岡から先頭に立つ機関車はJRの保有ではない。それどころか俺達の世界では見たこともない機関車だった。その機関車には仕掛けがあり、異世界へのゲートを開くボタンがある。
安全上、宮内駅を通過し、上越線に入ってから『開門』させる。
列車は23時丁度に長岡駅を出発し、宮内駅を通過。異世界へのゲートを開き、この地球から消えた。
この回はSLが不調だった平成27年の初夏、快速『あがの』で喜多方へ飛んだときのことがベースです。
平成最後の1年間もSLが不調で機関車がディーゼルでして……。
令和最初の夏休みシーズンから走る見込みです。お時間とご予算のあるときに福島県の再興と列車の旅をすべく乗りに来てくだされば幸いです。
因みに、SLは新津発着になりましたので、一般の列車に乗って新津まで行く必要ができました。