晶喚獣
「なあ、ティム。今日は麓の村に行商がくる日だろ? ヴィンスの服を買いに行こうと思うんだ」
翌日の朝、昨日と変わりないベーコンと卵の出来立ての暖かい朝食をヴィンセントが変わらずおかわりまでして食べていると、アレックスがティムに許可を求めた。
「あぁ、そうだな。アレックスの服じゃ少し小さいようだしな」
「よし。ヴィンスも行きたいだろう?」
ヴィンセントをヴィンスと親しく呼ぶようになったアレックスから誘いに、パンを頬張っていたヴィンスは、食べながら喋るという行儀の悪い事はせず、大きく頷きながらティムの様子を窺った。
逃げてきて世話になっている身だが、隣近所もない山の中から多少人のいる場所に行って情報も集めたいと思っていた。
ティムは、二人を見るとあきらめたように眉間に小さな皺を寄せてため息をついた。
「……必要なものを買うだけだ。直ぐ帰ってくるように」
「はーい」
「ありがとうございます」
「楽しみだな。良いのがあるといいな!」
「はい」
無邪気に喜ぶ二人に、ティムの額の皺はさらに深くなるのだった。
ヴィンセントは用意してもらった上着を着ると、玄関の外で待っているアレックスの所に向かった。
ちょうど、アレックスが手にした大ぶりの黒いペンダントから晶喚獣を呼び出した所だった。
とろみのある硬質の大きな体、珊瑚の様に有機的に枝葉を大きく太く伸ばした角、体も角も混じりけのない黒色、瞳だけは深い森の色をしている。牡鹿を模ったオニキス晶喚獣だ。
晶喚獣は、材料に希少な魔力を帯びた宝石を使うため、比較的高価な道具となる。
「驚いたか? 死んだ父さんの形見なんだ。古い晶喚獣だけど綺麗だろ?」
ヴィンセントが目を丸くして驚いている事に気が付いたアレックスは、笑いながら黒い晶喚獣の首筋を撫でながら笑った。
「ええ、とても綺麗です。黒い色はオニキスですか?」
「そう。良くわかったな」
「とても綺麗な黒ですから」
艶があり深みのある黒いオニキスは比較的手に入れやすく加工も楽なために、量産型の宝石獣に多く使われている。量産型といっても高価なモノである事に代わりは無いのだけれど。
「ヴィンスは晶喚獣に乗った事あるか?」
「ありますよ。でも牡鹿は初めでです」
「そうか。晶喚獣はこいつしかいないから二人乗りしていくからな。前は、俺だ」
「わかりました。貴方の晶喚獣ですからね。操縦はおまかせします」
「帰りは、荷物しだいで歩きになるかもしれないからな。覚悟しろよ」
「がんばります」
アレックスの言葉に、ヴィンセントはいちいち素直に頷いて返事をする。
「よし。じゃあ、出発するか」
アレックスは、牡鹿の角に手をかけ軽く反動をつけて地面を蹴って、慣れた様子で大きな牡鹿の上に騎乗した。
ヴィンセントは、城で使っていた馬や獅子の晶喚獣を思い出した。あれは、ヴィンセントのために組み立てられた新しい一点ものの晶喚獣だった。きっとどこかにしまいこまれているだろう。そのうち整備しなおされ誰かが使ってしまうのだろうか。
「鹿に乗るのは初めてです」
「そうなのか? 山岳地帯は多いぞ。馬は山岳地帯に向かない。坂道が不得意だからな。その点、驢馬とか山羊とか鹿とかは、崖とかの足場の悪い場所でも平気で登るからな」
ヴィンセントはアレックスの後ろで、鞍に手をかけて危なげなく鹿の揺れに合わせる。今までに乗っていた馬と大きく変わらない乗り心地であったので、安心して乗っていられた。
麓の村へと続く、足場の悪い山道を晶喚獣で下る。
村までの長い道のりの間、見えるのは、遠くや近くに見える山や木々ばかりが続きこれといって大きな変化はない。
「あそこの木は秋になると美味しい実をつけるんだ」
「へえ、食べてみたいですね」
「あのそこの木の間に見える岩の下には小さな洞窟があるんだ。狩りとかの途中で休むのに便利なんだぞ」
「狩りですか?」
「そう。こんな山の中だから結構獲れるんだぜ」
「良いですね」
「今夜の夕食は、おれが獲った鴨の燻製を使って作ろう」
「わあ。楽しみです」
アレックスは変わり映えのない景色から延々と木や岩など、目につく物を手当たり次第にヴィンセントに説明していった。その度にヴィンセントが相槌をうつので、村につくまでの間、アレックスの声は嬉しそうに弾み続けた。
家が一軒また一軒と増えて行き、やがて緩やかな斜面にそって家が立ち並び始めた。家の間を通る曲がりくねった道を行く。山肌に出来たこの村は、計画的に作られた都市とは違い、緩やかに開けたわずかな場所に家がまとまり、その家の農地が周りに広がる。そしてそのさらに外側に、他の家の農地がありその側に家が建つ。広い範囲にまばらに点在するのどかな景色。
何軒かの家を通り過ぎた辺りで、目指す先から人の賑わう声が聞こえ始る。道の先に表れた広場には幌馬車が止り、その周りには人だかりが出来ている。
