「1−6」
(羨ましいぞチクショー!!)
(幸せになれよ……)
等々、ふざけた『本音』に見送られてテントを出た僕と河合さんは、まず主に文化系の部活が出展している展示物を見て回ることにした。
部活動にも力を入れている学校だけあって、展示されているものはどこもハイクオリティーだ。
二年目の僕が見ても飽きないものばかりなので、隣にいる河合さんの目が輝きっぱなしなのも無理はない。
『うわー、こっまか……』
『遼くん見て見て! これ凄いよ!』
手をブンブン振って僕を呼ぶ河合さんは、心から僕と周る文化祭を楽しんでくれている。それなのに僕は、相変わらず色々と遣わなくていい気を遣って、自分の言動を河合さんに嫌われないようにカスタマイズして接している。
こういう時、やっぱり僕は僕に心底嫌気が刺すんだ。
『遼くんどうしたの? もしかして体調悪い?』
「い、いや。大丈夫だよ。ごめん寝不足でちょっとボーっとしちゃって……」
『そっか。準備とか色々あったもんね。気付かなくてごめんね。……ちょっと食堂で休もっか』
「う、うん。ごめん気遣わしちゃって……」
気を遣ってたはずが、逆に気を遣ってもらっている。情けない。やっぱり僕は河合さんにはなれないんだ。
『……あれ、あの子、迷子なのかな』
河合さんの目線を辿ると、人混みの中、見た所まだ4、5歳の少女がフラフラとした足取りで一人歩いていた。
周りをキョロキョロと見渡すその瞳からは今にも涙が溢れだしそうだ。
僕が何かを考えるより先に、一直線にその少女の元に向かっていった河合さんは、目の前にしゃがみ込んで目線を合わせ、優しく話しかけた。
『どうしたの? お父さんとお母さんは?』
『……いなくなっちゃった……』
恐らく、兄か姉の文化祭に両親とともに来たものの、どこかではぐれてしまったのだろう。
声をかけられた少女は、そう言うと同時に泣き始めてしまった。
『大丈夫。お父さんとお母さん、すぐに見つかるからね』
少女の頭をポンポンと撫でた後、河合さんは僕に申し訳なさそうな顔をした。
『ごめん、遼くん。私ちょっとこの子を総合案内所まで連れて行くよ』
「分かった。すぐ近くだし僕も付いていくよ」
一階の校舎入り口付近にある総合案内所は、来客した人にパンフレットを配ったり、イベントの紹介をしたりする為に設置されたエリアで、落し物の管理や、迷子の呼び出しなども請け負っている。
そして一体どんな魔法を使ったのか、階段を3階分下り、少し歩くだけの間に泣きじゃくっていた少女はすっかり笑顔になっていた
『よし、着いたよ! ここにいればお父さんとお母さんがすぐに来てくれるからね。……すみません。この子迷子なんですけど……』
河合さんが受付をしている生徒に少女を見つけた場所を伝え、もう一度少女の前にしゃがみ込む。
『じゃあ、お姉ちゃんたちはもう行くけど、ここで係の人と待てる?』
「……うん。サキ、おねえちゃんがいなくても待てるよ」
(おねえちゃんともう少し一緒にいたいよ……)
その返事を聞いて、河合さんは何かを躊躇するような表情を作ったものの、すぐに『えらいぞ』と少女の頭を撫で、僕の方に向き直った。
『待たせてごめん! 行こっか!』
「いや、それは全然いいんだけど……」
続く言葉を発するのを躊躇ってしまい、河合さんが首を傾げる。
『けど?』
「その、もうちょっと、両親が来るまで、あの女の子と一緒にいてあげた方がいいんじゃないかな。なんていうか、お姉ちゃんともう少し一緒にいたいよって、あの子も思ってそうだったし」
『え』
少女の『本音』をそのまま代弁したその言葉に、河合さんは不自然なほど大きな声を上げる。そして、何故か僕を凝視したまま硬直する。
「え、河合さん? 僕なんか変なこと言った?」
慌てて尋ねるも、河合さんの瞳は大きく見開いたままだし、口も「え」の形のまま動かない。
そこから更にながーーく引き伸ばされた数秒が経ち、冷や汗がブワッと出てきた頃に、漸く河合さんは時間の流れに戻ってきた。
『……あ! ご、ごめん、何でもないよ! そ、そうだよね』
