ベーコンと卵と
よろしくおねがいいたします。
ヴィンセントが、眠りの縁で微睡んでいた所、瞼を通して急に光が差しこんだ。
「……っ」
喉か乾いていて声にならなかった。
「お、気が付いたか?」
聞いた事の無いまだ若く幼さのある声。ヴィンセントは、重たい瞼をこじ開ける。
揺れる視界がやっと像を結んだ。
そこにいたのは、黒い長い髪の少年だった。長い髪を頭の上の方で一本に縛り、濃い青色の瞳は海の様に煌めいている。城では見た事の無いほどシンプルな上着を着ていた。
初めて会ったのに、とても懐かし感じがして、ヴィンセントは不思議に思った。
起き上がろうとベッドに手を付くと、痛みが走った。見ると、ナイフで切った掌は、清潔な包帯で巻かれていた。
「怪我してんだから、ゆっくり動けよ」
「えぇと、ここは何処ですか?」
肘をつかって、ゆっくりと起き上がったヴィンセントは、部屋を見回した。
大きな柱や梁がむき出しで、漆喰の壁は色あせ所々に傷や剥落が見える。カーテンは明るい花柄で、壁には乾燥させた花を輪っか上に編み上げたフラワーリースが掛けられ、家具は木製のシンプルな形。ヴィンセントが眠っていたベッドにはパッチワークのベッドカバーが掛けられていた。素朴な趣の部屋だ。
ベッド脇のローテーブルには、ヴィンセントが握っていたナイフが、布にグルグル巻きにされた状態で置かれていた。鞘は金庫室で手放していたので仕方ない処置だろう。
「ここ? おれん家だ。朝飯用意したところなんだけど、お前、起きられるか?」
答えになっていない上に城ではありえない不作法な言葉使いに、ヴィンセントは目を丸くした。
「え、えぇ。起きられます」
「着替えはここに出しておくからな」
置いてある着替えを示しそう言ってから、一瞬考え込んだ後に、不安そうな顔をした。
「……着替えられるよな?」
「子供じゃないんですから、着替えられますよ」
むっとしてヴィンセントが言うと、少年は安心したように明るい笑顔になった。
「そうだよな! 当然だよな! 着替えが終わったら下の食卓に来いよ」
少年は、軽やかに部屋の扉から出て行った。
「あ……名前を聞き忘れた」
ヴィンセントは、のそりのそりとベッドから這い出し、緩慢な動作で着替えをはじめた。
シンプルなデザインで少しゴワゴワとした手触り、新品ではないが洗濯されて綺麗に畳まれている。彼の服なのだろう、少しサイズが小さかった。
着替えて部屋の扉を出ると、短い廊下に出た。
彼は下と言っていたので、人の声がする階下だろうと思い、階段から下に降りた。
階段を降りると直ぐに広い部屋に出る。
ソファーのあるダイニングスペースに、食卓の置かれたダイニングスペース、壁際には水場と調理用の暖炉があるキッチン、という落ち着いた雰囲気の部屋だった。
食卓には既に老人が一人座っていた。白髪に白い髭をして顔の皺も深かったが、体格はがっしりしていて背筋も伸びている。振り向いた彼の灰色の瞳と目があった。
「やあ、おはよう。体調はどうだい?」
「おはようございます。大丈夫です、ありがとうございます」
先ほどの少年は、エプロンをして食卓に並べた三つの皿に、熱せられたフライパンの上で踊るベーコンを取り分けていた。油の跳ねる音と立ち昇る香ばしい香りが、ヴィンセントの空腹を刺激する。
ふらふらと食卓に近寄ると、少年がヴィンセントに気が付き、にやっと笑った。
「おれの服なんだけど、ちょっときつそうだなぁ。とりあえず、腹減っただろう? ベーコンと卵とパンしかないんだけど良いよな? 開いている席に座れよ」
少年は、直ぐに背を向け調理用の暖炉に再びフライパンを突っ込むと、卵を三つ割りいれた。その様子を見ながらヴィンセントは、一番手近の席につく。
先に席についていた老人が、ヴィンセントに人の良さそうな笑顔を向けて来た。
「やあ、はじめまして。儂は、ティムと言うんだ。君の名前は?」
「はじめまして、ヴィンセント・オブ・リディカです」
礼儀正しく挨拶をしたヴィンセントにティムは困った様な顔をした。
「……貴族みたいな名前ですな。確か、そういう名前の国もありましたな」
「はい。私は、リディカ帝国の後継です」
「えーお前が王様なわけ? 見えねぇなあ! っうかここリディカ帝国じゃねぇし、ルーザ国の山ん中だぜ? こんな山ん中に偉い人がいるとか何の冗談だよ」
「王様じゃありません。皇帝の後継ぎの皇太子です。」
「たいした違いじねぇじゃん」
「アレックス!」
「……へいへい」
ティムに怒られた少年、もといアレックスは、悪びれもせずにぺろりと舌を出す。
「あの、ルーザ国というのは本当ですか?」