「あら、アレックス! 待ってたよ。いつもの用意してるから」
人ごみの中心からアレックスを呼ぶ声がした。
その声に反応して、数人が振り返った。
「アレックス、遅いじゃない」
「今日は来ないかと思った」
「あれ? その子誰?」
口々に親しげにアレックスを呼ぶ。
何せ小さな村だ。知らない人というのが存在しない。そんな中に突然現れたヴィンセントは、あっという間に注目の的になる。
晶喚獣から降りたヴィンセントはあっという間に取り囲まれてしまった。
「初めまして!」
「まぁ、可愛らしいお嬢さんだこと」
「その服しってる。アレックスの服だよね?」
「アレックスにそっくり!」
「名前は?」
「歳は幾つ? 息子と同じくらいかな?」
「アレックスとはどういう関係? 親戚とか?」
口々に質問を投げかけられたヴィンセントは、目を丸くして驚いた。
今までは、事前にセッティングされた場所で一人一人が順番に、場合によっては質問すら事前に知らされていたのだ。こんな風に取り囲まれて姦しく話しかけられた事など無い。
「えっと、あの……」
「最近まで病弱であまり外に出ていなかったんだ。体力をつけにこんな山奥まで来たんだから、皆で囲んで驚かせないでやってよ」
言葉に困っていると、晶喚獣を閉まったアレックスがヴィンセントの隣に来ておどけた調子で言った。
「最初の人は?」
「はーい。私から! この子、アレックスの親戚?」
「そうだよ。はとこなんだ。はい、次」
「名前は?」
「ヴィー」
「どこから来たの?」
「すげぇ遠く!」
「好きな食べ物は?」
「……食べ物?」
「昨日アレックスに作ってもらった食事ですかね。美味しかったです」
「歳は幾つなの?」
「歳……?」
「15歳です」
「え、そうなの? おれと同い年じゃねえか! 季節は?」
「秋です」
「おれは夏! よっしゃ! 俺の方が早い!」
「お前、ヴィーの事よくしらねぇんじゃねえか!」
アレックスが、年齢の事で喜んだ途端に、周りから突っ込みがり笑い声が上がった。
「しょうがねえだろ。今まで全く連絡を取って無かったんだ。はい、次」
「その服見た事ある。アレックスのでしょう? どうして?」
「あー、それそれ。こいつ着いた早々に洋服を駄目にしちゃって、サイズが合う服あるかな?おれのじゃちょっと小さいみたいなんだ」
「良いのがあるよ!」
人ごみの後ろから威勢の良い声がした。人垣の向こうに表れたのはふくよかな女性だった。
「ちょうど似合いそうなのを持ってきているから見るかい?」
「見る! ティシャ、助かるよ」
アレックスは嬉しそうにヴィンセントの背を押して、人ごみをかき分けた。
ティシャとばれた女性は、幌馬車の周りに並べ垂れた商品の真ん中に立って、傍らの荷物の中で探し物をしていた。
「どこにやったかねぇ?嫌だねぇ、おれとした事が……」
独り言をつぶやきながら、幾つかの荷物のを開封し、一番下の箱から笑顔で洋服を取り出した。
「どうだい? 良いだろう? おれも若ければ着たかったんだけどね」
ティシャの取り出した洋服は、明るいクリーム色の布地に襟回りにはレースを使った飾り付の襟がついたワンピースだった。
「……」
「ちょっと小奇麗すぎないか? これじゃ普段着にするのはもったいないだろ?」
アレックスの言葉にヴィンセントは慌てた。
「そうじゃないでしょう!?私は男ですよ」
「え?」
「は?」
「嘘!」
目の前のティシャのみならず、周囲の人達からも驚きの声が上がり、ヴィンセントは困惑した。
「どうして驚くのですか? どこからどう見ても男でしょう!?」
「いやぁ、綺麗な顔立ちだし……」
「アレックスの洋服だっていうからてっきり……」
「確かに借り物ではありますが、これは普通の男物の洋服ですよね!?」
憤るヴィンセントに一同はそろって苦笑いした。
「アレックスにそっくりで、アレックスの服を着てれば、そりゃ間違えるって」
「何故ですか?」
「何故って……」
「あった、あった! 間違えちゃって悪かったね。これなんかどうだい?」
ティシャが新たに取り出して見せた洋服はヴィンセントに似合いそうな華やかな男物の上着だった。一番に瞳を輝かせたのはアレックスだった。
「良いじゃん!でも、もう少し普段に着られそうなのが助かるんだけど。その箱の一番上にある上着なんて丁度良さそう」
「こっちかい? ちょっと地味じゃないかね」
「このくらい地味でもヴィーなら似合うって。着てみろよ。上からしたまで何組か欲しいんだよね。他にもサイズが合う服があったら見せてよ」
そうしてしばらくの間ヴィンセントは、アレックスとティシャの着せ替え人形と化したのだった。
更新が遅くなり申し訳ありません。
そして、思っていたよりも話の進みが遅いく、まだあらすじを超えられず、反省しております。