「う、うん。丁度休憩にもなるし、まだまだ時間もあるから。女の子が両親と合流できてから、また文化祭を周ろう」
『わ、分かった』
動揺を隠しきれない様子のまま、河合さんは少女の元に駆け寄る。
パッと笑顔を咲かせた少女に癒されながら、僕はふと、覚えのある違和感を改めて抱いた。
河合さんとの初対面以来、余りにも当然のことになり、すっかり気にしなくなっていた違和感。
そう、河合さんの『本音』と「建前」が完全に一致し続けている事についてだ。
理由は分からないけれど、あそこまで強く動揺していて、「何でもない」なんて『本音』があり得るのだろうか。
そして、もしそれが『本音』だとしても、どうして彼女は一切の『本音』を隠そうとしないのだろうか。
色々と彼女について疑問に思う事が改めて湧き上がってきたけれど、当然ながら僕はその疑問をぶつけることなく、河合さんは相変わらず『本音』で少女と楽しそうに会話をしていた。
そして、校内放送で呼び出してから5分ほど経った頃に、少女の両親がバタバタと走って登場し、少女はその姿を見つけるなり、お母さんの胸に駆け込んだ。
『おかあさーん!!』
「咲! どこにいたのよ!」
(本当に良かった……)
「心配したんだぞ!」
(俺の方に飛び込んでくれなかった……)
お父さん……。頑張れ……。
『ごめんなさい。でも、ツバキちゃんがいたから怖くなかったよ』
『よかったね、咲ちゃん』
『娘をここまで連れてきてくれたんですね。ありがとうございます』
「ご迷惑をおかけしました」
(この子滅茶苦茶可愛いじゃないか……)
……励ましの言葉は即撤回だ。
『いえ、私も咲ちゃんとおしゃべりできて楽しかったです。凄くしっかりした子ですね。……咲ちゃん、また遊ぼうね!』
『うん!』
僕たちへの感謝と別れの挨拶を終え、反対方向に歩き出した親子の後ろ姿を眺めていると、隣で同じように眺めていた河合さんが、不意に口を開いた。
『遼くんはさ』
「ん」
『遼くんだよ。他の誰でもない』
「え……え?」
混乱する僕をよそに、河合さんは目の前の階段を駆け上がり始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ河合さん……! 急にどうしたの?」
『何でもない! それより、いい加減名字で呼ぶのやめてよね!』
「ええ!?」
風をきる爽快感が僕の心を軽くする。
すれ違う人や、追い抜く人は皆、僕たちに怪訝な目を向けているけれど、不思議と気にならない。
「……分かったよ。バ、バッキー……!」
『……』
「つ、椿……! ……さん」
『……』
どうやら生半可な呼び方じゃ認めてもらえないらしい。
息が上がり、圧迫された胸が痛い。それでも決して嫌な気分じゃない。
大きく上げた足の勢いのまま、なんだか宙に浮けそうな、奇妙な感覚だ。
そんな浮き上がった心に、僕はありったけの力で言葉を乗せる
……バリバリバリバリッ!!!
『……っ!! つばきっ!!」
瞬間、もはや彼女の背中しか写っていなかった視界がブワッと広がり、突然の大声に唖然とする人たちを写す。
……やっちゃった……。と僕が思うと同時に、その場にピタッと止まった河合さん……もとい椿はクルッと身を翻し、階段をタタタと駆け降りてくる。
そして、一個上の段まで来ると、彼女は思わず伏せた僕の頭にポンと手を乗せた。
『……よく言えました』
言うや否やプッと吹き出す椿さん。余りに楽しそうに笑うから、僕も釣られて吹き出してしまう。
相変わらず彼女のことはよくわからないけれど、今この瞬間は、いつもみたいな愛想笑いじゃなく、心の底から笑えている。そのことが、僕にとってはこの上ないほど幸せなんだ。
後々本人から聞いたことだけれど、椿さんはこの日、人の『本音』が聞こえるという僕の秘密に気付いたらしい。
それなのに、彼女が僕と全く同じ秘密を抱えているということを、僕が知るはもっと先のことになる。どうしようもなく馬鹿な僕は、彼女の『本音』を、彼女の全てだと思っていた。『本音』の裏に隠されたものに気づくことなく、彼女を深く傷つけてしまうことになるんだ。
一章完結です!一話オマケストーリーを挟み、2章が始まります!