「本当だ。ここはルーザ国の国境の山岳地帯の山の中、君は家の庭に倒れていたんだよ。どうやってここまで来たんだい?」
ティムは親切に説明してくれた。
「ルーザ国というと、リディカ帝国との間には……」
「リディカ帝国は、カーヴァデイル国を挟んだ向こう側だね」
「そ、そんな遠く……」
がっくりと肩を落とすヴィンセントに、ティムは困った顔をした。
アレックスはその間も手を動かし、出来上がったスクランブルエッグをフライパンから手早く皿に移す。調理用の暖炉で温められていたパンも一緒に皿に乗せて、それぞれの前に配膳した。
「せっかくの出来立てだ。冷めない内に食べようぜ」
アレックスはそう言うと、テーブルのナイフでパンに切れ目を入れ、その切れ目にベーコンとスクランブルエッグを押し込んだ。パンから具材が溢れそうになるのを無理やり抑え込んでそのまま齧り付く。
幸せそうに咀嚼するアレックスを見て、なるほどと、ヴィンセントも同じようにパンに挟んだ。慣れない食べ方で、具材がぽろぽろとこぼれ落ちるが、ベーコンの油を吸い卵でしっとりとした焼きたてのパンは今まで食べた事が無いほど美味しかった。
苦労しながらも美味しそうに食べるヴィンセントを見たアレックスは、嬉しそうにたずねた。
「どうだ? 旨いか? パンなら余分があるから食べるか?」
ヴィンセントは口いっぱいにパンを詰め込んでいたために、口を閉じたまま何度も頷いた。咀嚼をして飲み込むと用意されていたコップの水を飲み干した。一息付いてから、ふとティムを見る。
ベーコンを切り分け小さく千切ったパンに乗せるという、上品な食べ方をしていた。
ヴィンセントは視線を自分の皿に戻すと、先ほどこぼしたベーコンと卵のくずが沢山落ちていた。行儀の悪さに恥ずかしくなり、顔が熱くなるのがわかった。
くつくつと喉を震わせる笑い声がした。
「何も、アレックスの食べ方を真似しなくてもよかったんだ。好きなように食べればいいんだよ」
「えっと、でも、とても美味しかったです。今までで一番おいしかった」
「大げさだなぁ」
ヴィンセントは、アレックスが差し出したパンを受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
具材は食べてしまったので、テーブルに出ている柑橘のジャムを使う。今度は小さく千切ったパンに塗って食べる。暖かなパンに塗ったジャムは、酸味があり甘さは控えめで爽やかな味がした。
「これも、美味しい」
もりもりと食べるヴィンセントにアレックスは微妙な顔をする。
「お前……本当は偉い人じゃないだろ? こんな簡単な飯に喜び好きだろ」
「何を言うんです。本当ですよ。この料理が美味しいのも本当です!」
「えー」
確かに城で食べていた物に比べれば、焼いただけのとてもシンプルな朝食だ。いつもは食べきれない数の料理がテーブルいっぱいに並び、その中から好きなのを選んで食べていた。城での食事は、一級の料理人が作っていたはずだ。
アレックスの言葉に、ヴィンセントも何故だろうと考えた。
「あぁ、そうか。いつも食べている料理は暖かくないんだ」
ヴィンセントのその言葉に、アレックスは気の毒な子供を見たと言わんばかりの表情をした。さらにパンを何個かおかわりをすると、その様子を哀れに思ったアレックスが追加で焼いてくれたベーコンを食べた。
ティムが淹れてくれたお茶を飲んで一息いていると、アレックスが小箱を持って戻ってきた。
「はいはい。包帯を取り換えるからな」
手を見ると、包帯が食べかすで少し汚れていた。
「ご、ごめんなさい」
「朝晩は取り換えないといけないからな、ちょうど取り換え時だ。気にするな」
アレックスはヴィンセントの手を取ると包帯を外し、傷口を覆っていた軟膏を塗った布を新しく取り換え、再び新しい包帯で手を包んだ。
「ありがとうございます」
「この傷どうしたんだ? 大きくない傷なのに服が血だらけでびっくりしたんだぞ。死んでいるのかと思った」
「手は自分で切りました」
「自分で切った!? お前ナイフも使えないのかよ。不器用だな! 眩暈とかしてないか? 血が足りなくて貧血とか」
アレックスは、お腹を抱えて笑った後ヴィンセントの体を気遣ったが、笑われた事を少々腹立たしく感じだヴィンセントはむきになって訂正した。
「そうではありません。切る必要があったから切ったので、不注意ではありません。あと、眩暈はしてません」
「はぁ? 何で?」
「何があったんだい?」
アレックスとティムの言葉にヴィンセントは、気を失う前の事をぽつぽつと話し始めた。
お読み頂きありがとうございます。
誤字脱字等ありましたら教えて頂けると嬉しいです。
目指せ長編を合言葉に頑張っていきます。