2夢
「ねえ、君」
子供の声が頭上から聞こえてきた。どうやら聴覚も無事らしい。
「君は誰にやられたの?」
答えようとして唇を動かそうとしたが、動かせなかった。喉に異物のようなものが溜まり、声を発しようとするとそれが噴き出てくる。
鼻で息はできるが苦しいことには変わりはなかった。
「あのさ、今から出す問いに答えてね」
子供はこっちの都合を無視して勝手に話を進める。最初から私の言葉を聞くつもりはなかったようだ。
「究極の選択。君はこれから手術で死ぬ? それともここで死ぬ? さあ、どっち?」
妙に弾んだ声を聞き、私は目を閉じて考える。
(病院かな?)
少なくとも、今この場だけは嫌だ。
――瞬間、身体が宙に浮いた。
ゆっくりとビルの隙間を通り抜け、黒い空の中で身体を反転させられた。
満天の星空の中、私は子供と向き合う形となった。
その子供は、声の通り幼く小学校高学年くらいの年頃で、黒いとんがり帽子と黒いマントに、マントの下は白いシャツと黒い短パンを身に付けている。更に手には身の倍近くある大鎌を持っていて、その姿はまさしくお伽話しに出てくる死神だ。
「誰が死神だよ。僕は獏の夢幻」
「ゆめ、まぼろ?」
「そう。みんなからは“ゆま”って呼ばれている」
子供――ゆまはそう言うと、持っていた大鎌の柄を手の甲に乗せ、回して遊びだした。
どう見ても子供だ。小学校高学年か、よくて中学一年生くらいだろう。
私がぼーーっとゆまの手元を見ていると、ゆまは私のことを見ずに尋ねる。
「君さ、この世界で死にたいんだよね。なら死んでみる?」
「え?」
「大丈夫、一瞬で終わるからさ」
何を言っているのか分からない私の首後ろに、ゆまは大鎌の刃を軽く当てた。
冷たく薄い鉄の板が、私の細胞と細胞の間に切れ込みを入れる。
私は全身の血の気が引いた。
逃げたくても、身体が言うことを聞いてくれない。
「い、や・・・」
せっかく助かったのに、どうしてまたピンチに陥っているのだろう。
必死に身体を動かそうとしても指先一本動いてくれない。
「さようなら」
聞きたくない。耳を塞いで縮こまりたい。
私が何をしたの。
何もしていない。
助けて、止めて・・・・。
「いやああぁっ! 私が一体、何をしたっていうのよ! 何もしてない! 悪い事なんて何もしていないんだからっ!」
喉の異物を吐き出し、腹の底から叫んだ瞬間、周りの景色に色が付いた。
黒い足下に、赤や黄色、青の光が瞬き街を彩っている。
「ここは、東京?」
「そう、君の中の東京だよ。本当はあんなに色鮮やかだったんだね」
ハッと、ゆまの方を見ると、彼はすでに大鎌を肩に背負い直していた。
「あなた、私を殺すんじゃなかったの?」
「君を? 何で?」
真顔で聞き返されても、私も困る。
「だって、さっきまでその鎌を私の首に当ててたじゃない」
「あぁ、それか」
それ以外に何がある。
ゆまは合点が言ったという素振りを見せてから、大鎌の刃の部分に腰を下ろした。
「ちょっ、危ないっ・・・」
「大丈夫だよ。この世界の理を変えることくらい、僕には足し算引き算と同じくらい簡単なことさ」
「どういうこと?」
ゆまは唇に人差し指を当てて「百件は一見に如かず」と呟き、左手を握り、開くと飴玉が2つ乗っていた。
「手品?」
ゆまは首を左右に振り、飴玉の一つを私に向かって放ってくれた。
「ここは君の、桃香の夢の世界だよ」
「私の、夢?」
「そう、だから僕は君の名前を知っていて、この世界では魔法のように何でもできるんだ」
ゆまはにこにこと笑っている。
完全に信じることはできないが、「嘘だ!」と断言することもできない。
私は腕を組み、唸った。
ゆまは大鎌の刃の上で胡座を掻き、膝の腕に肘を付いて手の平に顎を乗せた。
「まぁ、夢の世界で「ここは夢だ!」なんて気付く人の方が稀だからねぇ。けど、僕の言うことを信じて理解しろ」
満面の笑顔で命令形な言葉を掛けられても、「はい、分かりました」なんて言えない。
私は長く息を吐き、一つずつ情報を整理することにした。